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徒然日記 Vol 444

新たな暮らしは

 コロナは、私たちの暮らしの在り方を根底から変えた。命を守るためだから仕方がないものの、今後、人と人との関わりや地域が悪しき意味で変容していきはしないか心配だ。というのは、感染防止のための対策としての、3密を避けて、一定の距離を取り、真正面で向き合うことを避けて話をすることが、今後、当たり前になってしまい、人としての緊密な対話ができなくなりはしないか、ということ。そのことにより社会全体が疲弊してしまうのではないのか◆ただでさえ、近年、欧米の影響での個人主義の人の増加や、ITの進化により、生身の人と人の対話ではなく、バーチャルでの人間関係づくりが当たり前になっている。そのような中、コロナにより、更になお一層、人と人の繋がりが薄れていきはしないか心配だ。テレビの報道で、保育園の3密回避のために、保育士が子どもたちに、遊んでいる時に密になった時は「みつ~」と言うように、指導している場面があった。町内の自治会の会議開催にあたっても、ある役員の方から「コロナにかかったら誰が責任を取るのか?私はしばらく会議には参加しません」と伝えられた◆パソコンなどを活用しての、画面上での飲み会や会議が当たり前になってきた。それはそれで、皆が一カ所に集まることなく、いつでもどこでも開催できるので便利だとは思う。しかし、このままの生活が続けば、生身の人と離れて、生身の人の目を見ることもなく話をすることが、当たり前になってしまうのではないのか。懐かしき番組の「北の国から」の、ある場面で、携帯で繋がった女性からの連絡を何カ月も待つ甥っ子に「恋愛は相手の言葉や温もりを生身で感じて、するものだ。自分から会いに行くこともなく、会ったこともない女性からの連絡を待つなんてあり得ない」と言って、携帯を川に投げ捨てるシーンがあった◆これから先、濃厚接触無きままでの恋愛が当たり前になってしまいはしないのか、そのことにより少子化に拍車がかかりはしないのか、人間関係の希薄化により、仲間と協力して動く人がいなくなり、地域の行事も無くなり、地域も壊れていくのではないのか、などと心配している。人と話をするときに、マスク無しで相手の近くで、相手の息遣いを感じながら真正面で話ができる、そんな、当たり前だった日常に、再び戻ることは、可能なのだろうか。文字通りマスクをつけての息が詰まりそうな毎日が、まだまだ続く。当たり前だった暮らしを取り戻せる日を願って、耐えるしかない。

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