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2022年3月

徒然日記 Vol 579

月日は流れて

 今から25年前の1997年12月に、現場を離れて県職員労働組合の書記長に就任し、途中で県を退職し、離籍専従として9年間務めた。本来であれば、60歳まで働かなければならなかったものの、色々あって中途で辞めた。途中で辞めなければ、などと思う時もあるが、きっと、メンタルで潰れるか、身体を壊していただろう。当時は、バブルがはじけて、民間企業が厳しい中で、身分も賃金も安定した公務員に対する攻撃が激しかった。人員削減が進み、賃金は毎年据え置きかマイナスで、公務員にとっての冬の時代だった◆書記長になって二年目には、財政難を理由とした賃金カットの提案を受けた。賃金カットをめぐり人事課の担当者と、交渉に向けての事前折衝を幾度となく重ねて、押したり引いたりの綱引きが続いた。当局と組合の立場ではあったものの、交渉等のやり等を含めて、妥結に至るまで、お互い知恵を出し合い、苦労をした。ということで、お互い、苦労しあった戦友のような気持ちで、私が書記長を辞するときも、人事課の面々で送別会をしていただいた。当時の担当者とは、今でも懇意にさせてもらい、私の工房「木こり屋」を出店するイベントにも顔を見せてもらったりしている◆そのうちのお二人のうち、Oさんは、以後、総務部長となり、現在は退職後に県人事委員会の委員を務めていらっしゃる。そして、もうお一人のHさんは、今回の県の人事異動で、総務部長に就任された。早速メールで「いずれ総務部長に、と思っていました。おめでとう。身体に気を付けて頑張って」と伝えた。返事には「身に余る重責で緊張してます」とあった。総務部長は、県の人事や財政等を預かる行政の要の職だ◆年末には、県関係の公務員の労働組合組織で構成する、県公労と、賃金労働条件等に関わっての交渉をしなければならない。私も当時、その県公労の事務局長として、賃金カットの交渉等含めて、歴代の総務部長とやり取りをしてきた。25年後の今、Hさんには、総務部長として、立場は違っても、現場の実態を知り、職員に優しい対応を望むところだ。それにしても、過ぎてしまえば、月日の流れることの、なんと早かったことか。この数日、良い天気が続き、桜は満開で、花びらが風に舞っている。あと何回、美しき桜を愛でることができるのだろうか、と思う。

↓大津町 1.5㌔続く桜並木

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徒然日記 Vol 578

頑張らねば

 市議会議員になって現在三期目で、4月には12年目を迎える。そして、来年の春には選挙が実施される。私は、今年で69歳となるが、もう一度挑戦しようと思っている。前回の選挙では、北区10名の定数に12名が立候補し、私は3776票の得票で5番目での当選を果たすことができた。ただし、5番目といっても、10番目の得票とは337票の差しかなく、私を含めた五人は、ほぼ横一線だ◆選挙に勝利するためには、近隣への挨拶回りや、市政報告会の開催、市議会だよりの配布等、なお一層の取り組みを強化しなければならない。今回の選挙では、私の住む同じ町内から私を別にして、元市議と新人の二名が立候補の予定。更には、先日、議員定数の見直しがされて、議員総数は変わらないものの、五つの区の内、中央区・南区が一名増で、東区と北区は一名減となった。という訳で、今までの選挙の中では、一番厳しい状況だ◆この、11年間で多くの人たちと出会い、支持をいただいてきた。災害があるたびに、現場を回り、お話を聞き、改善に向けて取り組んできた。街づくりでは、道路や公園や、街路樹等に関わっての多くの陳情を受けて、行政に繋いできた。議会では、特に福祉や教育の施策の充実に向けて、質問や提言を行ってきた◆だからといって、楽に当選できるはずもないのが選挙だ。ちなみに、市議選の投票率は、40%台で推移し、前回は41.66%だった。実に、市民の半数以上の人たちが棄権しているのだ。政治に無関心な人たちや政治をあきらめた人たちに、政治に目を向けてもらう取り組みも必要だ。頑張らねば。

