« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »

2021年8月

徒然日記 Vol 532

ポツンと一本や?!

 先日、テレビの「ポツンと一軒家」を観て元気をもらった。番組に出ていた方は、いずれも、一人暮らしで高齢だが、皆お元気だ。60代の女性は、退職後に買った山の上の古民家を、SNSで手伝いを募り、4年ほどかけて修繕をし、母屋を自分で作りながら、ヤギや鶏や野菜を育てて、暮らしている。車では行くことはできず、細い山道を30分ほど歩いての自宅で、暮らしている90代の男性。男性は、自宅の屋根の修理も、数年前に命綱をつけて一人でされ、草刈り機を抱えて除草もし、食事も自分で作っておられた◆私自身も、老後はいずれ高森に引きこもり、古くなった家を修理しながら、野菜や鶏などを育て、好きな木工の作品を作り、晴耕雨木の、ひっそりとした暮らしを夢見ている。先日は、雨の合間を縫って、高森の家の周りの除草を、二時間ほどかけて頑張った。綺麗になったものの、汗びっしょりになり、疲れ果てた◆時折、体力の衰えを感じ、将来、高森での生活が果たしてできるのかと、案じるときがある。しかし、番組を見て考え直した◆90代までには、まだ23年もあるではないか。健康に留意しながら長生きして、夢の実現に向かって、生きてやる。きっとその頃には、この頭の髪は「ポツンと一本や」かもしれないが・・・。

| | コメント (0)

徒然日記 Vol 531

コロナが来たりて・・

 横溝正史の推理小説に「悪魔が来たりて笛を吹く」という作品がある。コロナは悪魔ではないにしても、悪魔のように身近な所に身を潜めて、私たちの命を狙っている。息子の同僚がコロナに感染して重症化して亡くなった。先週は、私たち市民連合の議員の9月質問の調整役である、議会事務局の職員も、感染が判明した。クラスターが発生した学童に通い感染した我が子から、家庭内で感染したもので、症状は無いものの今は休んでいる◆そして、高2の孫の友人も同じ頃に、コロナに感染していることがわかった。孫は、その友人と一週間前に一緒に、街に出かけている。いずれも、私たちの身近な人たちの感染だが、私たちは濃厚接触者には当たらず、なんら症状も無く、PCR検査は受けていない。熊本県は8月8日から「まん延防止等重点措置」が適用されたものの、県内の感染者は減少することなく、増加の傾向だ。昨日20日には、県内全体の感染者数は、過去最高の318件。市内の病床使用率も70%を越え、医療崩壊一歩手前の危機的な状況だ。昨日は、ペットがいるばかりに、入院を拒否して自宅療養していた50代の男性が、容態が急変し亡くなった◆昨日、飲食店の時短要請に加えて、大規模な商業施設の顧客の入場制限や、時短営業の要請もされた。しかし、飲み屋関連だけでなく、学童の現場や、様々な職場でもクラスターが発生し、家庭内での感染も広がっている。まん延防止策として、皆が頑張っているものの、第5波のデルタ株の感染力に打つ手なしの状況だ。連れ合いが「家の中でもマスクしようか」と言い始めた。「不要不急の外出は控えるように」と言われながらも、息子も孫もそして、私も、仕事や学校があり、外出しているのが現実だ。国が全国民に2週間ほどの外出禁止令でも出せば、少しは終息に向かうのだろうが、都市封鎖さえもできない今の日本で、そんなことができるはずもない◆外出を控えて、感染対策をきちんとしていても、感染する人が増加している。国も県も、そして熊本市も、このままのやり方でいいのか、疑問に思う時がある。今後、希望するすべての国民がワクチンを接種したとしても、新たな変異株により、全国規模で更なる大規模な感染爆発が起こることも想定される。そうなれば、国民の全てが、いずれは外出ができなくなるだろう。私たちの身の回りに、ひたひたと、静かに確実に近づいて来る悪魔のようなコロナウイルス。この国は、そして私たちは、一体この先どうなってしまうのだろうか?不安に駆られながらも、いずれは終息し、当たり前の暮らしが戻ることを夢見て「今、できることを精一杯取り組むしかないんだ」そう自分に言い聞かせる日々が続く。

 

| | コメント (0)

徒然日記 Vol 530

薔薇が咲いた

 地球温暖化の影響だろうか、この二週間ほど、ほとんど毎日雨が降り続いている。梅雨の時期よりも、長くそして大量の雨が大地に降り注いだ。畑のトマトやニガウリも日照不足で、葉っぱが溶けて、実もほとんど大きくならない。スーパーの野菜も高騰している。困ったものだ。それでも、庭先のプランターの薔薇は、雨にも負けずに綺麗な花を咲かせてくれている。その薔薇のたたずまいは、ジメジメと鬱屈した心を優しく癒してくれる。今日は、久しぶりにお日様が顔を出した。暑い日差しでも、日向の匂いが懐かしくて気持ちがいい。しかし、また、明日からは一週間ほど雨マークがついている。雨にもコロナに負けずに、綺麗な花を咲かせる薔薇のように、めげずに頑張らなければ。

20210804_132649

| | コメント (0)

