日記・コラム・つぶやき

徒然日記 Vol 313

 

 

なんだかな~

   先日、中一になる孫(男の子)から聞いた面白い話。孫は学校の帰り道で、3~40台の走る男性に、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶した。すると男性からすかさず「こんにちは」と返事が帰って来た。そして、今度は、その男性の後ろを警棒を持った警官が追いかけて来た。という話■そして、孫曰く「あのおっちゃん、きちんと挨拶してくれたから、きっといい人なんだよ」。それにしても、警官に追われる身の者が、余裕をかまして、きちんと挨拶すること自体が考えられないことだ■それにも増して、孫の「挨拶する人はいい人」の発言には、なんだかな~と思ってしまう。情景を思い描けば、チャップリンの映画の一コマのようでもあり、つい笑ってしまう出来事だ。おまわりさんの権威も、挨拶の重さも、えらくどん底近くまで落ち込んだものだ。と変に納得してしまう■孫の話を聞き笑いながらも、「なんだかな~」と思ってしまう。変な世の中になったものだ。

 

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徒然日記 Vol 312

他人事では済まされない

 4月から5月にかけては、校区の様々な団体の総会が開かれている。私も自治会と防犯協会の副会長として、いくつかの総会に参加している。先週は、土日にかけて校区の自治協議会や防犯協会等、四つの総会に出席した。自治会の役員になって、多くの方々によって地域の安全・安心な生活が守られていることを、改めて実感した。しかし、いずれの団体も、その中核を担っているのは、65歳以上の高齢の方がほとんどだ■働き盛りの方々は仕事があり、当然地域の活動の参加の機会は少ないのが現状だ。それでも、PTAや子ども会などで汗している3~40代の方もいらっしゃる。私も、役員として月一回の夜間パトロールや小学校一年生の見守り・廃品回収・どんどや・餅つき等、様々な活動のお手伝いをしている。そんな中、3月末に千葉県我孫市で、ベトナム国籍の小学校三年生の女子が、40代の小学校の保護者会会長に殺されるという事件が起きた■我が孫も同じ三年生だ。子どもたちの命を守る立場の人間が、小学生の子どもを持つ親が、己の欲望を満たすために、いたいけな少女の命を奪った。あまりにもひどすぎる暗澹たる思いにさせる事件だ。先日開かれた校区の役員の集まりで、小・中学校の保護者会長に会った。お二人とも、知人に冗談めかして「あんたは大丈夫だろうね?」と聞かれたらしい。私たちは、保護者の方や、そして、子どもたちにとって信頼される人であらねばならない■今回、千葉県で起きた事件は、冗談や他人事では済まされない事案だ。親による子どもに対する虐待の件数も、全国的に年々上昇している。「監視社会」という言葉があるが、子どもたちを守るために大人同士で監視し合わなければならない時代がやって来ている。今や間違いなく、社会全体が、そして人が疲弊しつつある、と感じるのは私だけだろうか?息苦しく窮屈な世の中になってしまった。だからと言って、溜息を吐くだけでは済まされない。安全・安心な社会づくりのために、あきらめずに地域や議会などでの活動を頑張らなければならない。

