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2018年12月

徒然日記 Vol 378

地域の絆で輝く未来を

  市議会議員になって8年目を迎えた。初めての選挙の時は、熊本市が政令指定都市になる前で市内全域の選挙となった。当時の選挙事務所には「地域の絆で輝く未来を」という看板を掲げて戦った。48の議席を66名で争い、私は3505票を獲得し38番目で初当選した。そして、三年前は政令指定都市となり、五つの区割り選挙となった。私の北区は定数10名に対して、10名の立候補しかなくて、無投票で当選した■南区は激戦区で、4千票以上を獲得しても落選する候補者がいた。そのため、北区選出の議員は、陰で「楽勝議員」「棚ぼた議員」などと言われたものだ。でき得れば、キチンと選挙の洗礼を受けて、成績表をもらい、胸を張って二期目を迎えたかった。あれから、三年が過ぎ、来年4月7日には統一自治体選挙が実施される。今回、北区は二名の先輩が引退し、五名が立候補予定で、10名の議席を13名で取り合う選挙となる。3年前に選挙が無かったので、どれだけの票が取れるのかは全く見えない■来年は、この7年間の私の活動の真価が問われる選挙だ。6年前の北九州豪雨災害時は、大きな被害を受けた龍田の通称「琵琶の首」地域を、2週間以上バイクでまわり、被災者の声を行政に繋いだ。そして、やがて三年前となる、熊本地震の際は、近くの公園に車を停めて、寝泊まりして、公園に来られる避難者のお世話や、近隣の地域をまわり、地域の方々の声を行政に繋いだ。震災後は、7月の参院選での「あべ広美候補」の当選に向けて、選対の事務局長としての活動と、震災後の議会での震災対応のための委員会での4回にわたる質問と提言等の取り組みもあり、我が人生で最高に忙しい時期を過ごしたものだ■議会が開催されていない時期も、地域の陳情等を行政に繋ぎ、改善に取り組んできた。よく頑張ったものだ、と自分でも思う。しかし、誰しもが私の活動を知り、評価してくれるとは限らない。今年の春から、来年の選挙に向けての挨拶回りの日々が続く。多くの人が、投票所に足を運び「福永洋一」と書いてくれることを願っている。そして、当選の暁には、真の復旧・復興のために、そして、輝く未来を築くために、更に4年間、奮闘したいと思っている。

 

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徒然日記 Vol 377

議会で質問  
   議員となって二期目で八年目を迎えた。本日、12月議会で八回目となる質問を行った。会派の人数の都合で、議会での登壇しての質問は、各年度に一回のみ。質問をするにあたっては、約三週間ほど前から、担当の課とやり取りをする。議員それぞれ様々な手法があるが、私の場合は、担当の課に質問の骨格を示し、その説明を口頭で行い、以後、同時並行で、私の質問文と執行部の答弁書を作成する、という手順で、進めている■今回は、市の財政の在り方や、将来に向けての人材確保策、公共交通の在り方等、10本の質問を行った。この間、計14か所の担当課とやり取りを行った。議員は一人、相手は課長と副課長等の2~3名。すべての質問のやり取りの相手は、合計で30名近くとなる。質問と答弁が、かみ合えば、2~3回のやり取りで済むが、私から注文を付けて、書き換えを要望したりすると、4~5回も、顔を突き合わせて、すり合わせを行う。今回は、私の質問の内容が、執行部にとって答弁しにくい内容であったり、質問本数を欲張りすぎたために、三週間のほとんど毎日をつぶして、本日の質問を迎えた■3~40年前の議会は、事前の打ち合わせもなく、質問の骨子のみ伝えて、長時間にわたり議場で丁々発止の議論が行われていた。しかし、近年は、ほとんどの議員が事前のすり合わせを行い、質問の当日は、執行部も議員も、すり合わせた原稿を持って、やり取りをする形となっている。古き時代に活躍した、元議員の方に言わせれば「なんじゃ~作文を読み上げる、セレモニーじゃないか」と批判を受ける。確かに、高度成長期時代には、議場でのやり取りで、執行部の前向きな答弁を引き出して、予算措置などの約束を取り付けていたらしい。しかし、それは、市の財政も潤沢で、各局の予算についても一定の裁量権があり、様々な施策が実行できた、良き時代の話だ■現在の議員の質問時間は、執行部の答弁含めて、合計二時間。昨年は、一時間とちょっとで、やり取りが終わったが、今回は、残り三分を残して、質問が終わった。私の質問内容は、すべてが一過性ではなくて、少しずつ歩みを進めている事業や、施策がほとんどだ。最後のあいさつで「未来に希望の持てる市政づくりのための取り組みについて、やり残しがあります。来年もこの場所で質問ができるように頑張りたい」と表明し、二期目最後の質問を終わった。それにしても、長い長い三週間だった。自分自身に、何かしらのご褒美をあげたいくらいに・・・。
↓こんな怖い顔で質問

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徒然日記 Vol 376

真っすぐな瞳の貴方に

 先日、体調を壊して、一日の日程をすべてキャンセルして、自宅でパソコンを叩いていた夕方、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこには、20代とおぼしき美しい女性が二人立っていた。「なんでしょうか?」と聞くと「エホバの証人です。布教活動でご挨拶に伺いました」とのこと。皆さんは、「エホバの証人」という宗教団体は、ご存じだろうか?厳しい戒律に基づいての宗教で、その信者は日本だけでも20万人はいらっしゃるようだ。厳しい戒律の中で、有名なのが「輸血の禁止」だ。この戒律に基づいて、過去、社会的に問題となった事件が二つある■ひとつは、10歳の少年が事故に遭い、両足に大けがを負い、医師は輸血を勧めたが、親が拒否して、治療の甲斐なく、少年が死亡した事件。例え輸血をしても助からなかったということで、親も、医師も罪に問われることは無かった。もう一つは、信者の女性が、輸血をしないことを約束に癌の手術を受けた。しかし、手術中に輸血をしなければ、命に関わると医師は判断し、輸血をした。しかし、その後、信者が輸血の事実を知り、病院を訴えて、患者の意思に反する治療行為を行ったということで、信者が勝訴したという事件。それ以降、医療行為については、医師の判断よりも、患者の意思が尊重されるようになり、尊厳死が認められるようになり、インフォームドコンセントと言われるように、医師として治療内容等を患者に丁寧に説明するようになった■私自身は、宗教を否定するものではないが、輸血を拒否することにより、助かるであろう命を、親の判断で輸血を拒否することで、その子の命を奪うことについては、容認できない。ドアの向こうの、女性に「あなたはいずれ結婚して、子どもを授かるでしょう。ある時、その子が事故に遭い『輸血をしなければ、命が助からない』と言われた時に、あなたは輸血を拒否するんですか?」と聞いた。すると、その女性は真っすぐな瞳で、私を見つめ「輸血はしません」と即答した。私は「命は天の授かりものですよ。そんなのは宗教ではない」と、言って扉を閉めた■現在、多くの病院では、エホバの証人の親が、輸血を拒否しても、中学生以上の子どもについては、その子の意思を尊重して輸血をする場合もあるようだ。では、小学生以下は、親の判断に委ねていいのだろうか?現状でも、その判断基準は明確にはなっていないようだ。ドイツやアメリカでは、信者が子どもの輸血を拒否した時点で、親権者を別に立てて、病院内で裁判が行われる、と聞く。命って何だろう?宗教って何だろう?医学って何だろう?自分自身にも問いながら、そして、真っすぐな瞳の貴方に、問うてみたい。

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