日記・コラム・つぶやき

徒然日記 Vol 316

カッコウ派

 皆さんはカッコウという鳥をご存知でしょうか?オスは「カッコウカッコウ」と森の中でのどかに鳴いているが、メスのカッコウはというと、「托卵」という驚くような生態を持っている。カッコウは自分では卵を温めずに、オオヨシキリやホオジロやモズなどの他の鳥の巣に卵を産み落とす■その際、数合わせにその鳥の卵を減らすそうだ。そして、カッコウのヒナが生まれると、そのヒナは他の卵を巣の外に押し出すという。その後、オオヨシキリなどの鳥は、自分よりも大きなカッコウのヒナに、せっせと餌を運ぶ。人間界でも、ずるい奴もいるものだが、カッコウは親子して、なんともすさまじく凄い■話は変わるが、自民党の驕りの政治が続いている。以前の自民党には、タカ派とハト派がいて、良識ある自民党議員もいた。しかし、今やほとんどの議員が、安部総理の言いなりで、右向け右で、なんとも嘆かわしく恐ろしい状況だ■先日、組合の役員による松野代議士を囲む会があった。最後に挨拶をする機会があり、カッコウの生態を話した後に「松野さんには、この際、自民党に入っていただき『カッコウ派』を作り、いずれは自民党を乗っ取って、今の政治を変えてほしい」という話をした。えらく受けた。しかし、冗談ではなく、今のままヒットラーの時のような政治が続くと、この国の未来は、本当にヤバいのだ。

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徒然日記 Vol 315

この国はどこへ

 最近、アルコールの量が増えて眠れない。何故ならば、国会がヤバいから。安倍総理をはじめとする官僚の答弁の、あいまいさや稚拙さ、そして誠意のない言葉の羅列に、腹が立ち酒が進み、そして眠れなくなる■共謀罪の法案も、きちんと議論されないままに、強行採決された。近頃では、あまり政治の話をしなかった地域の方たちも、今の政治に対して「おかしいよね」「ヤバいよね」との声を上げている■秋口には衆議院解散総選挙があるだろう。今のままでは、政治不信がなお一層高まり、あきらめが蔓延し、選挙に行く人が減るかもしれない。この国はどこへ行こうとしているのか?その進路を決めるのは、私たち有権者だ■おかしいよね、ヤバいよねの声をもっと広げて、政治の流れを変えないと、いつか来た道を歩くことになる。中一の孫の言う「安倍さんって戦争大好きだってね」の言葉が、重くのしかかる。酒を飲んで、ため息をつくのではなく、あきらめずに行動するしかない。

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徒然日記 Vol 314

恋無き世代

 先日、東京での研修会に参加してきた。テーマは、人口減少対策についてだった。講演の中で、複数の大学教授が「人口減少の対策は、手遅れ」との指摘があった。少子化対策として、婚活を推進して今の独身の男女の結婚率が高まったにしても、その二人の子どもたちが大人になるのには20年以上かかる。ましてや、今の若者たちは、結婚願望が低く、その願望があったにしても、低賃金で働いていて結婚して生活できる環境にない。というのが、主な主張だった■特に印象に残ったのが、「草食系男子」と言う言葉に表れるように、私たちが若者だった時代に比べて、男女の恋愛自体が成立しない時代になっている、というもの。男女の性体験自体も比率として減少しているらしい。同僚の若手議員に聞けば、今の多くの若者は、異性間で、ちゃんづけで多くの人と付き合っていても、それは友だちとしての関係で、それ以上でも以下でもないことが多い、とのこと。私の若い頃には、考えられないような男女間の姿が、今あるようだ■恋をして、ときめいて、胸を熱くするようなこともない、多くの若者たち。異性を求めない、恋愛を面倒と思う、中性化してしまった男と女たちが増加しているようだ。子どもが生まれてこない社会が、このまま続けば、この国は大変なことになってしまう。今や「子どもは国の宝」という言葉は死語になった。国の宝がいなくなれば、その国自体の存続の危機だ■東京の研修を終えて、「人口減少社会の対策としての特効薬はない」と認識した。では、どうしたらいいのだろう?まずは低賃金で働かせることが当たり前の、労働者を大切にしない社会のありようを変えなければならない。さらには、子育て環境の整備として、保育や教育費の無償化や子育てしやすい環境を創り出さなければならない。と思う。しかし、環境がいくら整っても恋無き世代の意識を変えないと、結婚する人は増加しないだろう。だからといって、「恋をしなさい」という教育は「産めよ増やせよ」の国策に通じているようで、決してやるべきことではない。それにしても、変な時代になったものだ。

