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2020年7月

徒然日記 Vol 447

梅雨が明けて

 熊本は昨日(7月30日)、梅雨明けが宣言された。地球温暖化の影響か、梅雨の期間が年々長くなっている。そして、雨量も増加傾向だ。7月に人吉地域を中心に降り注いだ豪雨は過去に例を見ない、想像を絶する雨量が観測された。今回の豪雨で、防災の拠点となる村や役場の庁舎が浸水し、機能不全に陥った◆全国規模で、いくつもの河川の氾濫が続いている。過去の経験や知見に頼ることができない状況だ。これまで進めてきたような、堤防のかさ上げやダム建設等のハード面の対策だけでは、人命を守ることは困難だ。今後、新たな視点での災害への備えを考える必要があると思っている◆人吉・八代・芦北などの地域では、今もなお7月の豪雨災害からの復旧作業が続いている。コロナの影響で県外からのボランティアの受け入れができずに、人や車や機材等が、大幅に不足し、未だ片付け泥出し等ができずにいる被災世帯が数多くある◆先日、市議会議員の有志でボランティアに行ってきたが、来週は労働組合の仲間と参加の予定だ。仲間の若手の議員数名は、すでに4回5回とボランティアに参加していて、頭が下がる。梅雨が明けて、今日の最高気温は35度。明日以降も毎日のように猛暑日が続く。被災者の方々の健康を願わずにはいられない。

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徒然日記 Vol 446

思いを繋いで

 先日、北区のある男性の方から電話があった。「市議会だよりを読んで、空き家や街路樹の対策について質問されていることを知った。相談したいことがあるのでお会いしたい」とのこと。約束をして、先日お会いした。母と同じ88歳の方で、10年前に奥さんを亡くし一人で一軒家に住んでいる方だった◆要望は三点。ひとつは、「住んでいる地域が都市計画道路になっているのだが、いつになったら工事が始まるのか」二つ目は、「土手に大きな樹木が相当数ある。台風等での被害が心配。細長い狭い土地だが、地権者が59人もいる。自分たちで伐採するしかないのか」三つ目は、「土手の上の家が何年も空き家になっていて今にも壊れそうなほどで、4年前に市に相談したが改善できないでいる。市として指導ができないのか」。というもの◆翌日、市の担当の課、二課と話をして男性の要望を伝えた。そして、その翌日には、担当が動いてくれて、男性と、そして私に連絡があった。「都市計画道路の計画は、今も存続中。ただし、工事はいつになるかわからない」「空き家は、近日中に現地を見に行き、危険と判断されれば、持ち主に文書にて適正管理に向けて、指導を行なう」「樹木の管理は、伐採を依頼するにも地権者が多くて困難。何か知恵を出して、行政として対処できればいいが」とのことだった◆担当課の早くて誠意ある対応には、頭が下がる。今後、どこまで改善されるのかはわからないが、困っている方の思いを繋いで動くのが、私たち議員の仕事だ。これまでも、一生懸命に動いて、いくつもの改善をはかってきた。そのたびに「ありがとうございました」の言葉をいただいてきた。しかしながら、その言葉は、行政の中で公務員として見返りを求めず、市民県民のために汗して働く職員の人たちに伝えるべきものだ。私は、様々な市井の人々の思いを行政に繋ぐ役割を果たしているだけだ。そのことを肝に銘じて、これからも活動していこうと思う。

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徒然日記 Vol 445

降りやまぬ雨

 7月の熊本豪雨から、3週間が過ぎた。死者は65人で、熊本地震での直接死50人を上回った。先日、熊本市議会議員の有志22名と事務局の5名の29名で球磨村での災害ボランティアに行ってきた。6時30分に市役所前に集合し、バスに乗り高速で移動して、人吉市内のボランティアセンターで受け付け、オリエンテーリングを受けて、球磨村に移動した。人吉市では20名の人が亡くなったが、球磨村ではそれ以上の25名(内14名は老人ホームにて)が亡くなった◆当日は、9名ずつ三班に分かれて、三軒の家のがれきの片づけ等を、10時過ぎから15時過ぎまで行った。いずれも球磨川沿いの家屋で二階まで浸水していた。私たちのグループは、町営の住宅で、その日初めて家のドアを開けた所だった。外観は、何もなかったかのように見えるものの、一階は泥にまみれた畳や衣類やタンスなどの家財が入り乱れて散乱していた。乾ききらない泥水とカビの匂いが混じり、マスクをつけての息苦しい中、汗にまみれての作業が続いた◆それでも、9名の力で、二階も含めて家財を屋外に出して、泥も撤去した。全ての生活用品が泥水につかり、使い物にならない状態だった。住まわれていた方は50代ほどの男性。命ひとつを残し、何もかも失われてしまった。2・3年は仮設住宅での生活が続くだろう。帰り際、「身体に気をつけて頑張ってください」と言うことしかできなかった◆昼休みに、すぐ近くを流れる氾濫した球磨川の堤防まで歩いた。水も引き、何も無かったかのように水が流れていた。近くを走っていた鉄道の線路は宙に浮いていた。球磨村を含め、いくつもの橋が流され、道路も寸断された。復興には相当の予算と人と時間が必要だ。毎日、多くのボランティアが被災地に入り頑張っている。しかし、梅雨前線は、いまだに九州にとどまり、今日もどしゃぶりの雨が降っている 。地域によっては、また、避難指示が出ている。自然の猛威の前に、人は何もすべなく、命を守るために、ただただ逃げるしかない。もう、これ以上の被害と犠牲者が出ないことを祈るばかりだ。

〇被災家屋・球磨川・線路

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徒然日記 Vol 444

新たな暮らしは

 コロナは、私たちの暮らしの在り方を根底から変えた。命を守るためだから仕方がないものの、今後、人と人との関わりや地域が悪しき意味で変容していきはしないか心配だ。というのは、感染防止のための対策としての、3密を避けて、一定の距離を取り、真正面で向き合うことを避けて話をすることが、今後、当たり前になってしまい、人としての緊密な対話ができなくなりはしないか、ということ。そのことにより社会全体が疲弊してしまうのではないのか◆ただでさえ、近年、欧米の影響での個人主義の人の増加や、ITの進化により、生身の人と人の対話ではなく、バーチャルでの人間関係づくりが当たり前になっている。そのような中、コロナにより、更になお一層、人と人の繋がりが薄れていきはしないか心配だ。テレビの報道で、保育園の3密回避のために、保育士が子どもたちに、遊んでいる時に密になった時は「みつ~」と言うように、指導している場面があった。町内の自治会の会議開催にあたっても、ある役員の方から「コロナにかかったら誰が責任を取るのか?私はしばらく会議には参加しません」と伝えられた◆パソコンなどを活用しての、画面上での飲み会や会議が当たり前になってきた。それはそれで、皆が一カ所に集まることなく、いつでもどこでも開催できるので便利だとは思う。しかし、このままの生活が続けば、生身の人と離れて、生身の人の目を見ることもなく話をすることが、当たり前になってしまうのではないのか。懐かしき番組の「北の国から」の、ある場面で、携帯で繋がった女性からの連絡を何カ月も待つ甥っ子に「恋愛は相手の言葉や温もりを生身で感じて、するものだ。自分から会いに行くこともなく、会ったこともない女性からの連絡を待つなんてあり得ない」と言って、携帯を川に投げ捨てるシーンがあった◆これから先、濃厚接触無きままでの恋愛が当たり前になってしまいはしないのか、そのことにより少子化に拍車がかかりはしないのか、人間関係の希薄化により、仲間と協力して動く人がいなくなり、地域の行事も無くなり、地域も壊れていくのではないのか、などと心配している。人と話をするときに、マスク無しで相手の近くで、相手の息遣いを感じながら真正面で話ができる、そんな、当たり前だった日常に、再び戻ることは、可能なのだろうか。文字通りマスクをつけての息が詰まりそうな毎日が、まだまだ続く。当たり前だった暮らしを取り戻せる日を願って、耐えるしかない。

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徒然日記 Vol 443

あ~リタイヤ

   熊本南部を襲った 豪雨により、多くの家屋や田畑等、甚大な被害を受け、多くの方が犠牲となった。そして、熊本地震からの復興から、さらにコロナを乗り越えて立ち上がろうとしていた多くの人々に、二重三重の苦難を強いている。被災地は、人吉市を中心に八代や芦北なども。熊本市としても、人の派遣や物資の供給、被災者受け入れのための住居の確保等に取り組んでいる◆今回の被災地が熊本市外ということもあり、市議会議員としては、仲間の議員たちとの義援金の募金活動や、ボランティアでの片付けの手伝いぐらいしかできることはない。今回、連合議員団に所属する人吉市議会議員の池田さんの事務所や自宅も被災した。先日、鎌田県議の呼びかけで、事務所の片づけのボランティアがあった◆私も、早朝から高速に乗り、人吉に向かった。しかし、人吉の手前数キロで、車がパンクしてしまった。路肩に停めて、汗だくになってスペアのタイヤに交換。そのまま、人吉市内のタイヤショップに行くも、パンクしたタイヤは使用不能で、替えのタイヤは純正しかなく、きわめて高価。ということで、ボランティアを断念して、後ろ髪を引かれつつ帰った。文字通り「リタイヤ」してしまった◆ボランティアの後は、どこぞで車中泊し、翌日は地域の被災状況を確かめたい、と思っていたが、思いを果たせず帰宅した。被災地のために何も出来ないことほど辛いものはない。来週は、一日だけだが、熊本市議の有志で人吉のボランティアに行く。できれば、60代以下の若手で、と聞いたが、足手まといにならないように、リタイヤすることなく精一杯頑張りたいと思っている。

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徒然日記 Vol 442

「なんて人生だ!」

 BSテレビで時々古い映画が放送される。先日、録画していた「心の旅路」という作品を観た。役者は、ロナルド・コールマンとグリア・カースン。1942年の映画で、私が生まれる11年前の作品だ。面白かった、感動した。母にも勧めて、先日、母一人で鑑賞。映画が始まってすぐに泣いていた。「悲しい場面でもないのに、なぜに」と聞くと、若かりし頃、父と二人で映画を観に行った時のことを思い出しての涙だった◆母は昭和7年生まれでもうすぐ88歳。女学校時代に父と知り合い、20歳の時に7歳年上の父と結婚して、三人の男の子を授かった。その長男が私だ。私が6歳で母が27歳の時に、父はリンパ肉腫で亡くなった。34歳の若さだった◆当時の娯楽と言えば、映画ぐらいのものだ。私たちが生まれる前には、父と二人でよく映画を観に行ったらしい。そして、結婚して7年後に夫が逝ってしまい、若くして未亡人になってしまった母。いつだったか「若くして亡くなるなんて、騙されたみたい」などと、私に愚痴る母だった◆父が亡くなって60年が過ぎた。母の三人の息子のうちの二人(私の弟)とも、私たちより先に亡くなってしまった。いくつもの悲しみを背負っての母の人生だ。母にしてみれば、「なんて人生だ!」と言いたくもなるだろう。泣きながら映画を観ている小さくなった母を見ながら「最後の息子としての私は、母よりも先に逝かないようにすることが、一番の親孝行なのだろう」と思ったりするのだ。

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徒然日記 Vol 441

心を寄せて

 熊本南部を襲った豪雨災害から一週間が過ぎた。死者は60名となった。亡くなった方たちの冥福を心より祈りたい。避難者は2000名以上で、避難所や車中泊での不便な生活が続いている。梅雨前線は今もなお、九州北部に停滞し、雨は降りやまない。肉親や家族を亡くして、悲しみに包まれている人たち、コロナから立ち上がろうとしていた矢先での、今回の被災により、心が折れそうになっている人たちが数多くいらっしゃる。いずれは、梅雨も明ける。晴れたら、仲間と一緒に片づけのボランティアに行こうと思っている。しかし、今は何もできずに、仲間の議員との募金活動ぐらいだ。心を寄せる、全国の友人や知人からも多くの励ましの電話やメールをもらった。その思いを、私も精一杯、被災した人たちに届けなければならない。明けない夜は無い。心を寄せて、災害からの復興を願うばかりだ。