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徒然日記 Vol 311

元気をもらって

長い連休が今日で終わった。笑い話で、遊び疲れて家にたどり着いた家族が、皆して「わが家が一番」とため息をつく。だったら、家にじっとして、遊びに行くなよ。という話。私は、家族と宮崎に一泊のキャンプと釣りに行ってきた。あいにくの雨で、キャンセルがあり、広いキャンプ場には私たち家族だけだった。おかげで、ギターを弾いたり、孫たちとゲームしたり、夜遅くまで大いに楽しむことができた。翌朝に海岸を散歩した。朝の7時だというのに、海の中にサーファーが3人ほど波を待っていた。その横では、釣り人もいた。私たちは、近くの堤防で、昼前から夕方まで釣りをして、21時過ぎに帰宅した■翌日の土曜日には、高森のNPO法人「阿蘇フォークスクール」の総会と交流会に会員として参加して来た。10年近くフォークスクール主催で毎年、春と秋に「アート&クラフトフェア」を開いているが、昨年の震災の影響で、道路事情も悪くなり、更に昨年の秋のフェスタ前日には、阿蘇山の噴火もあり、作品を出展する作家もお客さんも激減した。震災後には学校の校舎も平日は閉鎖して、土日だけの開放となった。私は、議員になる前には、二年間ほど教室を借りて作品作りや、親子での木工教室などをしていたが、今では教室を借りる作家さんもいなくなった■夜の交流会では、理事さんたちと、どうしたらお客さんを呼び込むことができるのか、酒を酌み交わしながら語り合った。休日は高森に行く途中の道の駅や、温泉や公園などは多くの人で賑わっているのに、フォーークスクールはひっそりとしている。校舎内には、絵本や木工玩具などもあり、子どもたちを連れて、静かに一日のんびりと過ごせる魅力的な場所なのに誰も来ない■多くの人たちは、遊び道具があり、整備された施設やイベントがある所に集まっていく。混雑していることや、渋滞していることを知っていても、人が集まる。人混みが嫌いな私には理解できない光景だ。高森での交流会の後は、校舎の横に車を停めて、車の中で寝た。翌日は6時過ぎに起きて、運動場で飛行機を飛ばした。そして、地元校区の集まりがあるので、熊本に帰った。連休最後の日とあって、故郷から自宅に向かう、県外のナンバーを付けた車が多く走っていた。私にとって、この連休は、孫たちとしっかり遊ぶことができ、歌も久しぶりに大きな声で歌い、釣りも満喫した。何よりも、美しい山や海の景色を目にし、鳥のさえずりや波の砕ける音などを耳にして、自然から元気をもらった連休だった。また、忙しい日々が続くガンバロウ。

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徒然日記 Vol 310

生きている者として

 分かりきったことだが、命ある者、いつかはその命も尽きるもの。しかし、今年の一月から60代の尊敬すべき先輩方が三人、次々と亡くなり、やりきれない日々を過ごしている。昨年末に元県議の田上(たがみ)さんが、検査入院されていたので、お見舞いに行った。その後「大したことないから心配無きように」と電話があった。その二週間後には、亡くなられた。後から聞いて分かったのは、末期の肝臓がんだったということ。奥様共々、内緒にされていたのだ■田上さんとは、私が県職員労働組合の役員時代からのお付き合いだった。誠実で真面目な方で、県議の頃に政務活動費の領収書の添付が義務付けられていない時代に、「第二の報酬として受け取るわけにはいかない」と、必要な経費以外は返還されていた。多くの県議の中でたった一人の行動だった。そして、4月の初旬には、私の孫がお世話になった保育園の田中園長先生が亡くなった。昨年度は、この三月までの一年間、自治会の役員として一緒に仕事をさせてもらった。先生は数年来、癌と闘っている身でありながら「地域への最後のご奉公」などと冗談めかして話をされていた。3月末の自治会役員のお別れ会では、孫育ての相談をして、温かく、そして的確な回答をいただいた。今にして思えば、その言葉が私にとっての遺言になってしまった■そして、先日には、元市議会議員の東さんが突然亡くなった。東さんの市議挑戦の時は、現職の田上県議と東候補を連れて、職場や地域を引き回した。その後、西県議を後継として、西・東のコンビでの選挙も共に戦った。元保健師で真面目で熱い方だった。彼女が、三期目の市議選挑戦を断念したことにより、私に市議選立候補の話があった、ということで縁が深い方だ。昨年から月に一回のペースで仲間4人集まり、飲みながら、色々と助言をいただいた。前回の集まりの時には、元保健師でありながら「私は病院には行かない。病院に行くと病気が見つかるだけ」と言われていた。議員を辞めた後は、大学での講師や地域の自治会長として忙しく活動されていた。たぶん、どこか不調があったはずだが、症状が出て一日我慢して病院に行き、その数時間後に脳内出血で亡くなられた■三人の方々は、いずれも60代後半で、我が身を顧みず、これまで人のため地域のためと働いてきた方々だ。そんな素晴らしい方々が、人生これからという時に亡くなられた。私は、生きている者として、シッカリと先輩方の遺志を継いで生きなければ、と思っている。しかしあまりにも若くしての死去に、悔やんでも悔やみきれないし、ご家族の悲しみはいかほどかと、身につまされて、やり切れなくなる。つい弱気になり「次の選挙は出ないとこうかな」などと、思ってしまう。しかし、三人の先輩たちの笑顔が見える、そして「なんば言いよっとね。まだまだ頑張らなんタイ」という声が聞こえてくる。