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徒然日記 Vol 313

 

 

なんだかな~

   先日、中一になる孫(男の子)から聞いた面白い話。孫は学校の帰り道で、3~40台の走る男性に、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶した。すると男性からすかさず「こんにちは」と返事が帰って来た。そして、今度は、その男性の後ろを警棒を持った警官が追いかけて来た。という話■そして、孫曰く「あのおっちゃん、きちんと挨拶してくれたから、きっといい人なんだよ」。それにしても、警官に追われる身の者が、余裕をかまして、きちんと挨拶すること自体が考えられないことだ■それにも増して、孫の「挨拶する人はいい人」の発言には、なんだかな~と思ってしまう。情景を思い描けば、チャップリンの映画の一コマのようでもあり、つい笑ってしまう出来事だ。おまわりさんの権威も、挨拶の重さも、えらくどん底近くまで落ち込んだものだ。と変に納得してしまう■孫の話を聞き笑いながらも、「なんだかな~」と思ってしまう。変な世の中になったものだ。

 

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徒然日記 Vol 312

他人事では済まされない

 4月から5月にかけては、校区の様々な団体の総会が開かれている。私も自治会と防犯協会の副会長として、いくつかの総会に参加している。先週は、土日にかけて校区の自治協議会や防犯協会等、四つの総会に出席した。自治会の役員になって、多くの方々によって地域の安全・安心な生活が守られていることを、改めて実感した。しかし、いずれの団体も、その中核を担っているのは、65歳以上の高齢の方がほとんどだ■働き盛りの方々は仕事があり、当然地域の活動の参加の機会は少ないのが現状だ。それでも、PTAや子ども会などで汗している3~40代の方もいらっしゃる。私も、役員として月一回の夜間パトロールや小学校一年生の見守り・廃品回収・どんどや・餅つき等、様々な活動のお手伝いをしている。そんな中、3月末に千葉県我孫市で、ベトナム国籍の小学校三年生の女子が、40代の小学校の保護者会会長に殺されるという事件が起きた■我が孫も同じ三年生だ。子どもたちの命を守る立場の人間が、小学生の子どもを持つ親が、己の欲望を満たすために、いたいけな少女の命を奪った。あまりにもひどすぎる暗澹たる思いにさせる事件だ。先日開かれた校区の役員の集まりで、小・中学校の保護者会長に会った。お二人とも、知人に冗談めかして「あんたは大丈夫だろうね?」と聞かれたらしい。私たちは、保護者の方や、そして、子どもたちにとって信頼される人であらねばならない■今回、千葉県で起きた事件は、冗談や他人事では済まされない事案だ。親による子どもに対する虐待の件数も、全国的に年々上昇している。「監視社会」という言葉があるが、子どもたちを守るために大人同士で監視し合わなければならない時代がやって来ている。今や間違いなく、社会全体が、そして人が疲弊しつつある、と感じるのは私だけだろうか?息苦しく窮屈な世の中になってしまった。だからと言って、溜息を吐くだけでは済まされない。安全・安心な社会づくりのために、あきらめずに地域や議会などでの活動を頑張らなければならない。

