日記・コラム・つぶやき

徒然日記 Vol 715

人を大切にしない会社は・・・

 私の18歳の孫は、昨年の春から市内の有名な老舗の洋菓子店のカフェで、働いている。調理師の免許も持っていて、高校時代のバイトでのレジや接客の経験もあり、一年目から厨房で料理をしたり、ホールのスタッフなどの仕事を担ってきた。ところが、この一年間、頑張ったものの、残業代込みでも高卒の平均月収に届かず、休憩もきちんと取れず、休みは不定期で、毎日のように残業が続き、年休など取ることも叶わない状況で、とうとう退職することを決心したようだ◆当の洋菓子店は、以前からブラックとは聞いていたものの、中堅の社員は不在で、一年目の新入社員が厨房に入り、カフェのメニューを作っているのだから驚きだ。普段から、休憩もきちんと取れない中、昨年のクリスマスの繁忙期には、昼食も食べる時間もなく、12時間立ち続けて働いたこともあった。カフェで働く人は、ほとんどが女性で、幾人かが、突然休んだりして、ただでさえスタッフが少ない中、そのしわ寄せが真面目な孫に来て、残業が日常化しているようだ。この春に、孫以外にも、4人ほどが退職するらしい。きっと、退職後の補充は、毎年のように新規採用で補っているのだろう。お客さんは、たった一年目の社員が作ったパスタやスイーツなどの料理を、「美味しい」と言って食べているのだ◆社員を大切にしない会社は、いずれ潰れると思っているが、数十年続く老舗として、今後も、今のやり方で生き残っていくのだろうか。孫に、仲間づくりをして、社長なりに改善を申し入れして、改善ができなければ、内部告発なり、労基法違反などで訴えればいい、と助言したものの、社員のほとんどが若い女性で、「まとまるわけがない」と一蹴された◆毎日、疲れ切って帰り着き、休みの日は、昼頃まで寝ている孫を見ていると、「もっと頑張れ」などとは言えない。次の仕事は職種に関係なく「友達と二人で雇ってくれるところを探す」と言っている(そんな所があるとは思わないが)。調理師の資格しかない孫の行く末が心配だが、性格がいいので、どこで働いても「きっと、大丈夫」だと思っている。にしても、ひどい会社だ。匿名希望で、社長宛に手紙を書こうかな、などと思ったりもしたが、そもそも働く人たちを大事にしないのだから、私の手紙もきっと、破り捨てらて、終わりだろう。

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徒然日記 Vol 714

春が来た

 この二週間ほど長雨が続き、桜も散ってしまった。晴れた日に満開の桜を見ることができた人は、ほとんどいないだろう。それでも、庭のタラの木には、新芽が息吹き、サボテンの花も満開だ。職場の軒先のツバメの巣にも、また、ツバメが戻って来た。春が来て、植物も生き物も、生き生きと動き出した。人間界は、新年度ということで、忙しい。本日、日曜日の夕方には、町内自治会の役員会がある。町内自治会長として迎える初めての日だ◆そして、この4月で、落選した、あの悪夢の市議選の日から、やがて一年となる。昨日は、私の後援会の役員会を開き、20日開催の総会に向けて、今後の活動方針などを話し合った。結論は、「次期選挙には、私は出馬せず、地元からの新人の発掘をめざす」「後援会組織は当分の間、存続し、学習会等を開催する」ことと、なった◆議論の中で、再度、私の立候補を望む声もあったが「3年後は73歳で高齢であり再選の可能性は低い」「体力はあるが気力と財力が無い」ことなどを理由に、断った。後援会には80名近くの方たちに加入していただき、私の応援団として活動してもらってきた。しかし、今後、次期選挙に向けて新人の擁立ができなければ、いずれは後援会も解散することになる◆選挙が近づけば、この地域には、色んな議員が入り込み、草刈場となってしまうことだろう。寂しい限りだが、それも仕方がないこと。人生は一度限りだ。数年後には、この地を離れて、高森での終の暮らしを夢見る私だ。これまで知り合った方々には、高森での、燻製づくりや木工教室や山菜取りなどに来ていただくよう、案内をしようと思っている。そのためには、せめてあと10回ぐらいは、桜咲く春を迎えたいものだ、と思っている。

