2021年11月
徒然日記 Vol 552
苦しいこともあるたもた
三人の男兄弟の長男に生まれて、68年。下の二人は順番を間違えて、僕より早く逝ってしまった。時々、二人が何故この世にいないのかと切なくなり、胸の中をザワザワと風が吹く。それでも、二人との楽しかったことを懐かしく思い出したりして、この先、二人の分まで生きてやろうと思う◆すぐ下の弟とは、歳も近かったこともあり、子ども時代は、よく取っ組み合いの喧嘩をしたものだ。それでも、兄弟だから、いつの間にか仲直りしていた。彼は音楽が好きで、ギターも私より早く覚えて、当時のフォークソングなどを演奏し歌っていた。私が高校生の夏休みに、彼から吉田拓郎の「ある雨の日の情景」のイントロ部分の演奏を教わった。三日間みっちり教え込まれて、彼並みに弾けるようになり、一緒に演奏し歌ったものだ。今思えば、彼と一番親しく楽しく過ごした日々だった◆一昨年亡くなった5歳下の弟は、歳も離れていて一緒に暮らした年数も少なく、ほとんど喧嘩もしたことが無かった。彼は子どもの頃から几帳面で、ひょうきん者だった。彼が小学2年生の頃だったろうか、くだらぬダジャレを言ったりして、家族を笑わせながらトイレに入った。その後、ギャーという叫び声。慌ててチャックを締めて、おちんちんの先をチャックに挟んでしまったのだ。弟は「痛い痛い」と泣きじゃくり、母は笑いながらハサミでチャックを切り取っていた。その横で僕たちは笑い転げていた◆ある時、彼が「ひょっこりひょうたん島」の歌を歌ってくれた。歌詞を間違えて覚えていて「苦しいこともあるたもた、悲しいこともあるたもた」と歌っていた。「『あるたもた』じゃなくて『あるだろさ』だよ」と教えたが、頑固に「あるたもた」と歌っていた。歳を取ると昔のことをよく思い出すというが、生きながらえた者として、過去にとらわれずに未来に向けて生きなければならない。この先まだまだ「苦しいことも悲しいこともあるかもしれない」だけど「僕はくじけない泣くのはいやだ笑っちゃお進め~」。
↓庭の千両とオキザリス
徒然日記 Vol 551
この国は何処に
先日、久しぶりに10名以上での飲み会があった。場所は、五年前の熊本地震で被災し、最近リニューアルオープンした城彩苑。名前の通り、会場の窓からはお城が見える。お堀の石垣には、いくつかの家紋が映し出されていた。その会で、新人の弁護士の研修を担当しているS弁護士から聞いた話に驚いた◆若手の弁護士は、いずれも有名大学出の方たちだが、彼らのほとんどが新聞を読まないとのことで、研修では、新聞を読むことの大切さに加え、新聞記事の読み解き方などを教えているとのこと。また、過去の歴史の中での、様々な事件について質問をすると、いつ頃どのような事件だったかは、きちんと答えることができるが、その事件の歴史的・政治的な背景や問題などについては、まったく答えられない、とのことだった◆更には、今後どのような所で働きたいかと聞けば、ほとんどの新人弁護士は、「企業の繁栄のために働きたい」と答えるそうだ。「社会的な弱者のために働きたい」と答える人は皆無に等しいらしい。優秀な成績で司法試験に受かった、エリート集団の弁護士の卵の方たちの、その実態に驚いてしまった◆体制側に立ち、保守的な上昇志向の弁護士たち。頭はいいのかもしれないが、思想もなく、食いぶちとしての弁護士稼業をめざす若者たちの存在。そんな若者を創り出している日本の教育とは、一体何なんだろう?国政に関わる官僚も同じような実態なのだろうか。であるとするならば、この国は、一体この先、何処に向かおうとしているのか、未来を思うと背中が寒くなる。窓の外の美しいお城の風景を観ながら、深いため息をつくしかない私だった。
👇 イチョウと加藤清正の像
徒然日記 Vol 550
神様のMさん
先日、10月末に開催した後援会総会に来られなかったからと、ある方から千円の後援会費と一緒に、北海道産のジャガイモを一箱いただいた。この武蔵ヶ丘に移り住んで、13年目となり、多くの方たちと知り合うことができた。5年前の地震の時に、午前中に連れ合いと一緒に避難所を見て回って車から降りる前に「今日のお昼は、食パンにゆで卵をはさんでマヨネーズをぶっかけて食べたいな」と話をしていた◆車から降りようとすると、目の前にMさんが立っていた。両手に手提げ袋を持ち「福永さん、食パンと卵を貰ったから、おすそ分け」と言われた。びっくりした。そして、Mさんが神様のように思えた。そのMさんこそ、先日ジャガイモを持参された方だ◆ちなみに、私の好物は、ジャガイモ料理だ。ポテサラや肉じゃが、カレーライス、ジャガイモ入りのオムライス、じゃがバターなど、毎日食べていても飽きないほどだ。神様のMさんには、今度、お返しに釣りたてのアジを持参しようと思っている。この秋、色んな方から、ブドウ、鯛、甘く煮た煮豆、銀杏の実などをもらったりもした。皆さんには、自宅で採れた柿をあげた◆議員としては、物をもらったりあげたりするのは良くないこと、と言われるが、議員である前に地域の住民として、ご近所の方たちと、親しくお付き合いしているつもりだ。ジャガイモは箱の中に、まだ半分はある。今度、カレーを作ろうかと思っている。
徒然日記 Vol 548
コロナの終息はいつ?