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徒然日記 Vol 311

元気をもらって

長い連休が今日で終わった。笑い話で、遊び疲れて家にたどり着いた家族が、皆して「わが家が一番」とため息をつく。だったら、家にじっとして、遊びに行くなよ。という話。私は、家族と宮崎に一泊のキャンプと釣りに行ってきた。あいにくの雨で、キャンセルがあり、広いキャンプ場には私たち家族だけだった。おかげで、ギターを弾いたり、孫たちとゲームしたり、夜遅くまで大いに楽しむことができた。翌朝に海岸を散歩した。朝の7時だというのに、海の中にサーファーが3人ほど波を待っていた。その横では、釣り人もいた。私たちは、近くの堤防で、昼前から夕方まで釣りをして、21時過ぎに帰宅した■翌日の土曜日には、高森のNPO法人「阿蘇フォークスクール」の総会と交流会に会員として参加して来た。10年近くフォークスクール主催で毎年、春と秋に「アート&クラフトフェア」を開いているが、昨年の震災の影響で、道路事情も悪くなり、更に昨年の秋のフェスタ前日には、阿蘇山の噴火もあり、作品を出展する作家もお客さんも激減した。震災後には学校の校舎も平日は閉鎖して、土日だけの開放となった。私は、議員になる前には、二年間ほど教室を借りて作品作りや、親子での木工教室などをしていたが、今では教室を借りる作家さんもいなくなった■夜の交流会では、理事さんたちと、どうしたらお客さんを呼び込むことができるのか、酒を酌み交わしながら語り合った。休日は高森に行く途中の道の駅や、温泉や公園などは多くの人で賑わっているのに、フォーークスクールはひっそりとしている。校舎内には、絵本や木工玩具などもあり、子どもたちを連れて、静かに一日のんびりと過ごせる魅力的な場所なのに誰も来ない■多くの人たちは、遊び道具があり、整備された施設やイベントがある所に集まっていく。混雑していることや、渋滞していることを知っていても、人が集まる。人混みが嫌いな私には理解できない光景だ。高森での交流会の後は、校舎の横に車を停めて、車の中で寝た。翌日は6時過ぎに起きて、運動場で飛行機を飛ばした。そして、地元校区の集まりがあるので、熊本に帰った。連休最後の日とあって、故郷から自宅に向かう、県外のナンバーを付けた車が多く走っていた。私にとって、この連休は、孫たちとしっかり遊ぶことができ、歌も久しぶりに大きな声で歌い、釣りも満喫した。何よりも、美しい山や海の景色を目にし、鳥のさえずりや波の砕ける音などを耳にして、自然から元気をもらった連休だった。また、忙しい日々が続くガンバロウ。

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徒然日記 Vol 310

生きている者として

 分かりきったことだが、命ある者、いつかはその命も尽きるもの。しかし、今年の一月から60代の尊敬すべき先輩方が三人、次々と亡くなり、やりきれない日々を過ごしている。昨年末に元県議の田上(たがみ)さんが、検査入院されていたので、お見舞いに行った。その後「大したことないから心配無きように」と電話があった。その二週間後には、亡くなられた。後から聞いて分かったのは、末期の肝臓がんだったということ。奥様共々、内緒にされていたのだ■田上さんとは、私が県職員労働組合の役員時代からのお付き合いだった。誠実で真面目な方で、県議の頃に政務活動費の領収書の添付が義務付けられていない時代に、「第二の報酬として受け取るわけにはいかない」と、必要な経費以外は返還されていた。多くの県議の中でたった一人の行動だった。そして、4月の初旬には、私の孫がお世話になった保育園の田中園長先生が亡くなった。昨年度は、この三月までの一年間、自治会の役員として一緒に仕事をさせてもらった。先生は数年来、癌と闘っている身でありながら「地域への最後のご奉公」などと冗談めかして話をされていた。3月末の自治会役員のお別れ会では、孫育ての相談をして、温かく、そして的確な回答をいただいた。今にして思えば、その言葉が私にとっての遺言になってしまった■そして、先日には、元市議会議員の東さんが突然亡くなった。東さんの市議挑戦の時は、現職の田上県議と東候補を連れて、職場や地域を引き回した。その後、西県議を後継として、西・東のコンビでの選挙も共に戦った。元保健師で真面目で熱い方だった。彼女が、三期目の市議選挑戦を断念したことにより、私に市議選立候補の話があった、ということで縁が深い方だ。昨年から月に一回のペースで仲間4人集まり、飲みながら、色々と助言をいただいた。前回の集まりの時には、元保健師でありながら「私は病院には行かない。病院に行くと病気が見つかるだけ」と言われていた。議員を辞めた後は、大学での講師や地域の自治会長として忙しく活動されていた。たぶん、どこか不調があったはずだが、症状が出て一日我慢して病院に行き、その数時間後に脳内出血で亡くなられた■三人の方々は、いずれも60代後半で、我が身を顧みず、これまで人のため地域のためと働いてきた方々だ。そんな素晴らしい方々が、人生これからという時に亡くなられた。私は、生きている者として、シッカリと先輩方の遺志を継いで生きなければ、と思っている。しかしあまりにも若くしての死去に、悔やんでも悔やみきれないし、ご家族の悲しみはいかほどかと、身につまされて、やり切れなくなる。つい弱気になり「次の選挙は出ないとこうかな」などと、思ってしまう。しかし、三人の先輩たちの笑顔が見える、そして「なんば言いよっとね。まだまだ頑張らなんタイ」という声が聞こえてくる。