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徒然日記 Vol 713

人が痛みを感じた時には・・

 音楽が好きで、若い頃から、ロックやフォークやクラシックやジャズなど、様々な楽曲を聞いてきた。そして、気に入ったフォークなどの曲は、ギターで弾いて歌ったりもしている。しかし、最近の歌手やグループで、よく聴いているのは、竹原ピストルや、洋楽のレディオヘッドやコールドプレイぐらいで、自分で歌いたいと思う曲には出会うことなく、もっぱら20~40年ほど昔の音楽をCDで聴いている◆しかし、久しぶりに心に響く、日本のグループの、素敵な歌に出会った。「できるだけ嘘はないように どんな時も優しくあれるように 人が痛みを感じた時には、自分のことのように思えるように・・・」という歌い出しで始まる「水平線」という歌だ。優しい歌声で歌われる言葉には、迷い悩める若者への、温かなメッセージが込められていて、メロディーも気に入った◆という訳で、一カ月ほどかけて、ギターで歌えるようになった。この間、毎日のように口ずさむほど、好きになった歌だ。そして、そんな歌のイメージと同じような小説にも出会った。「52ヘルツのクジラたち」という本だ。読み始めた夜は、本の世界に入り込み、なかなか本を閉じることができずに、気がつけば、真夜中の2時だった。そして、翌日の夜も読み続けて、300ページ以上の一冊を、二日で読み終えた◆水平線の歌詞の中に「誰の心に残ることも 目に焼き付くことも無い今日も 雑音と靴音の中で 私はここだと叫んでる」というのがある。他のクジラには届かない、高い周波数の52ヘルツの声で歌う孤独な「クジラ」と、歌詞の中の「私」が重なり、本を読んでいて、水平線の歌が、ずっと聞こえていた。そして、70歳の爺さんが、感動して、心が震えて幾度か泣いてしまった。歳を重ねて、久しぶりに出会った、素敵な歌と、小説。そんな出会いに感謝しつつ、今でも心の奥底から感動することができる自分に、驚いている自分がいた。

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徒然日記 Vol 712

白スミレ咲く午後

 今日は春分の日でお休み。お昼前から、スプーンを作るために桧を、糸鋸やドリルを使って加工した。職場の子どもたちはもうすぐ春休みだ。一緒に削ったり磨いたりして、マイスプーンづくりをしようと思っている。スプーンの窪みは、彫刻刀で削る必要がある◆子どもたちの幾人かは削れたとしても、小学校の低学年の子には難しいだろう。その子たちには、私が大まかに削り、サンドペーパーを使って、しっかり磨いてもらおうと思っている◆昨年も、竹を使ってマイ箸づくりをした。子どもたちは思った以上に、熱心に取り組むことができた。今日は、一先ず8本ほど出来上がった。職員分を含めて20本近くを作る予定だ。面倒くさいが、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて頑張らなければ◆寒の戻りか、今日は一日中、冷たい風が吹いていた。鉢植えには、いつか山道から持ち帰った、一輪の白スミレの花が風に揺れていた。

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徒然日記 Vol 711

さらば我が愛車

 先日、10年ほど前に弟から譲り受けたホンダのステップワゴンを処分した。もらった時に走行10万キロを超えていて、その後、次々に故障が続き、相当の費用を払ってきたたものの、通勤や釣りなどで、しっかりと20万キロ以上を走ってくれた。もしかして私の相棒として、連れ合いよりも長い時間を共に過ごしたのかもしれない。さらには、16年以上走っていたスクーターも壊れてしまい、中古を手に入れて、通勤はバイクで、と決めた◆翌日からは、バイクで通勤という休みの日に、あろうことか車が動かなくなった。当初は、単なるバッテリー上がりかと思ったが、ダイナモが壊れていた。いずれは、中古の軽に買い替えようと思って、業者に手配していた矢先のことだ。単なる偶然ではあろうが、「明日からバイク通勤」と決めた前日に、車が動かなくなった◆そして今度は、業者に、廃車するために代車を手配した日に、中古の軽が見つかった、という連絡があった。タイミングよく偶然が重なり、不思議な気分になってしまった。先日の休みは朝早くから起きて、車内の荷物を片付けた。連れ合いの車にブースターを取付けて、エンジンを起こし、最後の数キロ20分程を走り、業者に引き渡した◆業者のガレージには、次に乗る、整備中の中古の軽が停まっていた。一期一会という言葉がある。車は、たかが物ではあるが、永年に渡って愛用すれば愛着がわくものだ。その日は、お世話になった、我が愛車に向かい「ありがとう、さようなら」と、今度の相棒になる中古の軽には「よろしく」と、心の中で呟いて帰って来た。