徒然日記 Vol 529

降り続く雨 広がるコロナ感染

 熊本は、この一週間ほどずっと雨が降り続いている。昨日から今日(8月13日)にかけては前線が停滞して、各地で24時間で例年の一カ月分に相当する200ミリ前後の大量の雨が降っている。私の地元の近くを流れる白川も、日増しに水かさが増していて、明日まで雨が続けば、大変なことになりそうだ。山あいの地域には、すでに避難指示が出され、避難所も開設され、市内全域で50名以上の方が避難している◆そして、コロナウイルスも猛威をふるい、本日の県内の新規感染者は、過去最高の200人を超えた。ワクチン接種が終わっていない、10台未満の子どもから50代の人の感染が拡大している。病床使用率も、市内は52%を超えた。豪雨にコロナの蔓延と、二つの大きな災害がやって来た。それでも、街中は当たり前のように、たくさんの車が行きかい、商業施設に多くの人たちが買い物等に出かけているようだ◆私たち家族は、明日から天草にキャンプの予定だったが、キャンセルし、今日は、皆で傘をさして、お墓参りに行ってきた。墓参りの後、うどん屋で昼食をとった。人気の美味しい店なので、昼時はいつも多くの人たちが並び、10分ほど待たなければならない。しかし、今日は、いつもに比べてお客さんは少なく、2~3分でテーブルに座ることができた。周りのお客さんは皆、食べる時だけマスクを外して、会話も少なく静かに食べていた◆雨にコロナの、この熊本。家でじっとしていなければ、と思いながらも、「もういい加減にしてくれ~」と叫びたくなるのは、私だけではないだろう。高2の孫は、「皆で映画に行こうよ」と言っている。きっと映画館は、行き先の無い家族連れで、相当の人出だろう。コロナには感染したくはなし、はたまた、家でじっとしているのには、もう飽き飽きだ。どうしたものか悩むところだ。

↓白川と吉原橋

橋は2012年の豪雨で損壊し、

架け替えられた。

20210813_140855

 

| | コメント (0)

徒然日記 Vol 528

トンネルの向こうに

 コロナの感染拡大から、やがて一年半が過ぎようとしている。ワクチン接種も全国レベルで少しずつ進み、高齢者の感染が減少傾向にある。しかし、全国規模で、新たな変異株のデルタ株がまん延し、若者を中心に感染が広がり、東京都や大阪府等、大変な状況だ。熊本県も、7月28日にレベル4の特別警報が出され、市内の飲食店の時短要請や、熊本城や動物園の閉園や、市有施設のスポーツ施設やコミュニティーセンターなどの使用禁止・自粛等の措置が取られた。そして、8月に入り、最高レベルの5の厳戒警報が出され、まん延防止等重点措置の適用となり、病床使用率50%近くで医療非常事態宣言が出された◆全国知事会からは、国に対して、お盆の帰省等の自粛等、感染がまん延している都市のロックダウンを求めている。それに対して、国は、ロックダウンは日本にはなじまない、として、具体的な対応策を示してはいない。国民の多くが、疑義を持っていたオリンピックも開催された。私も、柔道や卓球や野球等を観戦して、日本人選手の活躍に拍手を送ったりしている。しかしながら、オリンピックの選手だけで一万人以上、そして役員や報道等の関係者が4~5万人いて、その人たちが東京を中心に動き回っている◆オリンピック後の、爆発的な感染拡大が懸念される。国からの地方へのワクチンの供給が滞り、熊本市も12歳以上の予約が、やっと8月末から再開する。およそ、70%の市民が接種もしくは予約が終わっていて、今回の受付で残りの20万人ほどの、予約が完了し、10月末には、希望者全員の接種が完了する見込みだ。だからといって、コロナの収束は見通せないのが現状だ◆何故ならば、全国規模での人流の抑制がきちんとされていないこと、近隣の市町村は、熊本市よりも接種が遅れていること、さらには、今のところきちんと報道されていないが、デルタ株の感染拡大に加えて、新たな変異株のラムダ株(既に世界29か国で20万人近くが死亡)の日本での感染拡大も危惧されている。私も、オリンピックで頑張る選手にエールを送りながらも、オリンピック後の状況を考えると、この先どうなってしまうのかと背中が寒くなる。暗いトンネルの向こうに光は見えてきたが、歩みは進まず、出口は、遠い。まだまだ我慢の日々が続く。

| | コメント (0)

徒然日記 Vol 527

便利さの向こうで

 このブログを書き始めて15年目。毎日、2~3人の人が読んでくれている。しかし、月に一日とか二日とか、ゼロの日がある。そんな日は、「今日は、誰も僕のことを思い出してはくれなかったんだ」と思い、寂しくなる◆しかし、「ブログで全国の誰かさんたちと、いつも繋がっている」と錯覚するのは考えものかもしれない。私より10ほど年上の従兄は、退職後に浜名湖に別荘を建てて、畑で無農薬の野菜を育て、季節の果物をストーブの火でコトコトとジャムを作ったりして、のんびりと老後を過ごしている◆別荘には、テレビもラジオも無くて、新聞さえも無い。スマホは持っているが、ほとんど使わない生活のようだ。もしかして、ある日、パソコンやスマホが使えなくなったら、私も含めて、地球上の多くの人たちがパニックになるだろう。しかし、私の従兄は何も困らないのだ◆連れ合いの携帯に電話するものの、10回に一回ほどしか繋がらず、時々イラついたりすることがある。そして、ブログの読者が「今日はゼロだった」などと、寂しく思う自分がいる。しかし、よく考えれば、機械に使われている自分がいて、イラついたり寂しがったりするのも、何やら馬鹿らしいこと、とも思う。時折、便利さの中で失くしたものは無いのか、豊かさとは何かと、自分に問いかけて、今の暮らしを点検すべきかもしれない。

| | コメント (0)

« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »