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2020年6月

徒然日記 Vol 436

10年は・・・

 議員になって来年の春で丸10年となる。10年は一昔、と言うが、あっという間だった。色んなことがあった。特に、北部豪雨災害に熊本地震、その間、幾度もの台風被害と今回のコロナ禍。災害の10年と言っても過言ではない。私は、災害があるたびに、地域を走り回り実態を把握して、市とやり取りをして、改善を求めてきた。しかし、今回のコロナの対応には苦慮している◆今回のコロナ禍は、世界にとって百年前のスペイン風邪以来の経験であり、対策として何が正しいのかが分からないままでの、走りながら考えながらの対応だ。先の議会の登壇時の質問の最後の締めくくりで、私は「コロナに翻弄されることなく、コロナ以外の今すべきことも行政として取り組むことが必要」「コロナの終息を見据えての次なる取り組みの準備を怠りなく」と話した◆昨年の選挙で、3776人の方から支持をいただいた。老若男女の全ての人たちのために、まだまだ、自分の経験や感性を信じて、実態を見聞きし、身体と心で受け止めて、様々な課題解決に向けて取り組まなければならない。私の携帯には、私を支持してくれる多くの方々の電話番号が登録されている。その中の幾人かは、この10年の間に亡くなってしまわれた。今でも、登録を削除せずに、時々、その方たちのことを思い出している◆名前を見て、それぞれの方たちの、お顔とともに「もっと福祉施策を充実してほしい」「地域のために頑張って」「あまり真面目すぎるのもいかんバイ」「煙草はやめて酒はほどほどに」等々の言葉が聞こえてくる。この先、市議会議員が一人でいくら頑張ったにしても、この国日本は、自分の思う理想の国とはならないと思う。けれども、国がダメなら、私の知る生きている人、亡くなった人たちのために、少しでも良き市政とするために、諦めずに、もう少しがんばるのだ。いい意味で、いつの日か誰かに「昔々ふくながという議員がおってな・・・」と思い出してもらえるように。

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徒然日記 Vol 435

初めての一人旅

 先日、テレビで汽車の番組があっていた。ふっと、小学5年生の初めての一人旅の日のことを思い出した。熊本市内から母と一緒に実家の津奈木に行き、帰りは一人で市内の叔父の家に帰ることになった。当時は、汽車がまだ走っていて、津奈木から上熊本駅まで3時間近くかかっていた◆母に見送られて汽車に乗ったものの、何せ初めての一人旅で景色を楽しむこともできずに、ずっと不安で緊張していた。列車内には、僕以外には大人が4~5人いる程度で、四人掛けの椅子に何をするでもなく一人ずっと座っていた◆上熊本駅に近づく頃には、すっかり日が暮れていた。駅に降りて、叔父の家まで真っ暗な道をひた走った。怖かった。叔父の家の台所の灯りが見えた。台所の戸を開けて「おばちゃんこんばんは」と言うなり、涙がボロボロ出た。今、思えば、ずっと緊張していて、叔母の顔を見るなり、ホッとして緊張の糸がプツンと切れたのだろう◆今は叔父たちも亡くなり家も無く、近隣にはお店やマンションなどが建ち並び、賑やかな街になり、昔の面影はほとんど残ってはいない。テレビの向こうの汽笛の音を聞きながら、懐かしくもほろ苦い遠い日と、幼かった自分をいとおしく思ったひと時だった。

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徒然日記 Vol 434

ボーッと生きていこう

 チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねーよ」と叱られそうだが、最近年のせいか、とみに忘れることが多くなってきた。車に何かを取りに行き、それが何だったか、思い出せない。さっきまで、かけていたメガネがない◆連れ合いの名を呼ぶが、「なに?」と聞かれた瞬間、何の用だったのか忘れてしまう。朝と夕方の薬を、飲んだのか飲まなかったのか、が思い出せない。連れ合いに、面白い話をすると「それって三回目」と言われる◆ヤバいっ!認知症の始まり?そんな話を同世代に伝えると、「私も僕も」と返ってくる。そして、安心もするが、忘れることが、頻繁に続けば、気を付けないといけないと思う◆歳を取れば、判断力が鈍り、記憶力も衰えるのも仕方のないこと。いっそのこと開き直って「『老人力』がついてきたんだ」と自分に言い聞かせて、ボーーーっと、焦らずに生きていこう、などと思ったりしている、今日この頃だ。

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徒然日記 Vol 433

もっこりや!?

