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徒然日記 Vol 642

ありがとう、さようなら

 また、私の知り合いが続けて二人、亡くなってしまった。先週、私の組合時代にお世話になった80代の組合書記のHさんが亡くなった。選挙の日程上、通夜も葬儀も行くことが叶わなかった。そして、昨日は、私が県の職員組合の書記長時代の頃の20年以上前に知り合った、市職労のHさんが59歳の若さで亡くなってしまった。当時、書記長の私が教宣(教育宣伝:組合員に組合の活動等を知らせる情報紙を創ること)の神様と思うぐらいに尊敬していたAさんが、ある日「僕の後継だ、よろしく」と紹介されたのがHさんだった。ところが、Aさんの横に座るHさんは、テーブルによりかかるように肘をついて座り、そして「なんもわかりまっせんばってん適当に頑張ります」の挨拶◆そのふてぶてしく投げやりな態度と言葉に、私はつい腹を立ててしまった。「教宣のプロのAさんがあなたのことを『私の後継』と言ってらっしゃるのに、Aさんにも私に対しても、あまりにやる気のない失礼な態度では」と叱ってしまった。その後、私が12年前に議員になってからのことだ。彼は私に会うなり、その、叱られた時の話をした。「覚えてますか?福永さん。当時は、すごく頭にきて福永さんのことを、いつか見返してやるという思いだった。あれから教宣も頑張って、今は講師として教えたりもしているし、市職労の役職にもついている。今になって思うのは、あの時、福永さんに叱られなければ、今の僕は無かったと思っています、感謝してます」とまで言ってくれた◆彼は、音楽が好きで、作詞作曲もし、熊本市にもいくつかの楽曲を提供し、子どもバンドの育成にも努め、PTAの活動も頑張っていた。しかし、5年ほど前に癌を患い、入退院を繰り返し、一時期は髪も抜け落ちたものの、昨年末は「もう大丈夫です。完治しました」と嬉しそうに報告してくれて安心した。ところが、今年になり癌を再発しての突然の死だ。私の弟が3年前に癌で亡くなった。弟が生きている時の闘病の姿や生き様を、彼に伝え、幾度も励ましてきた。通夜の席には、多くの人たちが訪れ、弔問の車は斎場だけでは入ることができず、会場はごった返し、会場に入れずにいる人たちが受付前に数十人も並んでいた。香典返しも不足し、組合の仲間も手伝い、あわてて準備されていた◆闘病生活を支えるのは「家族だよ」と助言したのに、彼曰く「ケジメです」ということで、癌の発病の年に奥さんとは別れ、一人で暮らしていたようだ。親族の席には、彼の30歳前後の子どもたちだけが座っていた。彼らは、我が父親の死を悼み駆けつけてくれる人が、どれほど多くいるのかを知らなかったようだ。そして、彼らは、約300名ほどの弔問の人たちの姿を見て、皆から愛され、慕われていた父親がいたことを、今夜、初めて知ったことだろう。私は、あまりにも、早い彼の死に戸惑つつ、そして、子どもたちが父親のことをあまりにも知らないことに、なお一層、悲しくなってしまった。棺桶の中の彼の顔を見て別れた。「福永さん選挙の真っただ中なのに何でここにおると?なんばしよっとですか!選挙の方が大事でしょうもん」と言っているようだった。ありがとう、さようならHさん、あなたを忘れない。

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