日記・コラム・つぶやき

徒然日記 Vol 381

わが家の防災担当

 先日、小4の孫の菜々美が「じいちゃん。10円玉があったらちょうだい」と言う。「なんすると?」と、聞くと、災害に備えて、「携帯が繋がらない時に、公衆電話から電話をかけるため」とのこと■どうやら、1月3日の夕方の地震を受けて、その後、せっせと防災グッズを集めて、バッグに詰め込んでいるようだ。バッグを見ると、軍手や電池、マスク、歯ブラシ、カッターナイフ、シャンプー、リンス、湯たんぽなどが、ぎっしりと詰め込まれていた■きっと、三年前のような地震があっても、大丈夫だろう。中三になる龍斗も、水の備蓄担当で、水が腐らないように定期的に、タンクの水の入れ替えに頑張っている■さしずめ、菜々美が、わが家の防災担当大臣で、龍斗が副大臣。災害は忘れたころにやって来る。家族ぐるみで、協力して、次なる災害に備えなければ、と思う。

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徒然日記 Vol 380

日日是好日

 正月が明けて、忙しい日々を過ごしている。今週は7日間のうち6日間は夕方の集会等があり、飲み会も続く。集まりでは、議員なので様々な方々と話をすることになる。議員としては、北区の方を見つけて支持を訴えることが一番なのかもしれないが、時折、趣味の木工や音楽などの話題で、意気投合する方に出会ったときは、何かしら、得した気持ちになる■先日の教職員の方々の集まりで、「祖父や叔父が津奈木町に住み、教員をしていた」ことを挨拶で話したところ、後から「私も津奈木出身で、福永さんの叔父さんに中学生の時に社会の授業を受けました」という方に出会った■彼は、今、教員をしているが、この春には早期退職して、好きな有機農業の作物のお店を出して生計を立てるとのこと。私の母の同郷でもあり、木工が好きということで、縁を感じて、しばし楽しく酒を酌み交わした■後で分かったのだが、彼の母と私の母が女学校時代に同級生で知人だった。春の選挙が終わったら母と一緒に、お店を訪ねて更に縁を深めたいものだ。選挙活動は、時には辛くなることもあるが、新たな出会いもある中、「日日是好日」という気持ちで、楽しく取り組んでいきたいものだ。

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徒然日記 Vol 379

ガンバロ~  

   今年は選挙の年。正月は、元旦と二日の日をシッカリと休んだ。今日三日は、午後からお世話になった方々へのあいさつ回り。明日からまた、あいさつ回りや辻立ち、集会参加等が続く。多分ほとんど休めない■たまに休むと、ブーイングが起きる。でも、いくらタフな私であっても生身の人間。時には、オフの日がないと、疲れが取れない。昨日は、昼から孫たちと、高森に行ってきた。さすがに阿蘇は寒い。市内が日中9度に対して、高森は4度前後で、庭先のバケツなどの氷が溶けないまま。数時間かけて、昨年結婚した、Мさんへのプレゼント用の、フクロウのキーホルダー掛けを作った■帰りは、高森温泉館で汗を流した。孫たちも、シッカリと遊び、帰って来た。これから三カ月間、忙しい日々が続くが、4月7日の選挙での上位当選をめざしてガンバロ~。それにしても、選挙のための、事務所がまだ見つからない・・・。

