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2017年4月

徒然日記 Vol 310

生きている者として

 分かりきったことだが、命ある者、いつかはその命も尽きるもの。しかし、今年の一月から60代の尊敬すべき先輩方が三人、次々と亡くなり、やりきれない日々を過ごしている。昨年末に元県議の田上(たがみ)さんが、検査入院されていたので、お見舞いに行った。その後「大したことないから心配無きように」と電話があった。その二週間後には、亡くなられた。後から聞いて分かったのは、末期の肝臓がんだったということ。奥様共々、内緒にされていたのだ■田上さんとは、私が県職員労働組合の役員時代からのお付き合いだった。誠実で真面目な方で、県議の頃に政務活動費の領収書の添付が義務付けられていない時代に、「第二の報酬として受け取るわけにはいかない」と、必要な経費以外は返還されていた。多くの県議の中でたった一人の行動だった。そして、4月の初旬には、私の孫がお世話になった保育園の田中園長先生が亡くなった。昨年度は、この三月までの一年間、自治会の役員として一緒に仕事をさせてもらった。先生は数年来、癌と闘っている身でありながら「地域への最後のご奉公」などと冗談めかして話をされていた。3月末の自治会役員のお別れ会では、孫育ての相談をして、温かく、そして的確な回答をいただいた。今にして思えば、その言葉が私にとっての遺言になってしまった■そして、先日には、元市議会議員の東さんが突然亡くなった。東さんの市議挑戦の時は、現職の田上県議と東候補を連れて、職場や地域を引き回した。その後、西県議を後継として、西・東のコンビでの選挙も共に戦った。元保健師で真面目で熱い方だった。彼女が、三期目の市議選挑戦を断念したことにより、私に市議選立候補の話があった、ということで縁が深い方だ。昨年から月に一回のペースで仲間4人集まり、飲みながら、色々と助言をいただいた。前回の集まりの時には、元保健師でありながら「私は病院には行かない。病院に行くと病気が見つかるだけ」と言われていた。議員を辞めた後は、大学での講師や地域の自治会長として忙しく活動されていた。たぶん、どこか不調があったはずだが、症状が出て一日我慢して病院に行き、その数時間後に脳内出血で亡くなられた■三人の方々は、いずれも60代後半で、我が身を顧みず、これまで人のため地域のためと働いてきた方々だ。そんな素晴らしい方々が、人生これからという時に亡くなられた。私は、生きている者として、シッカリと先輩方の遺志を継いで生きなければ、と思っている。しかしあまりにも若くしての死去に、悔やんでも悔やみきれないし、ご家族の悲しみはいかほどかと、身につまされて、やり切れなくなる。つい弱気になり「次の選挙は出ないとこうかな」などと、思ってしまう。しかし、三人の先輩たちの笑顔が見える、そして「なんば言いよっとね。まだまだ頑張らなんタイ」という声が聞こえてくる。

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徒然日記 Vol 309

ため息しか出ない

 いつだったか、車を走らせていたら、目の前の車の運転席から紙くずを捨てていた。「あ~あ~」と思ったら、その後も煙草の吸殻や紙袋などをポンポンと捨てていた。軽の車で、運転席と助手席に若い男性らしき者が二人◼️いつだったかは、信号待ちの時に、煙草の灰皿を道路にひっくり返す人や、空き缶を空き地に投げる人などを見たことがある。スピード違反や駐車違反などは取り締まれるが、車からの物捨ての取り締まりは、所詮無理なこと◼️しかし、運転しながら物をむやみにどこそこに捨てる神経には、いささか頭にくるし、あまりにもひどいやり方に呆れてしまう。私が見たのは、きっと若者だろうが、彼らが親になり子どもを持つことを考えると、ゾッとする。そして「世も末だな」「何かできないかな」とも思うが、どうしたものか?きっと彼らの心は汚れていても、車の中は綺麗なんだろう◼️今度同じようなことがあったら、その車を追い越して、事前に準備したゴミ類を運転席からドカドカと投げ捨ててみようか、などと思うが、同じ土俵に上がるわけにはいかない。してはいけないことを平然とやってのける、彼らのやり口に腹を立てながら、ため息しか出ない私がいる。

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徒然日記 Vol 308

あれから一年
   14日に中学校時代の友人Kさん(女性)からメールが届いた。「震災から一年、その後元気にしていますか?頑張ってください」という主旨のメールだった。Kさんは、震災後に自費で支援の物資を色々と送ってくれた人だ。彼女とは、高校時代に一度会った後、ずっと疎遠にしていた。私が2006年に北海道をめざして旅をしていた時に、友人を通して彼女の所在が分かり、東京の彼女の職場を訪ねて再会した■その後、彼女が仕事で熊本に来た時には、同窓生を集めて旧交を温めた。以後、年賀状のやり取りをしていた。震災時は、すぐに連絡があり、必要な物の確認があり、ライトやおむつや、ジュースなどのたくさんの支援物資を三回に分けて届けてくれた■遠く離れていても、そして何十年も過ぎて、私や熊本の事を思っていてくれることに、どれだけ感謝しても感謝し足りない。震災後には、Kさん以外にも、小学校の避難所に支援物資を運んでくれた岐阜のNさんから、二度にわたり支援物資をいただいた。その後も、大学時代の友人が二組、熊本まで来てくれたし、北海道の友人からは見舞金まで届いた■これらの多くの人の善意の支援物資は、校区の避難所の人たちに配布した。混乱の中にあり、多くの人の物心両面の支援により、あの震災を乗り切ることができたと思っている。震災を経験して「寄り添う」「お互い様」という言葉が、心に重く響く。今後、助けてくれた多くの人たちに何かあったら、恩返しの意味でも、できるだけのことはしなければならないと思っている。

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徒然日記 Vol 307

助けて~

 先週は、埼玉から来た弟と甥っ子での湯布院の旅行の後、女の子の孫を除く家族5名がインフルエンザB型に感染してしまった。あれから一週間、ほぼ全員共に熱は下がったが、母と私は未だ鼻声で、完治できないでいる。一番症状がきつかった日の夜は、熱が9度台まで上がり、熱にうなされて、地獄に引きづりこまれる夢を見たようだ■中学生になる孫によると「じいちゃん夜中に『助けてくれー』って叫んどったけん」とのこと。布団の中で、身の置き所もなく悪夢にうなされていたようだ。一週間、寝込んでいた間に、世の中はすっかりの春の様子。車で走る久しぶりの街並みは、桜が満開に。その景色は、風邪で霞がかかった頭にも、スッキリと美しく飛び込んでくる■当たり前のことだが、春が来れば、やがて梅雨が来て、そして暑い夏がやって来る。歳を経るごとに、四季の移り変わりが身に染むようになってくるものだ。この先、あと何回の春を迎えることができるのだろうか?元気なうちに、しっかりと春の息吹を身体全体に感じていようと思う。

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