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2024年3月

徒然日記 Vol 712

白スミレ咲く午後

 今日は春分の日でお休み。お昼前から、スプーンを作るために桧を、糸鋸やドリルを使って加工した。職場の子どもたちはもうすぐ春休みだ。一緒に削ったり磨いたりして、マイスプーンづくりをしようと思っている。スプーンの窪みは、彫刻刀で削る必要がある◆子どもたちの幾人かは削れたとしても、小学校の低学年の子には難しいだろう。その子たちには、私が大まかに削り、サンドペーパーを使って、しっかり磨いてもらおうと思っている◆昨年も、竹を使ってマイ箸づくりをした。子どもたちは思った以上に、熱心に取り組むことができた。今日は、一先ず8本ほど出来上がった。職員分を含めて20本近くを作る予定だ。面倒くさいが、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて頑張らなければ◆寒の戻りか、今日は一日中、冷たい風が吹いていた。鉢植えには、いつか山道から持ち帰った、一輪の白スミレの花が風に揺れていた。

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徒然日記 Vol 711

さらば我が愛車

 先日、10年ほど前に弟から譲り受けたホンダのステップワゴンを処分した。もらった時に走行10万キロを超えていて、その後、次々に故障が続き、相当の費用を払ってきたたものの、通勤や釣りなどで、しっかりと20万キロ以上を走ってくれた。もしかして私の相棒として、連れ合いよりも長い時間を共に過ごしたのかもしれない。さらには、16年以上走っていたスクーターも壊れてしまい、中古を手に入れて、通勤はバイクで、と決めた◆翌日からは、バイクで通勤という休みの日に、あろうことか車が動かなくなった。当初は、単なるバッテリー上がりかと思ったが、ダイナモが壊れていた。いずれは、中古の軽に買い替えようと思って、業者に手配していた矢先のことだ。単なる偶然ではあろうが、「明日からバイク通勤」と決めた前日に、車が動かなくなった◆そして今度は、業者に、廃車するために代車を手配した日に、中古の軽が見つかった、という連絡があった。タイミングよく偶然が重なり、不思議な気分になってしまった。先日の休みは朝早くから起きて、車内の荷物を片付けた。連れ合いの車にブースターを取付けて、エンジンを起こし、最後の数キロ20分程を走り、業者に引き渡した◆業者のガレージには、次に乗る、整備中の中古の軽が停まっていた。一期一会という言葉がある。車は、たかが物ではあるが、永年に渡って愛用すれば愛着がわくものだ。その日は、お世話になった、我が愛車に向かい「ありがとう、さようなら」と、今度の相棒になる中古の軽には「よろしく」と、心の中で呟いて帰って来た。

◆ありがとう、さようなら

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徒然日記 Vol 710

サボテンの花に癒されて

 今年で育て始めて何年目だろうか。3月になると、春を告げるかのように、サボテンにまた今年も花が咲いた。トゲトゲのその姿からは想像できないほどの、小さくて可憐で美しい花が咲いている。二週間ほど前から、頭の周りに小さく赤い蕾が見えていた。そして、美しい花びらに。私の好きな歌手の歌に「美しいと思える心が美しいのだ」の歌詞があり、頭をよぎる。私の心が美しいのかはともかく、トゲトゲの私の心を優しく包み、癒してくれる、この花の美しさは、なんとしよう。

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徒然日記 Vol 709

汽車が走る

 今現在、九州で唯一走っている蒸気機関車が今月末で、運休となる。ということで、3月2日(土)の午前中に、職場の子どもたちと一緒に、最後のSLの走る姿を観てきた。走る汽車を見ながら、遠い日の様々な記憶が蘇った。60数年前の小学2年生だったろうか、写生大会で上熊本駅まで行き、汽車の絵を描いた。その絵で、表彰された記憶がある。同じ頃に、従妹の姉さんと一緒に、母の実家の津奈木で、汽車の発車に乗り遅れて客車に乗れずに、先頭車両のデッキに飛び乗り、トンネルの中で煙にまみれて、息ができずに死にそうになったこと◆高校生の頃、豊肥線を走るSLに乗って、高森の実家に泊まったこと。などを思い出した。そして、名古屋で暮らす大学生の頃に乗った、東京から熊本まで走っていた夜行列車の「急行阿蘇」の記憶も。大学時代に幾度か急行阿蘇に乗り、熊本で乗り換えて鹿児島の実家に帰った。名古屋発が夜の10時ごろだったろうか?そして、鹿児島にはお昼頃に着いていたような◆年末ともなれば、ほとんど満席で、通路から入り口までびっしりと多くの人が立ち尽くして、乗っていた記憶がある。あれは、夏休みのお盆の時期だったろうか、年末と同じように、たくさんの人がひしめき合い、夜中まで座席には座れなかった。それでも、山口あたりで、やっと、四人掛けの椅子に座ることができた。そして、福岡に近づく頃、四人の椅子が二人に。向かいには同世代の女性が座っていた。お互い、相手のシートに足を延ばして座り、いつしか会話が弾んだ◆その女性は、東京の病院で看護師として働いていて、長崎に里帰りをし、その後、九州を旅する、と話した。別れ際に私の住所と電話番号を渡した。後日、夏の日の午後に彼女が私の実家を訪ねて来た。その日は、一緒に近くの川まで歩いて行き、川の中に膝まで入り、水を掛け合ったりした。あの夏の日の午後の晴れ渡った夏の空の入道雲や、水面の輝きは覚えているが、彼女とどんな話をしたのかは、記憶が無い。そして、その後、二年ほど文通をした。走り去る汽車を見ながら、もう二度と、汽車に乗ることも、その走る姿も見ることはできないかもしれない、と思う。寂しいけれども、懐かしいいくつかの記憶の中で、いつまでも汽車は走り続け、汽笛とレールの音と共に、その時々の景色や、出会った人たちを、私は、けっして忘れることはないだろう。

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