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2025年4月

徒然日記Vol 724 なんて日だ

 町内自治会長を引き受けて、忙しい一年が過ぎ、先日の日曜日には総代会が終わった。その翌日から、1年2カ月ぶりに天草まで一泊二日の車中泊で釣りに行ってきた。昨年は、風が強くて釣りにならず、何も釣れずにボウズ。そして、今回の釣りは、夜釣りに早朝から昼前まで延べ8時間ほど粘るも、またしてもボウズ◆潮も大潮で天気も良かったのに、アタリもなく雑魚も釣れなかった。投げ・カゴ・テンヤ・ルアーなど、餌を変え、投げる場所を変えて色々と試したものの、全く手応え無しだった。近くのルアーやフカセの釣り人もほとんど釣れてなかった◆以前は、年に5〜6回は釣行していたが、ボウズなんて無かった。昼前には納竿し「なんて日だ」と呟きながらも、帰りは、いつものコースで、新和町の隠れた名湯の温泉に入り、本渡町で美味しい味噌ラーメンを食べて帰った◆釣果が無くても、青き空と海、新緑の山々に囲まれて、ただひたすら釣りに没頭して、ゆっくりと過ごす時間は、至福のひと時だ。忙しい日々に心を亡くさぬよう、またの海行きを楽しみに頑張らなければ。

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徒然日記Vol 723 5月の風に吹かれて

 「一番好きな季節は?」そして「それは何月?」と聞かれれば、私は、「春、そして5月」と答えるだろう。4月も残りわずか、5月の連休を楽しみにしている。連休には高森に行き、木こり屋や畑の仕事をしながら、二三日ゆっくりするつもりだ。早朝から作業をして、おやつ時ぐらいからビールを片手にハンモックに寝転び、ぼんやりと過ごせれば、と思っている。小鳥のさえずりを聞きながら、爽やかな5月の風に吹かれて。

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徒然日記Vol 722 春よぉ

 19日(土)の午前中から、職場の子どもたちと高森町のサクラミチに行ってきた。2週間前の平日に花見ツアーで行ったものの、桜は蕾で神社探訪のみで花見はできなかった。という訳で再度、サクラミチを訪ねた。サクラミチのしだれ桜は、先週が満開で葉桜の木も。それでも根子岳を背景に、1キロ以上も続く桜並木の景色は美しい。桜吹雪の中、誰かの歌「春よぉ」が聞こえてくる。

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徒然日記Vol 721  子どもらに教えられVol 4

   一昨年の市議選で4期目に挑戦し、あえなく落選し、縁あってその年の5月から発達障害児のデイで働き始めた。昨年の5月には異動になりバイクで5分の今の現場に異動した。平日の一日と日祭日以外は休み無く働いている。子どもたちは14名の登録で、一日で最大10名を受け入れている。長期の春や夏休みは朝から自宅に迎えに行き、夕方にまた、自宅に送り届ける。学校がある期間は、午後から学校に迎えに行っている◆子どもたちは、小2から高1の男女で、普通学級の子もいれば、支援学級や支援学校に通う子もいる。それぞれに個性豊かな子どもらで、健常児では?と思える子もいれば、言葉が出なくて排泄が自立できていない子もいる。職員は一日勤務の正規が私を入れて4人、週に3日程度で午後から勤務の臨時職員が4人の計8人が配置されている◆4〜50人ほどの子どもらに3〜4人の職員で対応する学童に比べれば、より良い環境だ。毎日、子どもたちのために様々な療育を提供している。療育内容は、集団でのゲームや個別の訓練など様々だ。週に2回は近隣の公園に散歩に行ったりもしている。子どもたちには、それぞれに個別支援学計画が立てられて、その計画内容を職員で共有して、子どもたちの成長の手助けをしている◆私は、これまでの経験を活かして、特に木工作業を通した療育に取り組んでいる。竹や木材を使って、箸やスプーン、竹トンボ、風車、楽器などを子どもらと作ってきた。作業はペーパーがけやノコギリを使っての切断、ドリルを使っての穴開けなど様々だ。子どもたちそれぞれの能力に合わせた作業を提供し、作業を通し、手先の訓練や集中力や持続力を高めることを狙っている。ある子は、機械が好きで、今、ドリルや糸鋸盤の操作が一人でできるようにと取り組んでいる。今後、子どもたちの力を借りて、私のオリジナルの作品をたくさん作り、その作品を秋の高森でのアート&クラフトフェアに出展する予定だ。そして、その売り上げの一部を、子どもらのオヤツ代などに還元できれば、と思っている。

