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2017年2月

徒然日記 Vol 300

想像力と創造力

 6年前の議会での初登壇時に質問した中に、子どもたちの想像力と創造力を高める教育の必要性を訴えた。その時の話では、私が二年近く働いたある町の小学校に併設されていた、学童保育の現場でのことを伝えた。その学童保育の現場では、子どもたちに勉強以外に、ビー玉やコマや竹馬などの伝承遊びなども教えた。そして、私の木工製作の廃材を使っての工作も実施した■その時に感じたのは、子どもたちの想像力と創造力の無さだった。木工の廃材をブルーシートに広げ、私が作った作品も並べて「さー何か作ろう」と呼びかけても、興味を示すのは50人中10人程度で、実際に頭や手を動かす子は3~4人しかいなかった。中には「設計図は?」などと聞く子もいた。私は、「これとこの板を組み合わせれば動物や乗り物などができるのでは?」とアドバイスした。あの日、勉強は不得意だが、遊びが得意なR君が一番興味を示し、ヘリコプターやカマキリなどを私と一緒に作った■あの日、何も無いところから、想像力を働かせて、形にする創造力が、今の子どもたちには欠如しているのではないだろうか?と思ったものだ。想像力と創造力が必要なものには、モノ作りだけでなく、絵を描いたり文章を書いたりすることも含まれる。スポーツもそうだろう。長い人生を生きていく上でも、必要な力だと思う■「一人ひとりの個性を尊重する教育を」と言われて久しい。しかし、私たちの子ども時代に比べて、個性のある子は少なく、個性のない画一化された、妙に聞き分けのいい、勉強の得意な頭のいい子ばかりが増えてはいないだろうか?そして、そんな子たちほど、想像力と創造力が欠如しているような気がする。あの日、学童の教室の片隅で目を輝けせてモノを作るR君の姿を思い浮かべながら、そう思う。

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徒然日記 Vol 299

できないことはできないのだ

 議会ごとに議会だよりを作成し、地域を中心に配布している。便りを配るごとに、様々な方からい色々な意見や要望が上がる。前向きな意見や要望もあるが、中にはわがままな、あるいは、市議会議員では解決できそうにもない内容もあったりする。自分自身の性格上、できないことは「できません」と、つい言ってしまいそうになる。しかし、議員になって6年目。できそうにもない案件でも「とても良い意見ですね。機会をとらえて要望します」などと答えるようにしている■しかし、到底できそうにもないことをゴリ押しされる方もいらっしゃる。先日は、80代の男性Oさんから電話があり「私は生活保護を受けている。娘も生活保護を受けているようだ。区役所に聞いてもらえば娘の所在がわかるので、議員から娘に連絡するように伝えてください」と言われる。私は、「娘さんの所在は、区役所の生活保護の担当が知っているはず。しかし、個人情報保護法の関係で、お父さんにも私にも教えてはくれない。区役所の担当の方に相談してください」と言って、電話を切った。しばらくして、Oさんからまた電話があり、すごい剣幕で「お前は便りに何でも相談してください、と書いてるじゃないか。選挙目当ての便りかい?」と言われる■私は、Oさんをなだめすかして「担当に連絡しますので、待っていてください」と言って電話を切った。すぐに、区役所に行き、保護課の課長に事情を話して、娘さんへの連絡を頼んだ。その後、Oさんに「担当に伝えたので、娘さんからの連絡を待つ」ように連絡した。そして、三日後にまたOさんから電話があり「娘から連絡が無いんだが、議員から娘に連絡してもらえないだろうか?」と言われる。私は「私は娘さんの連絡先は知りません。担当からは娘さんに連絡してあるので、待つしかありません」と言って、納得してもらった。しかし、その後の三日後に、また同じような主旨の電話が入った。私はキレそうになるのをこらえて「たとえ総理大臣であろうとも、(区役所は)娘さんの情報は教えてくれません。娘さんからの連絡を待つしかないんですよ。私としてはこれ以上何もできません。ほかの市議会議員に頼んでも同じですよ」と話した■すると、Oさんは言葉を荒げて「親である俺にも教えんとかい。なら、明日区役所に行ってくる」と言われた。私は「区役所に行っても無駄ですよ」と言って、電話を切った。区役所の担当には、再度Oさんの件を伝えた。あれから、二週間ほどが過ぎたが、Oさんからは何も連絡が無い。娘さんから連絡があったのか、それともあきらめたのか、のどちらかだろう。年を取り、老後の不安を抱えて、消息不明の娘に会いたがっているOさん。しかし、娘が父親に連絡をしない、ということは、何をか言わんやである。Oさんの件は、突き詰めれば「貧困の連鎖」の問題なのかもしれない。困った人を助けるのが議員の仕事。でも、できないことはできないのだ。ちなみに、Oさんからは最後まで一言も「ありがとう」という言葉を聞くことができなかった。

