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2021年7月

徒然日記 Vol 526

子どもたちに元気をもらう

 先日の25日の日曜日は、早朝から昼過ぎまで、忙しく活動した。7時過ぎからの資源物回収の後、10時からは、校区の青少年健全育成協議会(青少協)主催の「プレイパーク」のお手伝いで、武蔵小学校に。今年のプレイパークは、竹の水鉄砲や、竹と板とロープを使った竹馬、ペットボトルのロケット、づくりだった◆小学生の親子100名以上の参加があった。私も含めての大人の指導のもと、のこぎりやハサミやカッターナイフなどの道具を使って、汗だくになって作った。私は、竹馬づくりを担当した。足を乗せるところは二枚の板をロープを使って固定するのだが、支えもなくロープだけでの固定なので、苦労した。それでも、子どもたちと一緒に、楽しく作ることができた◆子どもたちは、出来上がった、水鉄砲で水を掛け合ったり、竹馬に乗ったりして楽しく遊んだ。ペットボトルのロケットは、空気入れで空気を入れて、校庭で順番に飛ばした。いきなり地面に激突したり、クルクル回ったり、低空飛行したりと、色々な飛び方をして面白かった。一番高く遠くに飛んだのは、保育園の年中の男の子のロケットで、5~60m先のフェンスのネットまで届き、ひときわ大きな歓声が上がっていた◆コロナのせいで、地域の行事がほとんど無くなった中での、プレイパークの開催だったが、多くの参加があり、子どもたちだけでなく大人も一緒に楽しく過ごすことができた。私も子どもたちに元気をもらうことができた、有意義な夏のひと時だった。来年は、ロケットの飛行距離の記録会があるようだ。楽しみだ。

↓手前の太ったおっさんが私

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徒然日記 Vol 525

「お~生きとったかいた~」

 議会は3・6・9・12月の年4回、毎回一カ月間ほど、開催されている。これまで、議会が終わるたびに、近隣のコミセンなど4カ所で、市政報告会を開いてきた。しかし、昨年来の、コロナの感染拡大で、永い間、開催ができなかった。6月になり、コロナの感染者が一ケタとなって、やっと落ち着いてきたので、7月24日と31日に二カ所ずつで開催することとした。前回が、昨年の10月末だったので、実に8カ月ぶりの開催だ◆24日は、4連休の三日目で、オリンピックは始まったばかり、なおかつ日中は34℃ほどの猛暑日。もしかして一人も来なかったらどうしようかと思ったがありがたいことに、二か所で20名以上の参加があった◆これまで、家を訪ねることも控えていたので、8カ月ぶりにお会いする人がほとんどだった。参加の方々は、私と同じぐらいか、それ以上の方が多い。皆さん、ワクチン接種が終わったようで、元気な様子だった。久しぶりに会う方たち同士で「お~生きとったかいた~。よかったよかった」などと話をされていた。私の報告会では、市政の動きなどを知ってもらっているが、参加者同士の交流も大切なことだと思っている◆9月末には、地元の葬儀場を借りて市政報告会と後援会総会を開催する。なぜ、葬儀場かというと、地元に100人近くが入れる会場がどこにもないからだ。一昨年に初めて葬儀場で開催した時は、皆さん戸惑っておられたが、慣れれば「葬儀場もよかたい」となり、ささやかな交流会も行い好評だった。しかし、今年はコロナで交流会は無しだ。交流を楽しみにしていた方たちの参加がないかもしれないと、案じている。せめて、アルコールなしでの簡単な茶話会ぐらい、できないかと思っている。しかし、昨日26日には、熊本県は、第5波の感染拡大として、上から二番目の特別警報のレベル4に引き上げられた。この先、これ以上の感染拡大が無いよう祈るばかりだ。

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徒然日記 Vol 524

地域の絆で輝く未来を

 10年前の春の市議選の初戦の時に借りた事務所には「地域の絆で輝く未来を」という看板を掲げていた。その後、その空き店舗には、整骨院が入った。その名も「きずな整骨院」。今も、多くのお客さんで賑わっている。あれから10年。私は、校区町内の自治会や校区防犯協会の副会長として活動してきた。5年前の熊本地震の後、校区自治協議会会長の発案で、校区防災員会を立ち上げて、その会長も引き受けた◆この間、様々な活動を通して、地域の絆を深めることの大切さを、身に染みて感じている。地域のために、熱い思いを抱いて活動する多くの人たちと知り合うことができた。しかし、時々、「あれっ」と思うようなことがある◆お正月のどんどやは、「火の粉や灰が飛んでくるのでやめてほしい」という苦情があったり、公園で遊んでいる子どもたちの声が「うるさい」と言う人がいたり、毎月一回の夜のパトロールで「拍子木の音がうるさいので、拍子木はやめましょうよ」という人がいたり、毎月の自治会の定例会でも「コロナの感染が拡大しているのに、なぜするのか」という人も。苦情を言う方たちは、50代以上の人が主だ。その都度、何のための行事なのか、地域活動なのかを、話したりもするが、基本的に活動自体に疑問や苦痛を感じている人たちなので、悲しいかな、理解は深まらない◆自治会の役員になりたくないからと、当番の年に、自治会を抜ける人もいる。このままでいくと、地域は壊れていくのではと心配でならない。将来は、心ある高齢者の一部の人だけが細々と活動するような時代がやって来るかもしれない。この地域の輝く未来は、あるのだろうか?それでもめげずに、日々の活動を通して地域の皆さんに、その大切さをきちんと知らせ、皆が一緒に安全・安心なまちづくりができたらいいと思う。

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徒然日記 Vol 523

面白看板 

 名は体を表す、というが、旅先で、街中のいくつかの看板を見ながら、笑ってしまう時がある。ある街には、「板井歯科医院」という看板が。痛い歯医者さん。行きたくね~。北海道で見た看板「石のカツラ」。石材屋の看板だが、石製のカツラは重たかろう。まさか、藪医者ならぬ、藪医院という病院は無いだろうと思って調べたところ、大阪府堺市にあった。そして、大藪医院は、色んな所にあった。近くに住み通院する人は「やぶ医者に診てもらったよ」などと言っているのだろうか。面白い。熊本でも、お好み焼き屋で「あたりや」というのがある。食中毒の季節には「客足が遠のくのでは?」と心配してしまうのは、私だけ?ウナギ屋さんの看板に「ウナギのひまつぶし」と書いてある。「ひつまぶし」を間違ったか、それとも遊び心?今は無いようだが「竜山病院」や「井尻産婦人科」というのが、あった。あなたの街にも「面白看板」ありませんか?

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徒然日記 Vol 522

空から雲が下りて来て

 長く続いた梅雨が明けた。梅雨明けと共に、蝉が盛んに鳴きだした。そして、青空にはモコモコの入道雲が。色んな形の雲を見ながら、ふと、小学生の時のことを思い出した◆小学一年の時に、友だち二人との帰り道での話。友だちが、「空に浮かぶ細長い雲は、龍なんだ。昔、その龍がたくさん空から下りて来て、多くの人を襲い空に連れ去った。大人たちは、火炎放射器などを武器にして闘かって、龍たちを空に追いやり、龍は雲に姿を変えた」と言うのだ◆私はその話をすっかり信じてしまった。友だちと別れ、一人になり見上げた空のいくつもの細長い雲が今にも下りて来て、龍になり襲われはしないかと不安になり、恐怖におののきながら、自宅に走った。息を切らして、家に帰り着き、母にその話をした。母は、笑いながら、その話が嘘であること、雲は水蒸気であること、を教えてくれた◆60年ほども昔の話だが、今でも細長い雲を見つけると、何とはなしに背中が寒くなる。にしても、私をだました二人の友だちの、なんと話の上手かったことよ。

〇龍の雲?

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〇入道雲

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〇寄り添う雲

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徒然日記 Vol 521

友からの便り

 先日、中学時代の友人タケシャン(竹田康宏さん)からメールが届いた。議員はやめたの?元気?という内容だった。彼は、今、あきる野市に在住。東京芸大を卒業し、今は、造形作家として活躍している。数年前に、病気になり、今はリハビリに励みながら作品づくりをしている◆彼は子どもの時から芸術的な才能があり、素晴らしい絵画や造形の作品を生み出してきた。中学時代の美術の時間に作成された、本物よりも美しく生き生きとしたニンジンの絵や、複雑な球形の立体のオブジェなど、今でも忘れられない◆芸大卒業後は、植物などをモチーフとした巨大なオブジェの作品やベンチなどを製作し、大学構内や公園などに設置されている。いずれも、人を包み込むような優しさにあふれた個性的で素敵な作品たち。しかし、病の後は、身体が思うように動かず、大作づくりは困難と聞く。それでもリハビリをしながら、新たな作品づくりに励み、2年後の70歳の節目に個展を開く、という◆私は健康だが、議員の活動が忙しくて、好きな木工の作品づくりが思うようにできないでいる。神様は、私たちには「豊かな才能と健康な身体と時間と情熱」のすべてを、与えてはくれない。だからといって悲観することはない。自分の身の丈を知りつつも、諦めずに努力することだ。二年後の個展でタケシャンに再会できる日を想い、自分にできることを精一杯、日々、頑張らねばと思う。

〇私から頼んで、三点の作品の画像を送ってもらった。いずれも素敵な作品。いつかまた、旅をしながらタケシャンの作品を観て回りたいものだ。台湾国立大学癌センターの「季節の輝き」は天井の強化ガラスに光が射し、その光が地面に写されて、季節や天候により様々に変化するという。台湾は遠いけど、いつの日か、その光を浴びてみたいものだ。

「Under The Leaves

ーDo you love me?

新潟県長岡市 新潟県立近代美術館

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上・造形「光の華」

下・アートガラス「季節の輝き」

台湾国立大学 癌センター

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「いのちいずる」

東京都立川市 ファーレ立川

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徒然日記 Vol 520

大きくな~れ

 庭先のプランターで、ハーブやキュウリやトマトやパセリや赤トウガラシなどを育てている。昨年は、育てたニガウリの最後の実をそのままにして、種を採取した。そして、今年の春に15粒ほどの種を植えた◆すると、全ての種から芽を出した。幾人かの人に分けて、残りの6株ほどが、自宅のプランターで、すくすくと育ち、今はいくつも花を咲かせ、幾つか小さな実がなり始めた◆当たり前のことかもしれないが、一年間保存していた皺くちゃの種から、きちんと芽が出て育つとは、その生命力には感心してしまう◆この先、小さな実も、やがて大きくなり、そして、いくつもの実をつけてくれるだろう。楽しみだ。生命力と栄養豊かなニガウリを食べて、暑い夏を乗り切らなければ。

◆大きくな~れ

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徒然日記 Vol 519

シアワセだ 夕陽がいっぱい 

 2007年に、春の北海道を旅している時に、道すがら何回か旬のサクランボを買って、ハンドルを握り、口にほおばりながら旅を続けた。その時に「シアワセだ お日様いっぱい サクランボ」という俳句ができた◆そして、今日も幸せに。高森の畑に植えて4年目のブルーベリーが、やっと大きな実をたくさんつけてくれた。二本のブルーベリーを植えているが、これまで毎年、小さな実が少しだけしかならなかった◆ところが、今年は一本だけだが、大きな実がいっぱい。皮がはじけそうな紫の大きな実を口にほおばる。甘酸っぱくて、ほんのり甘くて、美味し。サクランボがお日様ならば、ブルーベリーは夕陽だろうか?◆そこでもう一句「シアワセだ 夕陽がいっぱい ブルーベリー」。「だけんなんや!?(だから何!?)夕陽じゃねーだろうが」などと、突っ込まないで。シアワセなんだから。