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徒然日記 Vol 309

ため息しか出ない

 いつだったか、車を走らせていたら、目の前の車の運転席から紙くずを捨てていた。「あ~あ~」と思ったら、その後も煙草の吸殻や紙袋などをポンポンと捨てていた。軽の車で、運転席と助手席に若い男性らしき者が二人◼️いつだったかは、信号待ちの時に、煙草の灰皿を道路にひっくり返す人や、空き缶を空き地に投げる人などを見たことがある。スピード違反や駐車違反などは取り締まれるが、車からの物捨ての取り締まりは、所詮無理なこと◼️しかし、運転しながら物をむやみにどこそこに捨てる神経には、いささか頭にくるし、あまりにもひどいやり方に呆れてしまう。私が見たのは、きっと若者だろうが、彼らが親になり子どもを持つことを考えると、ゾッとする。そして「世も末だな」「何かできないかな」とも思うが、どうしたものか?きっと彼らの心は汚れていても、車の中は綺麗なんだろう◼️今度同じようなことがあったら、その車を追い越して、事前に準備したゴミ類を運転席からドカドカと投げ捨ててみようか、などと思うが、同じ土俵に上がるわけにはいかない。してはいけないことを平然とやってのける、彼らのやり口に腹を立てながら、ため息しか出ない私がいる。

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徒然日記 Vol 308

あれから一年
   14日に中学校時代の友人Kさん(女性)からメールが届いた。「震災から一年、その後元気にしていますか?頑張ってください」という主旨のメールだった。Kさんは、震災後に自費で支援の物資を色々と送ってくれた人だ。彼女とは、高校時代に一度会った後、ずっと疎遠にしていた。私が2006年に北海道をめざして旅をしていた時に、友人を通して彼女の所在が分かり、東京の彼女の職場を訪ねて再会した■その後、彼女が仕事で熊本に来た時には、同窓生を集めて旧交を温めた。以後、年賀状のやり取りをしていた。震災時は、すぐに連絡があり、必要な物の確認があり、ライトやおむつや、ジュースなどのたくさんの支援物資を三回に分けて届けてくれた■遠く離れていても、そして何十年も過ぎて、私や熊本の事を思っていてくれることに、どれだけ感謝しても感謝し足りない。震災後には、Kさん以外にも、小学校の避難所に支援物資を運んでくれた岐阜のNさんから、二度にわたり支援物資をいただいた。その後も、大学時代の友人が二組、熊本まで来てくれたし、北海道の友人からは見舞金まで届いた■これらの多くの人の善意の支援物資は、校区の避難所の人たちに配布した。混乱の中にあり、多くの人の物心両面の支援により、あの震災を乗り切ることができたと思っている。震災を経験して「寄り添う」「お互い様」という言葉が、心に重く響く。今後、助けてくれた多くの人たちに何かあったら、恩返しの意味でも、できるだけのことはしなければならないと思っている。

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徒然日記 Vol 307

助けて~

 先週は、埼玉から来た弟と甥っ子での湯布院の旅行の後、女の子の孫を除く家族5名がインフルエンザB型に感染してしまった。あれから一週間、ほぼ全員共に熱は下がったが、母と私は未だ鼻声で、完治できないでいる。一番症状がきつかった日の夜は、熱が9度台まで上がり、熱にうなされて、地獄に引きづりこまれる夢を見たようだ■中学生になる孫によると「じいちゃん夜中に『助けてくれー』って叫んどったけん」とのこと。布団の中で、身の置き所もなく悪夢にうなされていたようだ。一週間、寝込んでいた間に、世の中はすっかりの春の様子。車で走る久しぶりの街並みは、桜が満開に。その景色は、風邪で霞がかかった頭にも、スッキリと美しく飛び込んでくる■当たり前のことだが、春が来れば、やがて梅雨が来て、そして暑い夏がやって来る。歳を経るごとに、四季の移り変わりが身に染むようになってくるものだ。この先、あと何回の春を迎えることができるのだろうか?元気なうちに、しっかりと春の息吹を身体全体に感じていようと思う。

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