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徒然日記 Vol 378

地域の絆で輝く未来を

  市議会議員になって8年目を迎えた。初めての選挙の時は、熊本市が政令指定都市になる前で市内全域の選挙となった。当時の選挙事務所には「地域の絆で輝く未来を」という看板を掲げて戦った。48の議席を66名で争い、私は3505票を獲得し38番目で初当選した。そして、三年前は政令指定都市となり、五つの区割り選挙となった。私の北区は定数10名に対して、10名の立候補しかなくて、無投票で当選した■南区は激戦区で、4千票以上を獲得しても落選する候補者がいた。そのため、北区選出の議員は、陰で「楽勝議員」「棚ぼた議員」などと言われたものだ。でき得れば、キチンと選挙の洗礼を受けて、成績表をもらい、胸を張って二期目を迎えたかった。あれから、三年が過ぎ、来年4月7日には統一自治体選挙が実施される。今回、北区は二名の先輩が引退し、五名が立候補予定で、10名の議席を13名で取り合う選挙となる。3年前に選挙が無かったので、どれだけの票が取れるのかは全く見えない■来年は、この7年間の私の活動の真価が問われる選挙だ。6年前の北九州豪雨災害時は、大きな被害を受けた龍田の通称「琵琶の首」地域を、2週間以上バイクでまわり、被災者の声を行政に繋いだ。そして、やがて三年前となる、熊本地震の際は、近くの公園に車を停めて、寝泊まりして、公園に来られる避難者のお世話や、近隣の地域をまわり、地域の方々の声を行政に繋いだ。震災後は、7月の参院選での「あべ広美候補」の当選に向けて、選対の事務局長としての活動と、震災後の議会での震災対応のための委員会での4回にわたる質問と提言等の取り組みもあり、我が人生で最高に忙しい時期を過ごしたものだ■議会が開催されていない時期も、地域の陳情等を行政に繋ぎ、改善に取り組んできた。よく頑張ったものだ、と自分でも思う。しかし、誰しもが私の活動を知り、評価してくれるとは限らない。今年の春から、来年の選挙に向けての挨拶回りの日々が続く。多くの人が、投票所に足を運び「福永洋一」と書いてくれることを願っている。そして、当選の暁には、真の復旧・復興のために、そして、輝く未来を築くために、更に4年間、奮闘したいと思っている。

 

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徒然日記 Vol 377

議会で質問  
   議員となって二期目で八年目を迎えた。本日、12月議会で八回目となる質問を行った。会派の人数の都合で、議会での登壇しての質問は、各年度に一回のみ。質問をするにあたっては、約三週間ほど前から、担当の課とやり取りをする。議員それぞれ様々な手法があるが、私の場合は、担当の課に質問の骨格を示し、その説明を口頭で行い、以後、同時並行で、私の質問文と執行部の答弁書を作成する、という手順で、進めている■今回は、市の財政の在り方や、将来に向けての人材確保策、公共交通の在り方等、10本の質問を行った。この間、計14か所の担当課とやり取りを行った。議員は一人、相手は課長と副課長等の2~3名。すべての質問のやり取りの相手は、合計で30名近くとなる。質問と答弁が、かみ合えば、2~3回のやり取りで済むが、私から注文を付けて、書き換えを要望したりすると、4~5回も、顔を突き合わせて、すり合わせを行う。今回は、私の質問の内容が、執行部にとって答弁しにくい内容であったり、質問本数を欲張りすぎたために、三週間のほとんど毎日をつぶして、本日の質問を迎えた■3~40年前の議会は、事前の打ち合わせもなく、質問の骨子のみ伝えて、長時間にわたり議場で丁々発止の議論が行われていた。しかし、近年は、ほとんどの議員が事前のすり合わせを行い、質問の当日は、執行部も議員も、すり合わせた原稿を持って、やり取りをする形となっている。古き時代に活躍した、元議員の方に言わせれば「なんじゃ~作文を読み上げる、セレモニーじゃないか」と批判を受ける。確かに、高度成長期時代には、議場でのやり取りで、執行部の前向きな答弁を引き出して、予算措置などの約束を取り付けていたらしい。しかし、それは、市の財政も潤沢で、各局の予算についても一定の裁量権があり、様々な施策が実行できた、良き時代の話だ■現在の議員の質問時間は、執行部の答弁含めて、合計二時間。昨年は、一時間とちょっとで、やり取りが終わったが、今回は、残り三分を残して、質問が終わった。私の質問内容は、すべてが一過性ではなくて、少しずつ歩みを進めている事業や、施策がほとんどだ。最後のあいさつで「未来に希望の持てる市政づくりのための取り組みについて、やり残しがあります。来年もこの場所で質問ができるように頑張りたい」と表明し、二期目最後の質問を終わった。それにしても、長い長い三週間だった。自分自身に、何かしらのご褒美をあげたいくらいに・・・。
↓こんな怖い顔で質問