◆ありがとう、さようなら

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徒然日記 Vol 710

サボテンの花に癒されて

 今年で育て始めて何年目だろうか。3月になると、春を告げるかのように、サボテンにまた今年も花が咲いた。トゲトゲのその姿からは想像できないほどの、小さくて可憐で美しい花が咲いている。二週間ほど前から、頭の周りに小さく赤い蕾が見えていた。そして、美しい花びらに。私の好きな歌手の歌に「美しいと思える心が美しいのだ」の歌詞があり、頭をよぎる。私の心が美しいのかはともかく、トゲトゲの私の心を優しく包み、癒してくれる、この花の美しさは、なんとしよう。

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徒然日記 Vol 709

汽車が走る

 今現在、九州で唯一走っている蒸気機関車が今月末で、運休となる。ということで、3月2日(土)の午前中に、職場の子どもたちと一緒に、最後のSLの走る姿を観てきた。走る汽車を見ながら、遠い日の様々な記憶が蘇った。60数年前の小学2年生だったろうか、写生大会で上熊本駅まで行き、汽車の絵を描いた。その絵で、表彰された記憶がある。同じ頃に、従妹の姉さんと一緒に、母の実家の津奈木で、汽車の発車に乗り遅れて客車に乗れずに、先頭車両のデッキに飛び乗り、トンネルの中で煙にまみれて、息ができずに死にそうになったこと◆高校生の頃、豊肥線を走るSLに乗って、高森の実家に泊まったこと。などを思い出した。そして、名古屋で暮らす大学生の頃に乗った、東京から熊本まで走っていた夜行列車の「急行阿蘇」の記憶も。大学時代に幾度か急行阿蘇に乗り、熊本で乗り換えて鹿児島の実家に帰った。名古屋発が夜の10時ごろだったろうか?そして、鹿児島にはお昼頃に着いていたような◆年末ともなれば、ほとんど満席で、通路から入り口までびっしりと多くの人が立ち尽くして、乗っていた記憶がある。あれは、夏休みのお盆の時期だったろうか、年末と同じように、たくさんの人がひしめき合い、夜中まで座席には座れなかった。それでも、山口あたりで、やっと、四人掛けの椅子に座ることができた。そして、福岡に近づく頃、四人の椅子が二人に。向かいには同世代の女性が座っていた。お互い、相手のシートに足を延ばして座り、いつしか会話が弾んだ◆その女性は、東京の病院で看護師として働いていて、長崎に里帰りをし、その後、九州を旅する、と話した。別れ際に私の住所と電話番号を渡した。後日、夏の日の午後に彼女が私の実家を訪ねて来た。その日は、一緒に近くの川まで歩いて行き、川の中に膝まで入り、水を掛け合ったりした。あの夏の日の午後の晴れ渡った夏の空の入道雲や、水面の輝きは覚えているが、彼女とどんな話をしたのかは、記憶が無い。そして、その後、二年ほど文通をした。走り去る汽車を見ながら、もう二度と、汽車に乗ることも、その走る姿も見ることはできないかもしれない、と思う。寂しいけれども、懐かしいいくつかの記憶の中で、いつまでも汽車は走り続け、汽笛とレールの音と共に、その時々の景色や、出会った人たちを、私は、けっして忘れることはないだろう。

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徒然日記 Vol 708

海っぺたで釣りと一人キャンプ

 私の休みは毎週日曜日と火曜日。今週は、月曜日に休みをもらい、久々の三連休。日曜日の夕方は、自治会の会議があったので、月曜日の昼前から天草に釣行し、龍ヶ岳の海岸沿いで翌日の午前中まで釣りをした。天気は晴れだったものの、風が強くて、釣りにならず、翌日も何も釣れなかった。昼前に納竿して、天草市本渡の「一紅」というお店の味噌ラーメンを食べて帰路についた。いつもは、昼前に温泉に入った後に、お昼の味噌ラーメン、という行程だったが、今回は魚の姿を見たくて、釣りに時間をかけてしまい、温泉には入れずじまいだった。永年釣りをしてきて、これまで、外道のフグやベラを含めて一匹も釣れないなんて、ほとんどなかった。孫のN美には「爺ちゃん天草まで何しに行ってきたの?」と言われてしまった。私は、負け惜しみに、「次のために撒き餌をしてきたんだ」と言うしかなかった。何も釣れなかったとしても、美しい海や星空を見ながらの釣りと一人キャンプの静かな時間は、私にとっては至福のひとときなのだから、それでいいのだ。にしても、今度、釣行するときは、天気だけでなく風も読まなければ、と深く反省するばかりだ。

