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2018年4月

徒然日記 Vol 347

イイマツガイ
 人は往々にして言い間違いをすることがある。「イイマツガイ」という表題の本があるが、勘違いで思い込んだ言葉の言い間違いの数々に笑ってしまう。私の家族のMは、30代の頃、ジュースを飲みながら「やっぱり100%カジルは美味い」と言う。「それってカジュウばい」と私が指摘したところ、ずっと果汁を「カジュルと思い込んでいた」とのこと■私の孫はこの春に中二になるが、小4の孫に「ちくわ耳の兄ちゃん」と言われるぐらい、人の話を聞かない。おかげで、言葉の言い間違いがたくさんある。いくつかご紹介したい■先日、釣りをしていてテトラポットに登って、流されるウキを拾い上げた話がある。彼曰く「この前は、トテラポットに登ってウキを拾ったもんね」。車中泊の日に歯ブラシを忘れた時、「爺ちゃん、歯磨きしたのと同じように歯を綺麗にしてくれるガムがあったよね?あれ買えばいいバイ」「なんだっけ?」と聞くと、「シキリトール」■先日は、学校から帰って来るなり「今日テストがあってさ。うまくできて、噛みごたえがあったバイ」と言う。「はあ?」と言うと。「あっ間違えた。手ごたえだった」と言い直した。天然のボケまくりで、いずれは吉本の芸人だろうか?毎日のように色々と笑わしてくれるのはいいとしても、将来はどうなるのか、時々、心配になる今日この頃だ。

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徒然日記 Vol 346

感謝
 震災から丸二年目の4月16日(月)に、熊本市役所14階で、午前と午後の二回に分けて、熊本地震感謝状贈呈式が行われた。表彰を受けたのは、各校区の自治協議会をはじめ、炊き出しや避難所に開放した会社や団体等、463団体■震災後については、私の校区の武蔵小学校や武蔵中学校に、全国から炊き出しや、救援物資等、多くの方々から次々と支援を受けた。私が名刺交換ができた団体には、大西市長名で後日、礼状を送付したが、いくつかの団体には、表彰状も礼状も渡すことができていない。震災を経験して、多くの人たちの善意に助けられた■今回の団体の方たちにも感謝をするが、地域の一人ひとりの方々の小さな手助けにも感謝したい。知り合いの井戸の持ち主を紹介していただき、水を確保していただいた方。水汲みに人が足りない時に、手伝ってくれた若者。段ボールでのパーテーションづくりに参加してくれた100人以上の子どもたちや、若者や保護者の方々。避難所運営に携わったボランティアの人たち。公園での車中泊等の対応と管理をしている時に、寒いだろうと、灯油を寄付していただいた方。私の家族や、避難所の高齢者のために、お風呂を提供してくれた友人。遠くの地から、簡易トイレやライトや電池など多くの救援物資を送ってくれた団体や友人■表彰状は渡せないが、感謝の気持ちでいっぱいだ。多くの皆さんの善意に応えるためには、真の復興をやり遂げることだと思っている。復興のシンボルである熊本城には、まだネットがかかっている。もうすぐ復旧した天守閣が姿を見せる。お城全体の復旧には20年はかかるが、地域も含めて、着々と復興の歩みが進んでいることは間違いない。
 
■市長から代表20団体に
 表彰状を手渡し
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徒然日記 Vol 345