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徒然日記 Vol 376

真っすぐな瞳の貴方に

 先日、体調を壊して、一日の日程をすべてキャンセルして、自宅でパソコンを叩いていた夕方、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこには、20代とおぼしき美しい女性が二人立っていた。「なんでしょうか?」と聞くと「エホバの証人です。布教活動でご挨拶に伺いました」とのこと。皆さんは、「エホバの証人」という宗教団体は、ご存じだろうか?厳しい戒律に基づいての宗教で、その信者は日本だけでも20万人はいらっしゃるようだ。厳しい戒律の中で、有名なのが「輸血の禁止」だ。この戒律に基づいて、過去、社会的に問題となった事件が二つある■ひとつは、10歳の少年が事故に遭い、両足に大けがを負い、医師は輸血を勧めたが、親が拒否して、治療の甲斐なく、少年が死亡した事件。例え輸血をしても助からなかったということで、親も、医師も罪に問われることは無かった。もう一つは、信者の女性が、輸血をしないことを約束に癌の手術を受けた。しかし、手術中に輸血をしなければ、命に関わると医師は判断し、輸血をした。しかし、その後、信者が輸血の事実を知り、病院を訴えて、患者の意思に反する治療行為を行ったということで、信者が勝訴したという事件。それ以降、医療行為については、医師の判断よりも、患者の意思が尊重されるようになり、尊厳死が認められるようになり、インフォームドコンセントと言われるように、医師として治療内容等を患者に丁寧に説明するようになった■私自身は、宗教を否定するものではないが、輸血を拒否することにより、助かるであろう命を、親の判断で輸血を拒否することで、その子の命を奪うことについては、容認できない。ドアの向こうの、女性に「あなたはいずれ結婚して、子どもを授かるでしょう。ある時、その子が事故に遭い『輸血をしなければ、命が助からない』と言われた時に、あなたは輸血を拒否するんですか?」と聞いた。すると、その女性は真っすぐな瞳で、私を見つめ「輸血はしません」と即答した。私は「命は天の授かりものですよ。そんなのは宗教ではない」と、言って扉を閉めた■現在、多くの病院では、エホバの証人の親が、輸血を拒否しても、中学生以上の子どもについては、その子の意思を尊重して輸血をする場合もあるようだ。では、小学生以下は、親の判断に委ねていいのだろうか?現状でも、その判断基準は明確にはなっていないようだ。ドイツやアメリカでは、信者が子どもの輸血を拒否した時点で、親権者を別に立てて、病院内で裁判が行われる、と聞く。命って何だろう?宗教って何だろう?医学って何だろう?自分自身にも問いながら、そして、真っすぐな瞳の貴方に、問うてみたい。

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徒然日記 Vol 375

たった一人の声だけど・・・
 
 議会は年4回の開催。これまで、議会が終わるたびに、地域の数カ所で、市政報告会を開いてきた。今回は、地元の武蔵校区を含めて、4箇所で報告会を開催して、市政の動きや課題等を報告し、地域の方々の要望や意見も聞いてきた。いずれも、暮らしに関わっての切実な要望や意見があり、そして、簡単に解決できないことが多い■報告会で80代の女性が手を上げて、「個人のことで恐縮ですが困っているので、お話します」とのことで話をされた。内容は「近所の病院に、私も、そして車椅子の夫も通院している。以前までは、病院に行くバスがあったけれど、早朝に一日一本しか走らなくなって、病院の一つ前のバス停で降りて、反対側の歩道に渡り、病院まで車椅子を押している。歩道に行くのに、階段しかなく、遠回りしているので、階段をスロープにしてほしい」という要望だった■ご主人は、要介護度1で介護タクシーの利用ができるが、何回か使ったが、料金はタクシーと変わらず、負担が重く、バスしか使っていない。ということだった。階段をスロープにするのは困難と判断し、後日、市の交通対策課とやり取りをして、バスの増便をお願いしたが、バス事業は人員不足で、一定の利用がなければ、赤字になるために、増便は困難との回答だった■対策としては、地域循環のマイクロバスの配置や、乗り合いタクシーの配置が考えられる。行政が動かなければ、タクシー会社・利用者・病院を交えての話し合いができないものか、と考えている。来月の議会では公共交通のあり方についても、質問をする予定だ。たとえ赤字であっても、地域住民の移動する権利をきちんと保障できる公共交通機関の整備が必要、という主旨で市長答弁を求める。今後、交通弱者を救うための具体化のために、知恵を出して考えていかないと、大変なことになる。地域の病院や商業施設にも行けなくなってしまう交通弱者が増えれば、人が動かなくなり、街が衰退していく。報告会での、たったお一人の声だが、高齢者の代表の声として、きちんと受け止めて、改善に向けて頑張らなければ。

 

