2023年8月
徒然日記 Vol 672
「自分のために生きたら」
あの、4月の選挙に敗れて4カ月が過ぎた。今でも、多くの方々から様々なお声掛けをいただく。「残念だったね」「次も出るんでしょう?」「元気ですか?」など。先日は、私が不在の時に、近くにお住いの高齢の女性Kさんが、自宅を訪ね、「投票したのに残念でした。また頑張ってほしい」と、ハウスみかんを持参された◆翌日、お礼に行ってきた。「わざわざ挨拶に来られるなんて、ありがとうございます」の声に、思わず「頑張ります」と答える私がいた。今では、敗戦のショックから立ち直り、障がい児のデイで働き、一人ひとりの子どもたちに必死に向き合う毎日だ。なのに、市議会議員としてやり残した事があり、時折、「何で負けてしまったんだろう」などと悔やむ自分がいる◆今では、革靴を履くことも、ネクタイを締めることも、そして、様々な陳情を聞くことも無くなり、殆んどストレスを感じることが無く過ごしていることに気づかされる。寂しくもあるが、心身ともに、充実した日々を送っている。それでも、「また、頑張ってほしい」と言われる方たちがいらっしゃる◆四年後の選挙に私が出なければ、この地域は草刈り場と化してしまう。そして、せっかく築いてきた支持者の方たちとの絆が無くなってしまう。しかし、先の選挙を見る限り、いくら実績があったにしても、選挙の時には73歳となる高齢の私の返り咲きは、非常に難しいことだと思っている。今になって、三年前に亡くなった弟の生前の「兄貴、議員はもういいんじゃ、今からは人のためじゃなく自分のために生きたら」の言葉が心に響く。
徒然日記 Vol 671
母が見た原爆の雲
79年前の8月9日に長崎に原爆が落とされた日、母は13歳。当時、母は津奈木(熊本県)の中学生(当時は女学校)で、その日は、皆で近くの山に登っていた◆そして、頂上付近で長崎に落とされた原爆の雲を、見たという。引率の先生の指示で、すぐに草むらに避難したらしい。しかし、その異様な雲が、原爆と知らされるのは、戦後のことだ◆母も含めて、その雲の下に住む7万人以上の人々が犠牲になったとは、その時には誰も知らなかったことだ。あの悲惨な戦争から、やがて80年となろうとしている◆戦中を生きた人たちは、今や身近にはいらっしゃらない。そして、私を含めて戦争を知らない世代が、殆んどになってしまった。それでも私たちは、戦争の悲惨さを忘れてはならない。平和な日本を思う時、この日々の暮らしが、なお一層愛おしく、大切に生きなければ、と思う。
最近のコメント