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2018年12月

徒然日記 Vol 376

真っすぐな瞳の貴方に

 先日、体調を壊して、一日の日程をすべてキャンセルして、自宅でパソコンを叩いていた夕方、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこには、20代とおぼしき美しい女性が二人立っていた。「なんでしょうか?」と聞くと「エホバの証人です。布教活動でご挨拶に伺いました」とのこと。皆さんは、「エホバの証人」という宗教団体は、ご存じだろうか?厳しい戒律に基づいての宗教で、その信者は日本だけでも20万人はいらっしゃるようだ。厳しい戒律の中で、有名なのが「輸血の禁止」だ。この戒律に基づいて、過去、社会的に問題となった事件が二つある■ひとつは、10歳の少年が事故に遭い、両足に大けがを負い、医師は輸血を勧めたが、親が拒否して、治療の甲斐なく、少年が死亡した事件。例え輸血をしても助からなかったということで、親も、医師も罪に問われることは無かった。もう一つは、信者の女性が、輸血をしないことを約束に癌の手術を受けた。しかし、手術中に輸血をしなければ、命に関わると医師は判断し、輸血をした。しかし、その後、信者が輸血の事実を知り、病院を訴えて、患者の意思に反する治療行為を行ったということで、信者が勝訴したという事件。それ以降、医療行為については、医師の判断よりも、患者の意思が尊重されるようになり、尊厳死が認められるようになり、インフォームドコンセントと言われるように、医師として治療内容等を患者に丁寧に説明するようになった■私自身は、宗教を否定するものではないが、輸血を拒否することにより、助かるであろう命を、親の判断で輸血を拒否することで、その子の命を奪うことについては、容認できない。ドアの向こうの、女性に「あなたはいずれ結婚して、子どもを授かるでしょう。ある時、その子が事故に遭い『輸血をしなければ、命が助からない』と言われた時に、あなたは輸血を拒否するんですか?」と聞いた。すると、その女性は真っすぐな瞳で、私を見つめ「輸血はしません」と即答した。私は「命は天の授かりものですよ。そんなのは宗教ではない」と、言って扉を閉めた■現在、多くの病院では、エホバの証人の親が、輸血を拒否しても、中学生以上の子どもについては、その子の意思を尊重して輸血をする場合もあるようだ。では、小学生以下は、親の判断に委ねていいのだろうか?現状でも、その判断基準は明確にはなっていないようだ。ドイツやアメリカでは、信者が子どもの輸血を拒否した時点で、親権者を別に立てて、病院内で裁判が行われる、と聞く。命って何だろう?宗教って何だろう?医学って何だろう?自分自身にも問いながら、そして、真っすぐな瞳の貴方に、問うてみたい。

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