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徒然日記 Vol 440

災害は忘れる暇なく、やって来る

 熊本県内の南部を襲った豪雨により、多くの死者と行方不明者が出た。特に人吉を中心に道路が寸断され、電気も水道も止まり、孤立している地域が数多くある。県外の友人の多くから心配して電話をくれた。私も県内の知人たちの安否を確認した。幾人かの人たちが床上浸水の被害にあっていた。雨がやんだら片づけのボランティアに行こうと思っているが、まだ雨はやまない。議員になって9年目。この間、2012年の九州北部豪雨災害、2016年の熊本地震、2018年の九州北部豪雨災害と、災害が続き、多くの尊い人命が奪われた。そして、今回の豪雨でも50名以上の方々が亡くなった◆「災害は忘れた頃にやって来る」と言われるが、この熊本では、忘れる暇もなく災害が続く。そして、いずれの災害も規模や内容が、過去の事例以上の、これまでに経験したことが無い、人知を超えたものだ。今回のマスコミの報道でも、「行政としての対応には限界があり、住民の命を守れない予測不能の事態となった。自分たちの命は自分たちで守るしかない、命を守る行動を」と呼び掛けている。テレビの取材で、「この土地に住み60年になるが、こんな豪雨は初めてだ」「あっという間に水が溢れてきて、人を助ける余裕などなかった」などと、話をされていた◆2012年の九州北部豪雨の時は、近くを流れる白川が溢れ、龍田地域の住宅の多くが浸水した。以後、国により河川の深堀や拡幅等の改修が進められた。しかし、今回の豪雨では、上流域が危険水位まで達した。今回、人吉を流れる球磨川や支流の数カ所が決壊し被害を広げたことで、中止された川辺川ダム建設の議論が起きている。人類は長きにわたって自然の脅威にさらされながらも、生き延びてきた。人は本来、危険を察知し、危険を回避する力を持っている。しかしながら、最近の災害は予測不能の想像を絶するすさまじさだ。そういった意味では、ダム建設だけで次なる災害を防ぐことは、困難だと思う◆テレビの向こうで、球磨川の近くに住み、自宅の二階近くまで水が来て被災された男性が「このままこの場所に住み続けるべきか迷っている。どうしたものか」と話をされていた。コロナ禍から、やっと立ち上がり再開したばかりの旅館や飲食店の多くが被災した。老舗の旅館の社長が「温泉の源泉もやられてしまった。再開できるか見通せない」と話をされていた。その方たちの苦悩の表情が忘れられない。まずは、現状の把握と対策が先決だ。そして、今後、国や県の適切な支援がなければ、街が暮らしが壊れてしまう。

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徒然日記 Vol 439

トンネルを抜けて・・・

長くて暗いトンネルを抜け出したものの、コロナの感染者はゼロにはならない。「新しい生活様式」での暮らしが始まった。先日、久しぶりに飲み会に参加した。ゴルフにも行ってきた◆しかし、来年の市主催のお城マラソンンも、地域の自治会の行事としての夏祭りも、中止が決まった。秋に高森で開催予定だった「阿蘇アート&クラフトフェア」も中止となった。コロナは、未だ世界規模での拡散が続いている◆この分だと、来年のオリンピックの開催も危うい状況だ。日本も、東京を中心に感染者が増加している。感染者がゼロであったにしても、ウイルスがいなくなったわけではない◆トンネルは抜けたが、薄暗い山道を一人で歩いているような毎日だ。私たちは、いつの日かワクチンや特効薬が開発され、コロナを恐れずに「今までの生活様式」を取り戻す日まで、じっと我慢の子で頑張るしかないようだ。

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徒然日記 Vol 438

夢の中で

先日、連れ合いが「ゆうべ寝言で『しょうが焼き~』って叫んでたよ」と言う。夢の中で、晩飯の注文でもしていたのだろうか。夢とは面白いもので、疲れたりストレスがたまると、道に迷ったり、吊り橋の上を這って渡ったり、歯が抜け落ちたりする夢を見る。最近は、コロナ禍で外に行く機会が減って、ゴルフや釣りをしている夢を見ることも。子どもの頃は、身体一つで空を飛んだり、海中を泳いだりと、結構楽しい夢を見ていたものだ。歳を取ると、そんな楽しい夢は見ることもなく、現実的な夢を見ることが多い。せめて、夢の中ぐらいは、叶わぬ夢を見せてほしいものだ。

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徒然日記 Vol 437

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シアワセだ お日様いっぱい サクランボ

 先日、東京に住む中学校時代の同級生の女性から、サクランボが届いた。人との縁とは面白いものだ。2007年の夏に車に荷物を積み込み、北海道をめざして51日間1万キロの一人旅をした。途中で多くの友人たちを訪ねた。中学時代の友人のT君に会った日に、T君の先輩である彼女の兄も同席。そこで彼女の所在が分かった。その後、彼女の職場を訪ねて約40年ぶりに再会した。その後、彼女が出張で熊本にも来て、中学校時代の友人たちと一緒に飲み会もした。4年前の地震の際には、数回に分けて、ライトや電池等たくさんの物資を送ってくれた。それ以来、熊本のスイカを送ったり、桃をいただいたりの、交流が続いている。何十年も過ぎても、若かりし頃の縁で、今も繋がっているのだ。真っ赤な太陽のような甘い甘いサクランボを、口にほうばり、懐かしき日々や人たちを思い、幸せになる僕なのだ。

 

 

 

 

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