徒然日記 Vol 484
未来の人たちのために
コロナ禍の中、新たな年が始まった。あの熊本地震から、この春で五年となる。そして、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大から、やがて一年となる。私たち熊本に住む者は、100年に一度あるかないかの地震と洪水と、そして未知なるウイルス感染症を経験してきた。現在も、地震と洪水からの復興と、ウイルスとの闘いは続いているが、いずれは、当たり前の生活が戻って来る。私が危惧するのは、10年後、20年後、そして100年後に、忘れられることなく今回の経験がきちんと後世に伝えられて、次なる災禍への備えと対策ができるのか、ということ◆地震の恐怖は今でも身体に染みついているが、次なる地震への対策として、皆が家庭に水や食料等を備蓄しているのかというと、心もとない。そんな時に、高校時代に聞いた、ある先生の話を思い出す。「人類が誕生してから、人間は地震や火山の噴火や津波や洪水などの自然災害やウイルスや戦争などにより、多くの人が亡くなってきた。君たちが今ここにいるのは、君たちの先祖が、そのような様々な災禍を乗り越えてきたからこその、命なのです」という話だ◆当たり前のことのようにも思えるが、私の命も、両親から受け継いだものであり、両親は、その両親から受け継いだ命だ。ある意味、我が身も含めて、よくもここまで生き残ったものだと感心する。だからこそ「命は大切だ」と改めて思い知らされる。だが、私たち人類は、文明の発達と共に、その便利さに慣れてしまって、自然や病気などへの危機意識が低下してしまってはいないだろうか◆例えば、私が子どもの頃は、走っている車が怖くて仕方が無かった。しかし、今の子どもたちは、生まれて来た時から、車があるので慣れてしまって、車の怖さを知らないように思う。車だけでなく、様々な事柄に対して怖がり過ぎるのも考え物だが、私たちは大人の責任として、子や孫に命の大切さと共に、命を守るための知恵をきちんと伝承しなければならないと思う。未だ暗いトンネルの中にいるような日々が続くが、いつかは夜は明ける。絶望することなく、そして、次なる災禍にも備えて生きていかなければと思う、新年の朝だ。
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