 木工作家として「木こり屋(きこりや)」を名乗って10年以上になる。ある時ある女性に「木こり屋」と書いて見せたらば、「もっこりや!?」などと言われてしまったことがある。高森町で毎年、春と秋に開かれている「アート&クラフトフェア」にも、選挙の年以外、10年以上出店している。毎年、常連さんの幾人かがやって来て、私のお店をのぞいてくれる。一番の楽しみは、作品の積み木やパズルなどの玩具を広げたお店の横に、子どもたちが集まって遊んでくれることだ。ある親御さんは、3歳になる子どもさんを一時間以上も、その場所に置いて、ほかの出店先での買い物にいそしまれた。嬉しいのは、3歳の子どもが親から離れて泣くこともなく、一人で飽きることなく楽しく遊んでくれたことだ。今年の春は、コロナで中止となったが、秋には開催ができて、子どもたちに会えることを願っている。

画像は、今まで作ってきた主な作品たち。

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徒然日記 Vol 432

なんだかな~

 コロナの影響で、3月議会での質問が急遽とりやめとなったが、11日の午後から質問に立ち7項目について答弁を求めることができた。質問は市民の暮らしに関わる、道路・公園等のハード整備や地域づくりのためのソフト事業等の取り組み等について。ほとんどの質問が、3月に事前に担当課とやり取りした内容と変わっていない◆しかし、4月の異動で担当の課長等が代わっていて、また最初から質問内容の説明をしなければならないことがあった。引継ぎをちゃんとしていてほしいな、と思ってしまう。人が代わっても継続した取り組みができるようにするのは、行政としては当たり前のこと。ていねいに、二回目の質問内容の説明をしながら「なんだかな~」と思ってしまう◆そして、気になるのは、答弁の中の「・・・について今後、研究していきたい」という文言。「検討」ならまだしも、行政の言うところの「研究」は、ただ研究するだけで、ずーっと何もしないことと同じだと思っている◆これまでも、質問しての初めての答弁は「課題だと思っている」から、次に「研究する」となり、やっとこさ「検討する」という言葉を引き出すのに、何年もかかってしまった案件もある。それでも現場の実態等を知らせて、改善に向けてしつこく頑張るしかないと思っている。ちなみに、熊本市議会のHPから議会の質問の様子が視聴できる。お暇な人は、ご視聴あれ。

 

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徒然日記 Vol 431

懐かしき人たち

 「はなじっかね~」。当時、小5の春の小学校の校庭で絵を描いている私の後ろから、同級生にそう言われた。私は小1から小4まで、熊本市内の叔父の家で暮らし、小5から小6まで、母と弟二人と鹿児島の大口市で暮らした。あの時は、転校したばかりの小5の授業として、屋外で写生をしていたのだろう◆鹿児島弁の「はな」も「じっか」も分からず、私はきっとキョトンして言葉が出なかったようだ。声をかけた同級生も、何も言わずに立ち去った。後から、彼は「君は絵がうまいね」と言ったことが分かった。あれから、50年以上が過ぎた。当時の担任のK先生のことはよく覚えているが、同級生で名前と顔を覚えているのは、「はなじっかね~」のK君と、学級委員のI君とKさんとかの、ほんの数名◆K先生は、僕の小学校から大学までの学校で出会った先生の中では、一番の先生だ。昼休みに私たちと一緒にサッカーをしたり、休みの日に多くの同級生たちと一緒に、サイクリングに行った思い出がある。夏の山道を先生と仲間で走り、夕立に合ってずぶ濡れになって帰ったのを覚えている◆K先生は生きていれば、80歳ぐらいだろうか。私が6年生の時に結婚して、先生の家に行き奥さんにも会った。授業も楽しくわかりやすく、いつも私たち子どもに寄り添ってくれていた。そうとう昔に、鹿児島の川内にいらっしゃると聞いたが、御尊命だろうか。時々思い出す懐かしき日々と人たち、いつの日か会いたいものだ。

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