 ↓ 一人キャンプの食卓

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徒然日記 Vol 707

時は過ぎて

 誰もが、そうであるように、休みの日の時間のたつのが早いこと。そして、歳を重ねるにつれて、一年の過ぎることの早きことよ。今日も休みの一日、八時ごろから起きて、あれもこれもと計画を立てて過ごしたものの、あっという間に一日が終わってしまった。朝から、アップルパイとミートパイを作り、お世話になった知人に届けて、職場で子どもたちと作る予定の、ぶんぶんゴマとヘリコプターの材料の準備で、一日が終わった◆夕方から温泉にも行く予定ではあったが、時間が足りずに行けなかった。日中は、2月だというのに20度以上の気温だった。今日一日、全国規模で、2月の最高気温を更新した地域がいくつもあり、暑いほどの一日だった。梅の花は満開で春はもうすぐ。梅の花を見ると、毎年、思い出すことがある。私が40代の頃にわが家の前にも、春ともなれば梅の花が咲き誇っていた◆ある休日のその日も、いつものようにご近所の知り合いのSさんが、わが家の前を散歩されていた。私が声をかけると、Sさんが「この梅の花を見るたびに、あ~今年も綺麗な梅の花を見ることができて嬉しくなる。でも、あと何回この花を見ることができるんだろうとも思ってしまう」と言われた。その時は、「そうですか」と相づちを打ち、何となく聞いていたものだ◆そして、時は過ぎて30年余。いざ自分があの時のSさんの年齢に近づいてみると、あの時のSさんの言葉が、今になってしみじみと思い起こされて、心に染み入る。梅の花の後には、もうすぐ、桜も咲くだろう。私は、美しい季節の花たちを、あと何回見ることができるんだろう?と思う。人生や美しきものなどへの「いとおしい」という思いや言葉の意味が、今になってやっと、わかりかけたような気がする。

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徒然日記 Vol 706

子どもらに教えられ Vol 3

 年齢や性別などに関係なく、誰しもが何かしらのストレスを抱えて生きている。私の職場の子どもたちも、自分自身の障がいや、一人親の家庭環境など様々なハンディキャップを持ちながらも、勉強や暮らしなど、その子なりに精一杯に頑張っている。毎日、学校から帰って来て、うがいや手洗いをして、宿題に取り組み、工作や運動などの毎日の療育にも、きちんと熱心に取り組む子どもたちの姿に、元気をもらう自分がいる◆K君は小学校一年生で、入学当初は、学校生活に慣れず、先生の言うことが聞けず、「いやだいやだ」と言って、ひっくり返ったり机を倒したりしていた。最近は「いやだいやだ」は時々あるものの、以前のようなわがままは少なくなった。そんなK君を学校まで迎えに行き、教室の入り口で待っていると、挨拶もせずに、荷物を持ってきて「おい持ってけ、ふくなが~」などと言う◆「そっでよかったいね。知らんバイ」と私が言うと「ごめんなさい。持ってください」と言い直す。生意気で頑固だが、素直で可愛い一面もある。職場に向かう車中では、いつも「今日は宿題をするまで何分休憩ですか?」と聞くことにしている。彼の答えはいつも「110分」。車中で粘り強く交渉をして、休憩を20分や30分で、何とか納得してもらっている。ある時、中一のS君と一緒に自宅に送る時、車中で私とK君が話をしていると、S君が「二人で話をするから、ラジオの音楽が聞こえないよ。黙って」と言った。するとK君はすかさず「先生と二人で話をしているのにS君が同じようなことを言われたらどんな気持ちになる?」と聞いた◆S君は、口答えもせず黙っていた。子どもたちは色んな一面を持っている個性的な存在だ。パニックになり「私は泣いていない」と泣き叫ぶ小一のKさん。落ち着いている時は、得意な紙の工作で上手にコップやポットやケーキなどが作れる。宿題も運動なども持ち前の負けん気で、しっかり頑張る小二のSさん。しかし、ゲームなどで他の子に負けたりすると、この世の終わりかのように泣いてしまう。口が悪く、いつも一人で遊び、ほとんど療育に参加しない小四のS君だが、計算や太鼓の達人だ。人は、私も含めて相手の欠点にばかり目が行きがちだ。子どもたちの良き所に目を向けて、しっかり褒めて、伸ばしてあげたいものだ。

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