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徒然日記 Vol 309

ため息しか出ない

 いつだったか、車を走らせていたら、目の前の車の運転席から紙くずを捨てていた。「あ~あ~」と思ったら、その後も煙草の吸殻や紙袋などをポンポンと捨てていた。軽の車で、運転席と助手席に若い男性らしき者が二人◼️いつだったかは、信号待ちの時に、煙草の灰皿を道路にひっくり返す人や、空き缶を空き地に投げる人などを見たことがある。スピード違反や駐車違反などは取り締まれるが、車からの物捨ての取り締まりは、所詮無理なこと◼️しかし、運転しながら物をむやみにどこそこに捨てる神経には、いささか頭にくるし、あまりにもひどいやり方に呆れてしまう。私が見たのは、きっと若者だろうが、彼らが親になり子どもを持つことを考えると、ゾッとする。そして「世も末だな」「何かできないかな」とも思うが、どうしたものか?きっと彼らの心は汚れていても、車の中は綺麗なんだろう◼️今度同じようなことがあったら、その車を追い越して、事前に準備したゴミ類を運転席からドカドカと投げ捨ててみようか、などと思うが、同じ土俵に上がるわけにはいかない。してはいけないことを平然とやってのける、彼らのやり口に腹を立てながら、ため息しか出ない私がいる。

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徒然日記 Vol 308

あれから一年
   14日に中学校時代の友人Kさん(女性)からメールが届いた。「震災から一年、その後元気にしていますか?頑張ってください」という主旨のメールだった。Kさんは、震災後に自費で支援の物資を色々と送ってくれた人だ。彼女とは、高校時代に一度会った後、ずっと疎遠にしていた。私が2006年に北海道をめざして旅をしていた時に、友人を通して彼女の所在が分かり、東京の彼女の職場を訪ねて再会した■その後、彼女が仕事で熊本に来た時には、同窓生を集めて旧交を温めた。以後、年賀状のやり取りをしていた。震災時は、すぐに連絡があり、必要な物の確認があり、ライトやおむつや、ジュースなどのたくさんの支援物資を三回に分けて届けてくれた■遠く離れていても、そして何十年も過ぎて、私や熊本の事を思っていてくれることに、どれだけ感謝しても感謝し足りない。震災後には、Kさん以外にも、小学校の避難所に支援物資を運んでくれた岐阜のNさんから、二度にわたり支援物資をいただいた。その後も、大学時代の友人が二組、熊本まで来てくれたし、北海道の友人からは見舞金まで届いた■これらの多くの人の善意の支援物資は、校区の避難所の人たちに配布した。混乱の中にあり、多くの人の物心両面の支援により、あの震災を乗り切ることができたと思っている。震災を経験して「寄り添う」「お互い様」という言葉が、心に重く響く。今後、助けてくれた多くの人たちに何かあったら、恩返しの意味でも、できるだけのことはしなければならないと思っている。

