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2017年1月

徒然日記 Vol 295

言葉は文化

 もうすぐ二月。すっかり正月気分も抜けて、街はせわしなく動いている。それでも小学生の二年と六年生の孫たちは、まだお年玉が残っていて、「本屋さんに連れてって」とせがんだりして、お正月が継続中だ■ある日の夜、二年生の孫が、兄である六年生の孫に、正月に買ったことわざの本を出して来てテストが始まった。六年生の孫が自分で買ったことわざの本だが、その本を読んでいなくて、二年生の孫が出す問題にほとんど答えることができなかった。しかし、答えは間違っているものの、自分で考えて答えるその内容と二年生の孫の突っ込みがすこぶる面白くて笑ってしまった■「壁に耳あり」に「障子にメアリー」の答え。そして「メアリーが立っとるんかい!」の突っ込み。「十人」に「トイレ」「トイレに10人も入れんし!」。「溺れる者は」に「泳ぐでなし」「何それ」。「のれんに」に「腕からまる」「馬鹿じゃ~」。などのやりとり。大学入試の問題の「□肉□食」に「焼肉定食」と真面目に答える者もいるという時代。孫の珍答も、仕方のないことかもしれない。本を読まない、文字を書かない若者が増える中、言葉の文化が廃れているような■その時代時代に生まれる言葉もあれば、昔からの言葉たちが無くなっていくことも。「溺れる者は藁をもすがる」と答えたにしても、「藁」自体を見たことも触ったこともない世代も多いことだろう。言葉は文化だ。孫たちも、ことわざの意味も含めて、シッカリと様々な言葉の意味を理解してほしいものだ。

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徒然日記 Vol 294

春よ来い

   先日、一人で泊りがけで、高森に行ってきた。タイミング悪く、その日は全国的にもすこぶる寒い一日で、夜は0度以下。道路以外には雪が残り、雪国の景色だ。高森の家のバケツの水は全て氷に、水道管は案の上、凍り付いていて使用できず、一瞬「帰ろうかな」と思うほどの寒さ■しかし、温泉に行く途中の夕焼けや雪をかぶった山々、そして夜の星は、冬でしか見ることのできない美しい景色。空気は凛として冷たく、そして、とても美味しい■夜は、ストーブはあるものの、灯油が切れて、簡易ストーブと炭火で暖を取った。出来合いの食事を肴に、熱燗を飲みながら過ごすが、寒くて寒くて、早々と20時過ぎには布団に入った■翌日は気温が上がらず、木工作業はやめて、作り溜めた作品と納屋の荷物の整理をして過ごした。丸一日、誰とも話をしないひと時は、私の唯一の癒しの時間だ。それにしても寒かった。春よ来い。

 

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徒然日記 Vol 293

プレミヤな夜

 毎年のことだが、一月は労働組合や政党、それに校区関連の旗開きや新年会などの行事が続く。ほとんどが飲み会有りで、今月だけで10回以上。昨日は、さすがに「今日は飲まない」と誓って、車で市役所まで行き集会に参加した。しかし、隣の人が美味しそうにビールを飲んでいる姿に負けて、飲んでしまった■会場には100人ほどの方々。食事もほどほどに、焼酎ロックを片手に、、各テーブルを回って参加者の方たちに挨拶し、そしてお話しを。多くの人と語り合い、楽しいひと時を過ごした。二次会にも誘われて、帰りは22時前になってしまった■いつものように、市電に乗り、JR水前寺駅で乗り換える。あいにく目の前で列車が行ってしまい、次の列車まで40分の待ち時間。小腹がすいて、コンビニに行きウインナーをはさんだパンを買って、コーヒーと一緒に、コンビニの外で食べた■それでも、満足できず、今度はプレミヤ豚まんを購入し寒空の下で、ホカホカの豚まんを食べて、やっと満足。「議員ともあろうものがコンビニの外で豚まんとは!?」と言われそうだが、腹が減っていてはしょうがない。それにしても「プレミヤ豚まん」は美味し。