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徒然日記 Vol 518

一回目のワクチン接種を受けて

 7月3日の土曜日の午前中から、かかりつけの病院で、一回目のワクチン接種を受けてきた。接種後、丸一日を経過した。今のところ接種した左腕に、こわばった感じが少しあるものの、特段の副反応もなく過ごしている。次回の接種は、7月の末だ。「接種しなくてもいいか」などと思ったりもしたが、いざ接種すると、早く二回目を受けて安心したいと思う◆U先生は私に会うなり、「熊本市は、もう少し医療の現場のことを考えてほしい。これまで市長の記者会見などで幾度となくワクチン接種の計画変更等が発表されてきたが、記者会見などの前に、きちんと医師会と調整の上、医療関係者に伝えないと、現場は混乱するばかりだ」と言われ、市長にも伝えてほしいと訴えられた◆市の準備不足による、当初のワクチン接種受付の混乱はひとまず落ち着いた。しかし、医療機関へのワクチンの供給数の間違いや、配送に遅れがあったり、接種の年齢区分を急きょ前倒ししたり、などがあり、接種を行う医療現場は、その都度、予定が変わり、対応に追われている◆6月から、当院ではすでに1000人近くの接種を行ってきた、とのこと。熊本市としても、医療現場のことをきちんと考えて、方針等を決めて、現場への周知に努める必要がある。熊本市の接種計画では、10月末には接種を希望する市民の接種が全て終わる見込みとなっている。しかし、この予定は、国からのワクチンの供給がきちんとできることを想定しての予定だ。少しでも早く、滞りなく、希望するすべての人が無事に接種が終わることを願っている。

 

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徒然日記 Vol 517

尊い命を守るために

 先日、千葉県八街市で飲酒運転のトラックが下校中の小学生の列に突っ込み、数人の子どが負傷し、一人は意識不明で、二人の尊い命が奪われた。他人事では済まされない痛ましい事故だ。通学路でありながら、この道路には歩道もなく、白線も引いてなかった。数年前にも事故があり、以前から地域の人たちが、改善を要望していたが叶わなかった。私の地域でも、通学路が狭く、車の往来が激しくて危険だと思われる箇所がいくつもあり、地域から行政に対して改善を求めて、白線を引いたり、カラー舗装等が施されてきた。八街市の事故は、そもそも、通学路に歩道が無いこと自体が問題であり、今後、行政の責任も問われることになるだろう。ハード整備がきちんとできていれば、幼い子どもたちの命を守ることができたかもしれない。しかし、いくら整備しても、飲酒運転をするドライバーがいて突っ込んでくるのであれば、安全対策も効果が無い。政府としても、これまでに、飲酒運転事故での厳罰化に取り組んできているものの、依然として飲酒による事故が無くならない◆ある日、街中の街路樹の管理について、マスコミの取材を受けた。いきなり、「一昨年、フランスに行かれましたよね?」と聞かれた。「行きましたが、それで」と聞くと、「熊本市が主要道路の街路樹を伐採する計画を示したが、フランスの街づくりなどと比べた時に、今回の計画についてどう思われるか?」とのことだった。市の伐採の計画の主旨は、数十年前に植樹した楠やイチョウの木が大きくなりすぎて、台風等で枝が落ちたりして危険なこと、また、年々、街路樹の管理費が増大していることにより、今後、間隔をあけて多くの樹木を伐採するという計画だ◆私の主張は「フランスの街づくりの基本は、人中心であり、歩道空間も広く、車と人との住み分けもきちんとできている。樹木も大きく育てる環境があり、車中心の街づくりの日本とは比較はできない」「熊本は、数十年前に緑の四倍増計画により、楠やイチョウなどの多くの様々な樹木がやみくもに植えられた。樹木の特性を考えずに、間隔が狭く植えられ、将来の管理のあり方までは考えていなかった」「このままでは、将来的に管理費も増大し、枝落ちや倒木等の危険がある。今後、計画的に伐採すべき」「私の地元でも、イチョウの木が見通しを悪くしていて事故に遭った人がいて交差点の日本のイチョウの木を伐採してもらった。落葉する葉っぱの処理で苦慮している人たちもいる」と伝えた◆その後、地元紙に「街路樹の伐採計画について、市民の意見が反映されていないために、計画を一時中断する」の記事が掲載された。今回の計画にあたり、市としては、近隣住民の了解は得ていたものの、多くの市民の意見を聞くことなく、一方的に伐採の計画を立てたのは市に瑕疵があることで、計画中断は止む無しと思う。今後は、「木を切るな」と反対する市民に対して、計画の意図をきちんと丁寧に伝え、了解を得ることが必要だ。伐採反対の市民は「緑を守れ」と言われるが、このままでは、狭い間隔で植えられた樹木にとっても、枝落ち等を危惧する近隣に住む人にとっても、不幸なことだ。今後、伐採の計画が実行されるまでに、街路樹を原因とする、大きな事故が無いことを祈るばかりだ。とにもかくにも、マスコミも含めて、市民の方々も、もう少し街づくりについての見識を高めてほしいものだ。

 

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