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徒然日記 Vol 307

助けて~

 先週は、埼玉から来た弟と甥っ子での湯布院の旅行の後、女の子の孫を除く家族5名がインフルエンザB型に感染してしまった。あれから一週間、ほぼ全員共に熱は下がったが、母と私は未だ鼻声で、完治できないでいる。一番症状がきつかった日の夜は、熱が9度台まで上がり、熱にうなされて、地獄に引きづりこまれる夢を見たようだ■中学生になる孫によると「じいちゃん夜中に『助けてくれー』って叫んどったけん」とのこと。布団の中で、身の置き所もなく悪夢にうなされていたようだ。一週間、寝込んでいた間に、世の中はすっかりの春の様子。車で走る久しぶりの街並みは、桜が満開に。その景色は、風邪で霞がかかった頭にも、スッキリと美しく飛び込んでくる■当たり前のことだが、春が来れば、やがて梅雨が来て、そして暑い夏がやって来る。歳を経るごとに、四季の移り変わりが身に染むようになってくるものだ。この先、あと何回の春を迎えることができるのだろうか?元気なうちに、しっかりと春の息吹を身体全体に感じていようと思う。

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徒然日記 Vol 306

孫たちに救われる日々

 この春に中学生になる孫(男の子)と小3になる孫(女の子)の話は面白い。夕食の時などに、学校での出来事などの話を聞いていて、腹を抱えて笑うことが多い。そんな、孫の話の中から、今回いくつか紹介したい。3月末の土日にかけて、埼玉に住む私の弟と甥っ子が来て、家族と一緒に湯布院に行くことになった。出発の三日前ぐらいに、二人に湯布院行きの準備がどこまでできているか聞いた。かったりの女の子の孫は、「後は着替えを入れるだけ」と答えた。のんびり屋の男の子の孫は「心の準備」と答えた■二つ目の話は、女の子の孫の話。ある日、夕食の後に私の膝の上に乗って来た。いつものように頬っぺたにチュッとしようとしたら、とても嫌がるので「なんで?」と聞くと「今日はそんな気分じゃない」と答える。めげずに「じゃ~明日は?」と聞くと、「明日にならんとわからん」とのたまう。私は泣きそうになりながらも笑ってしまった■もう一つの話は、性の目覚めの話。その話は、男の子の孫から聞いた。「僕は目覚めとらんけど。A君は目覚めとるバイ」の話から始まった。A君の頭の中は、異性である女性のことでいっぱいとのこと。ある日、先生が配ったプリントの問題に対してのA君の答えが凄い。第一問「好きな遊びは?」の答え「女遊び」。第二問「得意なことは?」の答え「ナンパ」。第三問「100万円あったら何に使う?」の答え「オ〇ナを買う」とのこと■よく聞くと、その答えを書いた後に、消しゴムで消して、きちんと真面目な答えを書いたらしい。それにしても、すべての事を女性のことに結びつけてしまう発想が面白い。確かに私自身も、性に目覚める頃のある時期の頭の中は、ほとんどが女性に関することだけだったような。しかし、時代もあるだろうが、ひとり悶々としてあまり表面に出すことはなかった。だから、孫たちの、あっけらかんとした表現にとまいどう私だ。毎日のように、色々なことがあり疲れて自宅に帰り着く日々が多く、ストレスが溜まる。そんな日々の中、孫たちの話や笑顔に救われる私がいる。

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徒然日記 Vol 305

目を閉じれば・・

 この季節になると、いつも大学時代のことが思い起こされる。懐かしくもあり、ほろ苦い思い出だ。大学2年の21歳のちょうど今頃で、40年以上も前のことだ。3月の初めころから、土方のバイトをしていて、コツコツと働く私の姿が、現場の大将に気に入られて、静岡県の山奥の「日本教」という教団の敷地内の工事現場に行くことになった。その後、今度は千頭という小さな町での、ボーリング工事の助手として、4月の末まで小さな民宿に泊まり込み、日曜日と雨の日以外は、毎日山奥まで車で行き、歩いて現場に行き、働いた■ちょうどその頃は3年生に進むための教科の選択等の手続きをしなければならない時期だったが、失恋もして、大学に行くことの意味も見いだせず、ただただ、肉体労働の汗にまみれた日々を過ごしていた。今でも付き合っている同級生のFさんが、当時私のことを心配して、次学年に上がるための手続きを代行してくれた。おかげで、その後、単位がひとつだけ不足して、一年留年したものの、無事卒業ができて今に至る。あの頃は、失恋に伴って、人生について相当深く悩んでいた時期だった。今にして思えば、あの時に、悶々としつつも深く深く自分のことや将来などに対して考えたことで、青年期から大人になる大きな転換点だったのかもしれない■40年以上も経った今でも、目を閉じれば、あの頃の光景をいくつも思い浮かべることができる。千頭まで走る小さな汽車の窓から見た、緑色の大井川と深い森の景色。千頭の駅から民宿に向かう真っ暗な夜の雨の中、歩いていた道の足元に飛び出してきた、でっかい蛙に驚いた時のこと。仕事帰りに歩くトンネルの小さくて白くて遠い出口。山全体にこだまする、キッキッキというヒグラシの声。作業の途中に、急斜面の崖の木の枝につかまっての排便の後、斜面を転がる自分のうんちに、一人笑ったこと。作業に熱中している時、風に舞って目の前を通り過ぎる桜の花びらを目にして、やっと桜が満開であることに気付いた瞬間の驚き。その驚きは、遠くの桜並木の美しさと、季節の移ろいに気づかないほど、周りを見ていなかった自分への驚きだった■人は打ちのめされたり、何かに没頭したりすれば、周りが見えなくなる。その後も、私は40代の県職の組合の書記長時代の9年間に、また同じように、季節の移ろいや、花や景色の美しさに気づかない日々を過ごしたものだ。今は、これらの経験を糧にして、余裕を持って生きているつもりだ。しかし、あと何年生きるかわからないが、周りが見えなくなる時が、もう一度やってきたら、私はどうやって乗り越えるのだろうか?きっと、遠くに行き、また自分を見つめる旅に出るのだろうか?いつの日か悩むことなく、楽しい旅に出られることを夢見て、これから先、肩の力を抜いて生きていこうと思う。

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徒然日記 Vol 304

挨拶して殴られる!?

 森友学園の動向や、自衛隊の南スーダンPKOの日報の隠蔽疑惑等のニュースを見ながら、腐った政治の裏側が透けて見えて嫌になる。今回の森友学園の問題や日報隠蔽の動きは、真実を隠そうとする大きな力、政治力が働いていることは間違いないと、国民の多くが思っていることだろう。そして、自己保身に走り、誠意もない心無き政治家の嘘にも飽き飽きしてしまう。そして、この国はどこへ向かおうとしているのかと、暗澹たる思いになってしまう■そんな気分で迎えた朝に、新聞を開くと、「路上で中学生殴る」の見出しが目に入る。玉名郡内の歩道で中学生が下校中にすれ違った男性(38)に「こんにちは」と挨拶したら、「なんで挨拶するのか」と言って殴られたという事件だ。朝から、更に気分の悪くなる記事だった。現在、どこの小学校や中学校でも「挨拶運動」が行われている。人間関係は、挨拶から始まる■それなのに、挨拶して殴られるとは、何ということだろう。きっと、殴られた中学生は、体の傷は癒えても心に傷を負い、もう二度と知らない人には挨拶をしないかもしれない。私の孫たちも、とても挨拶が上手だ。特に6年生の孫は、温泉に行ったり、散歩をしていても、しっかりと知らない人たちにも挨拶をする■私は孫たちに、この事件のことを伝えて「知ってる人と、優しそうな人だけに挨拶しようかね」と言ってしまった。しかし、優しそうな人とそうじゃない人の、見分け方がきちんとできればいいいけれど・・・と思い。「知ってる人だけに挨拶しようか」と言い直した。孫は「じゃ~〇〇のおばちゃんだけには忘れずにきちんと挨拶せないかん」と言う。私も「そら~○○のおばちゃんに挨拶せんならば殴らるっバイ」と、笑った。それにしても、なんという世の中になってしまったのだろうか。

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