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徒然日記 Vol 577

当たり前の暮らしが・・・

 世界規模での、このコロナ禍の中、ロシアの武力侵攻により、ウクライナでは無差別での攻撃を受け、多くの市民の命が奪われている。国外への避難民は、400万人以上と聞く。戦火の中で、避難せずに街に残る人や、避難したくともできない人も、多数いらっしゃる。和平交渉も継続しているものの、未だ進展がない。ロシアのやり口に、ただただ憤るだけの身としては、対話による早期の停戦が実現することを望むばかりだ◆この日本では、先日は、宮城県を中心に、最大震度6強の地震があり。犠牲者も出て、今もなお、数万人の人たちが、水も電気もガスも無い、不便な生活を強いられている。今、ウクライナの人たちや、宮城県などの地震の被害にあった人たちのことを思う時、私たちは、当たり前だと思っている、平和や、安全・安心な暮らしの大切さを、改めて噛みしめなければならない◆今日は、春分の日で、彼岸の入り。朝からご近所の方から、おはぎをいただいた。午後からは、家族で墓参りに行ってきた。私たち以外の墓前にも、季節の美しい花々が飾られていた。お墓の前で、手を合わせて、コロナは別にして「今の当たり前の暮らしが続くように」と、父や叔父や叔母や弟たちに、願ってきた。お墓の向こうから「俺たちは神様じゃないし」と、弟たちの声がしたような・・・。

↓ 白スミレ

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↓ レンギョウ

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徒然日記 Vol 576

災害は忘れてなくてもやって来る

 先日、宮城県を中心に最大震度6強の地震があった。3/11東日本大震災から11年。地元の方々は、同じような時期に「またか」という思いで、さぞや肝を冷やされたことだろう。私自身も、熊本地震の本震の夜は、疲れ果てて、リビングで一人寝ていて、今回と同じ程度の、震度6強の揺れを体験した。逃げることもできず、ただただ、恐怖におののきながら、食器棚から落ちてくるコップや皿を、揺れが収まるまで毛布をかぶって受け止めていた◆今回の地震では、幾人かの犠牲者が出た。新幹線も走行中に脱線した。急停止して、難を逃れて大惨事にならなくてよかった。阪神大震災では、大規模火災で、東日本大震災では津波で、多くの尊い命が奪われた。今回の地震の報を受けて、火災や津波を、そして原発被害などを心配したが、杞憂に終わり安心した。それでも、不幸にも亡くなった方々がいらっしゃる。心から冥福を祈りたい◆犠牲者は少なかったものの、今もなお、ライフラインの水や電気がストップして、不便な生活を強いられている人たちが数万人規模でいらっしゃる。熊本地震でも同じような体験した者として、他人事では済まされない。日本は地震国で、仕方がないことではあるものの、この近年、大きな地震の頻度が増えているように感じる。ましてや、同じような所で、同じような時期に再び地震が発生した。この先、熊本も6年前と同じような規模の地震があるかもしれず、安心できない◆地殻変動は、地球規模でいえば、小さな場所での小さなプレートの小さな移動でしかない。しかし、地球の上で生きる人間は、砂山の、アリンコのような存在でしかなく、ひとたび地震があれば、大きな被害と犠牲を強いられる。「災害は忘れた頃にやって来る」と言われる。しかし、今回の地震は、11年前に東日本大震災を体験し、その追悼の日を過ぎて、その記憶を忘れていない人々の地域で再び起こった。今や「忘れないでいれば、災害は来ない」とは、ならないのだ。遠い地の人の苦労を、そして災害の怖さを忘れずに、きちんと備えを怠らないようにしなければと、改めて思う。

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徒然日記 Vol 575

12回目の質問に立つ

 3月7日に12回目の質問に立った。質問と執行部の答弁の時間が決まっているのだが、これまでに、与えられた時間よりも早く終わったり、時間内ですべての質問が終わることができないなど、時間配分がうまくいかないことが多かった。ということで、今回は私の質問と、執行部の予定する答弁内容を、数回にわたり読み合わせて、往復60分間で終わることを確認して、質問に立った。しかし、事前の準備もむなしく、今回は、時間が足りずに、最後の質問は要望に代えて終わってしまった◆その理由は、教育長の答弁が気に入らず、少し熱くなりすぎて、答弁後の私の返しの意見なり要望に時間を多く使ってしまったからだ。執行部の答弁の内容は、担当の課が作成し、答弁する市長や局長、教育長が目を通す。教育長には、部活動の指針の徹底や、教科書や教材が重すぎるので、子どもたちの通学時の負担の軽減を図るために取り組むこと、不登校児の対策等の質問をした◆いずれも実態を知らせ、改善を求めたが、教育長の答弁では、部活動については「問題があれば改善する」教材等の重さについては「実態については詳しくは知らない」と、極めて当事者としての意識が低かった。ということで、「教育長は問題意識が低すぎる」と批判して、部活動の指針が守られていない現場や、教科書や教材の重さで、多くの子どもたちの登下校時での負担になっているかの実態を、詳しく知らせた◆質問が終わり控室に帰ると、教育長が待っていた。教育長からは「問題があれば改善する」「実態を知らない」という答弁の謝罪と、市長が「今後、教科書等を軽くするために予算をつけて取り組みましょう」と言った、という報告だった。私が、声を荒げて熱く語ったことで、やっと問題意識を持ってくれたようだ。ただし、今後、教育長のもと教育委員会が具体化に向けて、どれだけ真剣に取り組むのか、予算措置をどう行うのか等、注視していかなければならない。余談だが、熱く語った後の登壇時に、次の質問を書いたペーパーを忘れ「すみません。質問文を忘れました」と言って、質問者の席に走って戻った。議場から、どっと笑い声が上がった。同僚議員からは「笑いを取るために、わざと忘れたんでしょ」と言われてしまった。議員になって10年以上というのに、時間配分の下手くそさも含めて、我ながら呆れてしまう。

