徒然日記 Vol 310
生きている者として
分かりきったことだが、命ある者、いつかはその命も尽きるもの。しかし、今年の一月から60代の尊敬すべき先輩方が三人、次々と亡くなり、やりきれない日々を過ごしている。昨年末に元県議の田上(たがみ)さんが、検査入院されていたので、お見舞いに行った。その後「大したことないから心配無きように」と電話があった。その二週間後には、亡くなられた。後から聞いて分かったのは、末期の肝臓がんだったということ。奥様共々、内緒にされていたのだ■田上さんとは、私が県職員労働組合の役員時代からのお付き合いだった。誠実で真面目な方で、県議の頃に政務活動費の領収書の添付が義務付けられていない時代に、「第二の報酬として受け取るわけにはいかない」と、必要な経費以外は返還されていた。多くの県議の中でたった一人の行動だった。そして、4月の初旬には、私の孫がお世話になった保育園の田中園長先生が亡くなった。昨年度は、この三月までの一年間、自治会の役員として一緒に仕事をさせてもらった。先生は数年来、癌と闘っている身でありながら「地域への最後のご奉公」などと冗談めかして話をされていた。3月末の自治会役員のお別れ会では、孫育ての相談をして、温かく、そして的確な回答をいただいた。今にして思えば、その言葉が私にとっての遺言になってしまった■そして、先日には、元市議会議員の東さんが突然亡くなった。東さんの市議挑戦の時は、現職の田上県議と東候補を連れて、職場や地域を引き回した。その後、西県議を後継として、西・東のコンビでの選挙も共に戦った。元保健師で真面目で熱い方だった。彼女が、三期目の市議選挑戦を断念したことにより、私に市議選立候補の話があった、ということで縁が深い方だ。昨年から月に一回のペースで仲間4人集まり、飲みながら、色々と助言をいただいた。前回の集まりの時には、元保健師でありながら「私は病院には行かない。病院に行くと病気が見つかるだけ」と言われていた。議員を辞めた後は、大学での講師や地域の自治会長として忙しく活動されていた。たぶん、どこか不調があったはずだが、症状が出て一日我慢して病院に行き、その数時間後に脳内出血で亡くなられた■三人の方々は、いずれも60代後半で、我が身を顧みず、これまで人のため地域のためと働いてきた方々だ。そんな素晴らしい方々が、人生これからという時に亡くなられた。私は、生きている者として、シッカリと先輩方の遺志を継いで生きなければ、と思っている。しかしあまりにも若くしての死去に、悔やんでも悔やみきれないし、ご家族の悲しみはいかほどかと、身につまされて、やり切れなくなる。つい弱気になり「次の選挙は出ないとこうかな」などと、思ってしまう。しかし、三人の先輩たちの笑顔が見える、そして「なんば言いよっとね。まだまだ頑張らなんタイ」という声が聞こえてくる。
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