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徒然日記 Vol 374

認め合う社会って?
   先日、東京での研修があった。帰りのJRの列車内でビックリすることがあった。私は席に座り、アイパッドを触っていた。隣でスマホでゲームをしていたサラリーマン風の息子ほど(30代)の青年が、突然、大きく甲高い声でサイレンのように「う〜〜」と叫んだ■静かな車内での、その突然の奇声に、私は飛び上がるほど驚いた。しかし、多分、発達障害の方だろうと、そのまま座っていた。そして、二度目の「う〜〜」の声。それでも、私を含めて、その他の乗客も、何事も無かったのようにしていた。ただそれだけの事。私は、よほど彼に「大丈夫?」とか、「どうしたの?」とか、声をかけようと思ったが、やめた■きっと、ゲームに熱中するあまり、心の声が、表に出てしまったのだろう。下車するときに、彼の顔を見ると、落ち着いた表情で目を見開き前を見ていた。私は、彼のそんな姿よりも、より一層気になったのは、乗客の人たちの反応の無さだ。熊本だったら、一斉に彼を見つめ、近くの席にいた人は席を立ったかもしれない。きっと東京には、色んな人がいて、それらの様々な人の言動に対しての耐性が、東京の人にはあるのかもしれない■それとも、驚いていても、平静を装うことが上手いだけのことかもしれない。今でも彼の「う〜〜」という声と、反応の無い乗客の姿が忘れられない。異質なものを、人を、受け入れ認めるという寛容さなのか?異質なものを、人を、受け入れることなく、無視するという無関心さなのか?気になるところだ。お互いを認め合う社会って一体どんな社会なんだろう?そう思った数分の出来事だった。

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徒然日記 Vol 372

武蔵小震災対応訓練を終えて

 10月13()に、小学校と地域との連携での「武蔵小学校震災対応訓練」を実施した。約半年前から、武蔵校区防災員会の委員長として、訓練計画を立てて、委員会のメンバーを中心に準備し、当日は、11時に学校の授業中に、熊本地震本震並みの地震を想定して、避難誘導・炊き出し・配給などの訓練を行った■子どもたちは、防災頭巾をかぶり、運動場に一旦集合し、その後、体育館に集まり、教室に向かう際に飲料水や防災グッズ(ライト・マスク等)を受け取った。当日は、地域の自治会の役員や保護者等、80名ほどが11時過ぎに学校に集合し、アルファー米の炊き出し班と、子どもたちの避難誘導・配給班の、2グループに分かれて、訓練に参加した■午後からは、和水町の歌うママ防災士の柳原さんを招き、防災講話をしてもらった。講座には、子どもたちに保護者や地域の住民の方なども含めて、計800名ほどの参加があった。訓練に参加した子どもたちは、避難もスムーズにできた。防災講話もわかりやすく、参加した子どもたちや保護者の方なども、今後の防災の備え等、大変為になったようだ■何よりも、地域の役員等の協力のもと、お湯を沸かして作ったアルファー米の五目御飯を、子どもたちがお代わりをして食べてくれたことが、一番嬉しかった。もしも、あのような地震が、学校の授業中に起きたら、私たちは、一体何ができるのだろうか?震災の記憶を忘れないために、次なる震災に備えて、大切な命を守るために、皆で協力して、知恵と力を出し合って、今後も訓練を重ねなければと思う。

※なお、余談だが、当日、水道局から学校内に設置の給水タンクの操作説明があった。平常時はタンク内を水が循環し、断水時には遮断されて、4トンの水がタンク内に備蓄される。しかし、申し送りがきちんとできていなかったようで、学校関係者も自治会役員もタンクの存在を知らず、震災時に活用されることなく、死に水となってしまった。

↓運動場に避難

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↓コンロで湯沸し
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↓防災講座
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↓物資の配給

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給水タンクの使用説明

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徒然日記 Vol 371

収穫の喜び

 高森の畑で、将来に備えての野菜づくりの練習をしている。忙しくて手入れができないので、トマトやカボチャ、イチゴ、ブルーベリーなど、あまり手をかけなくていい作物を作ってきた。昨年はサツマイモに挑戦したが、小さいのばかりしか収穫できなかった。今年もめげずに栽培して、先日、収穫してきた。今年は、何が良かったのか分からないが、大きくて量も多く豊作だった。自宅で早速、傷があるものだけ一先ずふかして食べてみた。美味しかった。二カ月ほど貯蔵すれば、より一層甘くなるらしい。土づくりに費やした時間や肥料代などを考えると、買ってきた方がどれだけ安く上がるものか。しかし、自分で育てた作物の味は格別だ。この喜びは、野菜づくりをしたものでなければ分からないだろう。

↓この倍近くを収穫

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