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2018年11月

徒然日記 Vol 375

たった一人の声だけど・・・
 
 議会は年4回の開催。これまで、議会が終わるたびに、地域の数カ所で、市政報告会を開いてきた。今回は、地元の武蔵校区を含めて、4箇所で報告会を開催して、市政の動きや課題等を報告し、地域の方々の要望や意見も聞いてきた。いずれも、暮らしに関わっての切実な要望や意見があり、そして、簡単に解決できないことが多い■報告会で80代の女性が手を上げて、「個人のことで恐縮ですが困っているので、お話します」とのことで話をされた。内容は「近所の病院に、私も、そして車椅子の夫も通院している。以前までは、病院に行くバスがあったけれど、早朝に一日一本しか走らなくなって、病院の一つ前のバス停で降りて、反対側の歩道に渡り、病院まで車椅子を押している。歩道に行くのに、階段しかなく、遠回りしているので、階段をスロープにしてほしい」という要望だった■ご主人は、要介護度1で介護タクシーの利用ができるが、何回か使ったが、料金はタクシーと変わらず、負担が重く、バスしか使っていない。ということだった。階段をスロープにするのは困難と判断し、後日、市の交通対策課とやり取りをして、バスの増便をお願いしたが、バス事業は人員不足で、一定の利用がなければ、赤字になるために、増便は困難との回答だった■対策としては、地域循環のマイクロバスの配置や、乗り合いタクシーの配置が考えられる。行政が動かなければ、タクシー会社・利用者・病院を交えての話し合いができないものか、と考えている。来月の議会では公共交通のあり方についても、質問をする予定だ。たとえ赤字であっても、地域住民の移動する権利をきちんと保障できる公共交通機関の整備が必要、という主旨で市長答弁を求める。今後、交通弱者を救うための具体化のために、知恵を出して考えていかないと、大変なことになる。地域の病院や商業施設にも行けなくなってしまう交通弱者が増えれば、人が動かなくなり、街が衰退していく。報告会での、たったお一人の声だが、高齢者の代表の声として、きちんと受け止めて、改善に向けて頑張らなければ。

 

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徒然日記 Vol 374

認め合う社会って?
   先日、東京での研修があった。帰りのJRの列車内でビックリすることがあった。私は席に座り、アイパッドを触っていた。隣でスマホでゲームをしていたサラリーマン風の息子ほど(30代)の青年が、突然、大きく甲高い声でサイレンのように「う〜〜」と叫んだ■静かな車内での、その突然の奇声に、私は飛び上がるほど驚いた。しかし、多分、発達障害の方だろうと、そのまま座っていた。そして、二度目の「う〜〜」の声。それでも、私を含めて、その他の乗客も、何事も無かったのようにしていた。ただそれだけの事。私は、よほど彼に「大丈夫?」とか、「どうしたの?」とか、声をかけようと思ったが、やめた■きっと、ゲームに熱中するあまり、心の声が、表に出てしまったのだろう。下車するときに、彼の顔を見ると、落ち着いた表情で目を見開き前を見ていた。私は、彼のそんな姿よりも、より一層気になったのは、乗客の人たちの反応の無さだ。熊本だったら、一斉に彼を見つめ、近くの席にいた人は席を立ったかもしれない。きっと東京には、色んな人がいて、それらの様々な人の言動に対しての耐性が、東京の人にはあるのかもしれない■それとも、驚いていても、平静を装うことが上手いだけのことかもしれない。今でも彼の「う〜〜」という声と、反応の無い乗客の姿が忘れられない。異質なものを、人を、受け入れ認めるという寛容さなのか?異質なものを、人を、受け入れることなく、無視するという無関心さなのか?気になるところだ。お互いを認め合う社会って一体どんな社会なんだろう?そう思った数分の出来事だった。

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