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徒然日記Vol 720 孫の笑える話

 今回は20歳になる孫R男のお話し。彼は生まれついての天然で、子どもの時から今に至るまで、彼にまつわる面白い話がたくさんある。今は、コメダ珈琲で働いているが、一昨年の春に高校を卒業して昨年の春まで、市内の有名な老舗の洋菓子店のカフェで働いていた。高校時代にラーメン店でのバイトの経験もあり、調理師の免許も持っているので、厨房に立ち、レジ打ちや接客もできるとあって、カフェでは毎日のように残業させられ、安い給料でこき使われたようだ◆その頃の話を二つ、そして今のコメダ珈琲での話を二つ。カフェでの話の一つ目は、注文のシェイクをお客さまに出す時に何故か「お待たせしましたマックシェイクです」と言ってしまったという話。お客さんは「えっ?」孫はすかさず「シェイクです。失礼しました」で終わったらしい◆二つ目の話は、お客さんから「お冷やをください」と言われるたびに何回も「あちらでセルフでお願いします」と答えていた。そして、あるお客さんから今度は「トイレはどこですか?」と聞かれた。孫はすかさず「あちらでセルフでお願いします」と答えた。コメダ珈琲の話の一つ目の話は、同僚の女性が「怒らないから私って幾つに見えるか正直に答えて」と言われて、孫は、『40代に見えるけど若く言わなければ』と「30代半ば」と答えた。彼女は25歳だった。その後、彼女との関係は、どうなったのか私は知らない◆二つ目の話は、コメダ珈琲に前の職場の社長と奥さんが偶然やって来たらしい。同僚が気を使い「注文は俺が」と言ってくれたが孫は「何も悪いことはしてないので僕が行きます」と、たじろぐことなく注文を取り、注文の品を運んだ。そして、レジで支払いをする社長から「君は福永君だろ?」と聞かれた。孫は「いいえ僕は清水です。高校を卒業して2年間この店で働いてます」と答えた。笑える話がてんこ盛りではあるが、いつの日か、お客さんなどとトラぶりはしないかと、心配の日々だ。

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徒然日記Vol 719 懐かしき人たちよ

 4月12日(土)の夜、高校時代の弓道部の仲間たちとの飲み会があった。卒業してからの50年以上、5〜10年越しに同期の仲間と後輩たちと会って親交を深めてきた。そんな中、53年ぶりにAさんと再会した。Aさんは、私が高3の時に中3で、3歳年下だ。あの頃、丸顔の童顔の可愛いかった彼は、私と同じように禿げ上がり、すっかり老人に。それでも、酒を酌み交わし、昔話に盛り上がる頃には、私も彼も昔の顔になり50年以上をタイムスリップ。私は、あの頃の懐かしき景色や人たちなどを思い出して、泣きそうになる。また、3年後の再会を約束して、固い握手をして別れた。俺は死なない。皆も死ぬなよ。

◆私は前列右から2番目

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徒然日記 Vol 718 あれから1年

 昨年の4月から色んなことがあった。その内の3点について、ご報告。

◯昨年5月に職場を異動して「リアンくすのき」に。自宅からバイクで5分。個性豊かな子どもらに囲まれて、楽しく過ごして、やがて一年。いずれ子どもたちとの日々を、お知らせしたい。

◯昨年の4月から校区の自治会会長で頑張ってきた。休みの日は、ほとんど自治会の仕事に追われている。副会長から10年以上の自治会。3年後の75歳の年には辞めるつもりだ。

◯ブラックなカフェで働いていた孫は、昨年の春に仕事を辞め、その後、コメダ珈琲に就職。コメダは時間外は無くて、ブラックなカフェに比べ、給与も待遇も良く、先輩は優しく、楽しく働いている。一年もたっていないのに店長候補に選ばれて、福岡で研修を受けるようだ。20歳になったばかりの孫は「最低・最悪の職場を経験したから、この先どこでも大丈夫」などと言っている。

◆今年も咲いた          

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徒然日記 Vol 717 なんだった?

   ブログを書き込むのに何回も何回も挑戦し、できなかったのに、何故か今日から書き込みがOKになった。「利用が無ければ、あと数日で今後の新規の記事は掲載不可」の通知があってのこと。何はともあれ良かった。また、思い出して読んでもらえれば幸いなり〜。

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徒然日記 Vol 716 お久しぶり〜

 パソコンが昨年の春に壊れて、ブログが書けなくなった。新たに記事を作成しようにもパスワードやユーザー名が分からないまま、ブログが書けず今日に至った。1年かけてやっと、スマホで打ち込みができるところまで辿り着いた。この記事が、きちんと表記され、また、以前の読み手に届くのかは未だ不明なり。にしても、一年ぶりのブログ、ちゃんと届いてほしいものだ。

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