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徒然日記 Vol 298

増毛計画中断中 

リアップの副作用で、フケがひどくなり、発疹まで出て10日目ほど。あまりの痒さとフケの多さに、とうとうこらえ切れずに、近所の皮膚科に行ってきた。医師は、白髪の男性の方。症状を伝えると「私もリアップを使って、同じ症状が出ました」とのこと■「先生はそんなに(抜け毛が)進んではいないのでは?」と聞くと、「いえいえ」と頭を見せてくれた。私は「なるほど」と言う言葉を飲み込んだ。まさしく、全体的に薄く禿げていらっしゃった。俗にいう白髪禿げ。50100歩、50100本だが「私の勝ち」と内心ほくそ笑む。診察が終わり最後に先生が「頭が気になるのなら、内服薬もありますよ」との話。一カ月に5000円と9000円の薬があり、副作用も少なく60%の人に効果があるらしい■ちなみに先生も20年来服用中とのこと。一瞬「それで、その髪」と思った。するとすかさず先生は「薬を飲んでなかったら、きっともっと禿げていたでしょうね」と言われる。内服薬で髪が増えるのであれば、万歳だ。しかし、効き目の無い40%になるかもしれない。私は、もう少しで、「薬を飲みます」と言いそうになったが、まずは今の症状が改善してからの話だ、と思い直した■それにしても、毎月5000円は痛い。効果があるのか無いのかは半年後とのこと。連れ合いが言うように、まずは禁煙が先かもしれない。リアップ使用前と使用後の後頭部の画像を見ると、以前より髪が少なくなったような気がする。かゆい頭をかきながら、何もしないほうが良かったような・・・と思ったりもしている。このまま、増毛計画を中断するのか、3万円をかけて最後の計画を推進するのか、しばらくは悩みが尽きない。

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徒然日記 Vol 297

神よ~髪よ~

 正月前の片づけの際、私の若い頃の写真が数枚出て来た。髪もフサフサで身体も引き締まっている。まるで別人だ。という訳で、今年のいくつかの目標の中に「増毛」と「体重減」も掲げた。体重は学生時代から比べれば、20キロ近く増加し、髪の毛は50%ほどが行方不明に。40代後半の数年間、薄毛が気になり増毛に取り組んだ。増毛にいい焼酎があると聞けば、頭に振りかけた。シャンプーやリンスにもこだわり、洗髪後のマッサージにもがんばった。色々と試したが、全く効果が無かった■最後に、医薬品としての、高額なリアップを購入。しかし、使い始めて二週間ほどでフケがひどくなり、途中で止めた。それっきり、増毛計画は中止に至った。それでも、第二次増毛計画として、今年またリアップを買ってしまった。二か月分で一万円以上もした。フケも出ず三週間が経過し、「今度こそ」と期待が膨らむ。ところが、一カ月後、今度はフケと共に、湿疹まで出てしまった。リアップ使用前に比べると、かえって髪の毛が減ったような■過去の教訓は活かされず、またしても失敗してしまった。しかし、ここであきらめてはいけない。今、育毛にいいような、シャンプーとリンスと、副作用の無い育毛剤を探しているところだ。連れ合いは、「タバコをやめるのが先じゃ~」とか「もうあきらめたら」と、のたまう。確かに、禁煙すれば身体にいいのはわかっている。しかし、タバコを止めるためには相当の努力がいる分、相当のストレスがかかる。髪には、ストレスが一番良くないのだ■無駄な悪あがきと笑われそうだが、髪があるのと無いのでは、見てくれに相当の差がある。若さは、見てくれではないと、わかっていても、今年は最後と、第三次増毛計画を策定中だ。今回失敗したら、いっそのこと坊主頭にしようかとも思っている。神よ~髪よ~我が願い叶えたまえ。

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徒然日記 Vol 296

苦い思い出

 私は食べ物は、ほとんど好き嫌いなく食べる。しかしたった一つだけあまり食べたくないものに、ネバ納豆がある。食べられないわけではないが、あのネバネバがどうにも苦手だ。だからか、人間関係でも、これまでほとんどの方とうまくやってきたが、粘液質のしつこい方とは、あまりうまくいかない。そんなネバ納豆のような人に、これまでの人生で、男女一人ずつの二人に出会った。女性は今も熊本にいらっしゃるので、詳しい書き込みはできない。私が若い頃に組合関係の仕事で知り合った方だ。男性は、名古屋の学生時代に働いていた中華料理店の、同じアルバイトの大学生■彼は私より年下だったが、一年ほど早くから働いていたので、バイトのリーダーをしていた。いつも、先輩風を吹かして、事あるごとに、あれこれとねちっこく注意するタイプだった。その日は私が、でっかい寸胴鍋に入った、スープづくりに使った鶏と豚の骨を片付ける係りだった。しかし、忙しくて、先送りしていたところ、何回も「早く片付けろ」と催促する。私は、とうとう堪忍袋の緒が切れて、彼の肩口をつかみ裏口に連れ込み、何も言わずに腹部に膝蹴りを食らわせた■お店の場長には、翌日になって「暴力はいかんよ」と注意されただけだった。その後、彼はバイトを辞めた。本来ならば暴力を振るった私が辞めるべきだったかもしれないが、彼が先に辞めてしまった。ある日、彼が大学の仲間三人と一緒に、その店に食事に来た。私は当たり前に「いらっしゃいませ」と言い、当たり前に食事を運んだ。彼も含めての四人が私を睨む。帰り道にでも、仕返しされるのかと思ったが、何事もなかった■私は、その後も三年ほどその店で働いた。そして、今に至る。彼は、卒業後は三重県警に就職した、と聞いた。私の人生で、気に入らないからと、人に暴力を振るったのは、あの時だけだ。彼はきっと、今でも私を恨んでいることだろう。三重県に行くことがあったらば、きちんとあの時のことを謝りに行こうかと思うが、あの性格だから、きっとまた、ねちっこく私を責めるのだろう。そして、私は、またキレてしまうかもしれない。しかし、警官に暴力はいけない、捕まってしまう。そう思うと、「やっぱりやめとこう」と思う。子どもたちが美味しそうに、ネバ納豆を食べる姿を見るとき、いつも思い出す、そんな私の苦い思い出だ。

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