もう二年まだ二年

 あの震災から、二年が過ぎた。早かったのか、遅かったのか、つい昨日のことように思えたり、ずっと昔のことのように思えたり、複雑な心境だ。本震のあった日から三日後だったろうか?朝から、龍田のもえぎ台という団地に住まいの小野さんという方から私の市議会だよりに書かれた電話番号を見て連絡が入り、「家の横の地盤が緩み穴が開いている、近隣の家も家が傾き、家の前の擁壁が壊れないか心配だ」と連絡が入った■早速、現場に走り、小野さんに会い状況を確認した。余震が続き、雨が降れば、擁壁自体も崩壊し、土砂災害の危険もあるかと思われた。すぐに、北区の担当に電話で話をした。ところが、対応した職員が「そこを走る道路は公道ですか?私道ですか?」と聞く。2012年7月の九州北部豪雨災害時にも、市の職員に同じような対応をされ、憤慨したものだ■豪雨災害時も、今回の震災後も、後々、災害救助法の適用を受けた。議会でも、「災害救助法の適用を受ければ、市民の命を守るためには、公道・私道の区別なく、市としての地域への対応をしなければならない」「市としては、災害救助法適用の前から、被災時には災害の規模や状況を見て判断し、法の適用を前提とした対応をすべき」と幾度となく訴えて来た。震災後のあの日も、担当者に、そのことを伝え、「今後、市民の命が奪われることがあれば、市の責任が問われますよ」と言って電話を切った■その後、午後になって、小野さんから連絡があり、市の職員が来てブルーシートをかけて帰って行ったと、連絡があった。以後、議会で、その他の地域も含めて、がけ崩れや液状化の土地への緊急な安全対策の必要性を幾度となく、訴えて来た。あれから二年。地域の声を市に繋ぎ、市は国に要望し、私の仲間の西県議に繋ぎ、野党の複数の国会議員にも現地を見てもらい、国への要望を行ってもらった。以後、国も東日本大震災時での対応要件を緩和し、公共事業としての、がけ崩れや液状化対策の予算がつくこととなった。先日、工事が始まったと聞いて、小野さんの家の周辺含めて現場に行ってきた。小野さんの自宅前や、近隣の擁壁には足場が組まれ、いずれ杭を打ち込み、10月初旬までには擁壁の補強工事が完了するという。大きな足場を見ながら、小野さんと二人で「やっとここまで来ましたね。あとは地震が来ないことを祈るばかりですね」と確認し合った。あれからもう二年、まだ二年。真の意味での復興は、道半ばなり。

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Asiba

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徒然日記 Vol 344

胸が熱く

 先日、地元の議員として、楡木コミセンの開所式に出席した。コミセンの設立については、私の先輩である、前市議会議員の上村さんから、八年前に引き継いだ事案だった。以後、地元の自治会長さんの糀本さんと連携し、市に働きかけて、やっと実現したものだ■その分、実に感慨深く、コミセンの会場で、今は車いすの糀本さんを見つけて「良かったですね」と声をかけた時は、胸が熱くなり、泣きそうになった■というのも、今回のコミセン設立の一番の功労者は糀本さんであること、そして、その糀本さんは、二年前の震災対応で地元の住民のために休みなく尽力されて、以後、体調を壊されたこと、などがあったから。今は、足も不自由で、言葉もままならず、ただ互いの目を見合っての会話だった。コミセンの入り口での大西市長などによるテープカットの後、記念植樹のための土入れの際、地元の市議として呼ばれてスコップを持った■近くにいたKさんにも、と思い、声をかけて二人でスコップを握り、土入れをした。誰しもが歳を取り、身体が不自由になるのは仕方がないこと。これまで、身を粉にして、住民のために頑張ってこられた、先輩の上村さんも、糀本さんも車椅子。その姿を見て、お二人のこれまでの日々の苦労を思い、また胸が熱くなる私だった。

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上村さん・糀本さん

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徒然日記 Vol 343

墓掃除

 先日、孫二人を連れて、早朝からお墓の掃除に行ってきた。お墓の場所は、以前住んでいた合志市の黒石の共同墓地。孫たちも大人たちに交じって一時間以上、草取りや墓を磨いたりして頑張り、当日集まった人たちに「えらいね」と褒められた■福永家のお墓には、34歳で亡くなった父や、弟、叔父、叔母の、お骨が入っている。墓地の入り口には、地名の黒石に由来する、真っ黒い大きな石があり、その石の上には、釈迦三尊像と16の羅漢像が供えられている■文政6年、1823年に黒石邑(むら)の人々の寄進で建立されたもの。やがて200年もの遠い昔から、黒い石の上に座りし、石造りの像は、それぞれがとてもいい表情だ。ちなみに文政6年を調べたら、シーボルトが来日し、勝海舟が生まれた年だった■掃除が終わり、孫たちと三人で、お墓に線香をあげてお参りをして帰った。孫たちに、「爺ちゃんが死んだら、時々はお墓参りに来て、お花とお水の代わりに、お酒と煙草をそなえてね」と言うと、すかさず9歳の孫娘から「毎週来てあげるけど、死んだ後ぐらい煙草と酒はやめたら」と嬉しい言葉が返ってきた。

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