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徒然日記 Vol 574

他人事では済まされない/ウクライナ難民支援カンパ活動

 ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まり、2週間が過ぎた。ロシア軍の無差別の攻撃で、民間人含めて多くの犠牲者が生まれている。そして、女性や子どもたち等、国外に200万人ほどの人たちが難民として逃げている。初めての和平交渉が先日行われたものの、平行線に終わり、停戦に向けての話し合いは、次回に持ち越された◆そんな中、3月9・10日の両日、夕方から下通りの入り口で30分間だけだが、立憲民主党熊本県連の呼びかけで、難民支援のためのカンパ活動が実施された。立憲民主党としての全国規模での取り組みで、県議・市議などが集まり、私も、参加した。道行く多くの方々が、足を止めてお金を入れてくれた。何も言わずに1万円札を入れていく高齢の女性や、財布から千円札を出して「お疲れさま」と言って立ち去る30代ほどの男性。若者たちも、立ち止まってお金を入れてくれた◆両日で11万円以上もの善意のカンパが集まった。カンパのお金は、国連の難民支援の担当部署に送られることになっている。誰しもが、今回の軍事侵攻には、大いなる恐怖を感じ、他人事では済まされないこととして、関心が高いようだ。特に、戦争を知らない若者たちのカンパには、胸が熱くなった。世界中で、平和を願ってのデモや集会等が行われている。しかし、日本の愚かな一部の政治家たちが、「日本も核を保有すべきだ」など声を上げている◆今こそ、平和のために、日本としてできることを議論すべき時に、戦争自体を容認するような危険な発想だ。カンパをしてくれる若者たちを見ながら「私たちは若者を二度と戦場に送ってはならない」と、改めて思う。テレビでの、ロシア・ウクライナ双方の攻撃の様子や、がれきと化したビル街や、河を渡るウクライナ難民の人たちの姿などを見ながら、身につまされ、背中が寒くなる。他人事では済まされないと、つくづく思う。戦争は、あさましく愚かな殺人と破壊行為でしかなく、何も生み出しはしない。今後、早期に、両国により、対話にもとづいての、平和に向けての良識ある交渉の進展を望むばかりだ。

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徒然日記 Vol 573

コタツムリ?!

 日本晴れの、とても良い天気の土曜日の昼下がり。中学生・高校生の孫二人は、起き抜けのパジャマ姿のままで、ずっとコタツに張り付いたまま。中学生のN美は、コタツから頭だけ出して、テレビやスマホを見たりして過ごしていた。私が「君はコタツの番人か?」と突っ込むと「ハイ。私はコタツムリです」と答える。思わず笑ってしまった◆3月7日には、まん延防止措置が解除されるかと期待していたものの、九州では熊本県だけが、更に二週間の延長となった。県知事も市長も、市民に対して外出自粛等を呼びかけている中、感染者は毎日500人前後で推移し、一向に減少する気配が見えない。飲食店は、引き続いての時短営業を行っていて、夜の人流は確かに減少しているようだ。しかし、昼間のデパートなどの商業施設に行けば、結構な人で賑わっている◆これまで、コタツムリのように家に閉じこもっていた市民は、春の陽気に誘われるように、もぞもぞと外に向けて動き出しているようだ。皆さん方、感染への恐れもありながらも、コロナに比べてオミクロン株は感染しても軽症で終わることを知り、以前に比べて動き回っているようだ◆コロナ禍に見舞われて丸二年が過ぎた。マスク無しの当たり前の生活が懐かしい。人間たちはコロナ禍で苦しんでいるというのに、季節はきちんと移り変わり、季節の花々はいつものように美しく咲き、私たちの心を癒してくれる。私たち人間は、自然の恵みに感謝しなければと、改めて思う。

 

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