徒然日記 Vol 638
コロナ禍で失ったもの・・・
新型コロナウイルスの感染が始まって、三年が過ぎた。ここにきて、やっと感染者が減り、やがて収束に向かうのかと、期待をしている。先日から、マスク着用は個人の判断となり、5月の連休以降は、インフルエンザ並みの第5類として位置づけられる。今のところ、未だ安心できずに、マスク着用をしている人が、ほとんどだ◆いずれは、以前のような日常が戻ってくると信じてはいるが、いつかまた変異株が現れて、感染が拡大するかもしれない。それにしても、三年前には、こんなにも永くコロナ禍が続くとは、誰も思ってはいなかったことだろう。当たり前の日常の暮らしが、これほどにも大切なものだということを、全ての人たちが心に刻んだ、三年間だった◆そして、コロナ禍になって、私たちの社会は大きな変化を余儀なくされた。特に、子どもたち等の学習や、大人たちの働き方については、IT化により、家庭で対応できるようになった。さらには、地域での対面式の訪問や、大多数の集会やイベントごとなどが見直されるようになった。懸念されるのは、マスクをつけての会話や、IT化による、人間関係の希薄化と、孤立・孤独化だ◆特に、個人主義の人たちにとっては、コロナ禍の暮らしこそが、ある意味、干渉されることが少なくなり、楽だったのではないだろうか。自治会等の行事が、ほとんど中止になったことにより、地域の中からは、「行事が無くても何も変わらないのであれば、いっそのことすべての行事を見直してはどうか」という声が上がっている。生身の人間同士の豊かな温かな触れ合いの場が無くなり、電話やスマホやパソコンなどで事足りてしまう、世の中になってしまった。そのことが、コロナ禍でなお一層、加速されたようだ。この、三年間のコロナ禍で得たものもあったかもしれないが、それ以上に、多くの人たちが、人と触れ合うことの大切さを失ってしまったような気がする。そう思うのは、私だけ?
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