コロナの感染は、熊本市では10月22日と11月5日に二人ずつの感染があったものの、今日の11月11日までの間は、この二日間以外は、ずっとゼロで推移している。現在は、入院者もゼロで、今の所、落ち着いている。医療関係者や、行政のコロナ担当の職員も一息ついているところだろう。しかし、専門家によると第6波は、感染者の数は少なくなったとしても、必ずやって来ると言うし、12月から来年にかけての第3回目のワクチン接種の準備もあり、また、忙しくなる◆先日、かかりつけの病院に、高血圧の治療のための三カ月に一回の定期通院に行ってきた。診察を待つ間に、4人ほどの人がインフルエンザの予防接種を受けて、4200円也を支払っていらした。私はといえば、数年前に一度だけインフルエンザに罹ったが、一度も予防接種をしたことが無い。昨年の冬も、コロナに加えて、インフルエンザの流行も心配されたが、インフルエンザの感染者は非常に少なかった◆12月からは医療従事者から、第3回目のコロナワクチンの接種が始まる。来年には私を含め、高齢者も対象となる。中一と高二の孫たちは、モデルナ製の二回目のワクチンを接種して、39度近くの高熱が出て、苦しんでいた。第3回目は、当面は18歳以上とのこと。コロナの感染リスクを考えれば、副反応を恐れずワクチンを接種すべきなのだろうが、孫たちは、「もういい」と言っている◆第6波の感染拡大という専門家の予想が外れて、このままコロナの感染が収まることを願っている。先月は、知人と久しぶりに三人で、そして二人でと、飲み屋に二回行ってきた。久しぶりの外飲みは、籠から解放された鳥になった気分で、とても美味しく、楽しく過ごすことができた。来年の春ごろには、私の後援会主催での飲食を含む、6~70人規模の交流会を開催したいと思っている。お願いだから、コロナ~退散。
徒然日記 Vol 547
作品紹介
ストレスをためすぎて潰れないように、どんなに忙しくても、時間を見つけて、計画的に好きな木工や温泉や釣りなどに費やすようにしている。今回も、議会後から選挙で、とても忙しかったが、好きな木工の時間を見つけて、過ごした◆先月、自分にご褒美で、キャンプ用の高価な(と言っても4千円程度の)充電式のランプを買った。デザインが素敵で、自分が死ぬまでは、きちんと使いこなしたいほどに、気に入った品だ◆ということで、選挙をしながら、そのランプを収納する(つり下げ機能付き)BOXの設計図を頭に描きつつ、少しずつ作り始めた。庭先の一角で、一時間、二時間と、この10日間ほどかけて、やっとランプBOXができた。更には、残った端材でスマホ用のスピーカーも作った◆選挙後も、まだまだ色々と忙しくて、釣りやキャンプにも行きたいが、日程が決まらない。海か山に行き、夜はランプに火を灯して、スマホスピーカーから流れる音楽を聴く、静かな一人の日を夢見ている。
徒然日記 Vol 546
負けた まいった
衆院選が終わった。熊本選挙区は、野党候補の4人が全滅。前回比例で復活当選した4区の現職も復活ならず、戦後から続いた野党の議員の議席が無くなってしまった。県内の投票率は、戦後最低から二番目の低投票率だった◆野党の議員の票は、軒並み前回よりも票を落とした。負けて力が抜けた、そして、まいった。3区からの立候補のN国党の新人の女性は、ポスター貼りをしたぐらいで、選挙カーも回さずに、1万票以上を獲得した◆全選挙区で、女性の候補者が一名だけということでの、得票だろうか。いずれにしても、私たち野党が、市民や県民の人たちが望むような、受け皿を示すことができなかったことが、今回の敗因だろう◆来年の7月には、参院選があり、そして再来年は自分自身の選挙も・・。今回の選挙で、力が抜けてしまったが、また、ねじを巻いて頑張らねばと思う。
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