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徒然日記 Vol 292

辻立ちの朝

 今朝(1月17日)は、西聖一県議と二人で麻生田交差点で辻立ちをした。議員になってから、毎月一回は西県議と辻立ちをしている。今朝は昨年12月の議会報告を行なった。ほとんどの人たちは、車やバイクで通り過ぎて行くだけなので、私たちの話の内容はほとんど伝わらない。しかし、辻立ちをして、活動の報告などをすることにより、議員として 顔や名前を覚えてもらえる。6年間も続けていると、時折、車の中から手を振ってくれる人もいらっしゃる。ある時は、地元の人などに「辻立ち頑張ってますね」と言ってくださる。 その励ましで、私たち議員も頑張れるのだ。それにしても、6年前に比べると、すっかり髪の毛が減り、額が相当広くなってしまったものだ。その分、顔は広くはなったと納得しつつ、歳はとっても、気持ちは若くありたいと思う。

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徒然日記 Vol 291

心洗われて
 先日は、知人の父親が亡くなり、阿蘇の一宮に行き葬儀に参列してきた。ついでと言っては何だが葬儀の後、高森まで足を延ばして、工房のある借家に行ってきた。夕方も用事があるので、二時間余りで帰宅した。いつものことだが、阿蘇に行くと、心が洗われる。根子岳の景色や冬の凛とした空気に、五感が反応して、頭がすっきりに、そして背中がまっすぐになる。いつの日か、根子岳の麓の工房に住み着き、毎日、木工作品づくりに没頭できればと願っている。それにしても、1月は2~3日間隔で飲み会が続き、土曜・日曜は地域の行事等で身動きが取れない。ゆっくりする時間もなく過ぎていく毎日、次の、高森行きはいつのことだろう?
 
■根子岳
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■中岳
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■空港近くからの夕景色
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徒然日記 Vol 290

絆は・・

 先の震災では、身近なところで、たくさんの出来事があった。その中のひとつで、今でも色んな所で話をしていることがある。70代の女性の話だ。前震の日の夜、女性はリビングに、連れ合いの男性は別室のパソコンの前。女性が連れ合いの所に助けを求めに行くと、男性は倒れかけたパソコンの画面をしっかりと抱いて、奥さんに目もくれなかったという話だ。その後のお二人の絆が、ほつれてはいないか心配だ。震災を通して、夫婦や親子や地域のつながりが深まったところもあれば、絆が失われたという話も聞こえてくる。今年は復興の年と言われるが、ある意味私は、絆を取り戻すための「もやい直しの年」だとも思っている。地域によっては、震災後の夏祭りを自粛したところがあった。自粛ならばよいが、長年続いた行事を再開するためには、相当な労力が必要だろうと思う。一度ほつれてしまった絆を取り戻さなければ、地域の活動が停滞し、地域が少しずつ壊れていくだろう。今年は、きれいごとだけでは済まされない、未来のまちづくりに繋げていくための復興元年だと思っている。

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徒然日記 Vol 289

天高く炎を上げよ!どんどや

 毎年、市の主催での出初め式と同じ日に、校区での「どんどや」が開かれる。今年は、雨で出初め式は中止となり、どんどやは翌日の9日に実施された。毎年、出初め式に出席するために朝の一時間ぐらいしか手伝えなかったどんどやだったが、今年は延期となり、準備から一日関わることができた。朝の8時から地域の自治会やPTAや老人会などの役員が集まり、二時間ほどかけて、地域の方たちが運んだ竹や、協力する業者の方たちから提供された材木などを組み、高さ10メートルほどのどんどやが完成した。そして、持ち寄ったお飾りなども入れて火をつけた。炎は、みんなの思いや願いを乗せて、天高く舞い上がる。火が落ちて、炭になる頃に家々から持ち寄ったお餅を竹の先に下げて、家族でお餅を焼く。その間、豚汁やかっぽ酒やぜんざいが振る舞われた。多くの家族連れでにぎわった、どんどやだった。燃え盛る炎を見つめながら、今年は何よりも災害が無いことを願った。

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徒然日記 Vol 288

笑う門には

「笑う門には福が来る」と言うが、不幸な時でも、笑えば幸福がやって来るのだろうか?昨年は、震災をはじめ自然災害に翻弄された一年だった。被災者の中には、家族を亡くし、住まいや職も奪われた人もいるだろう。そんな人に「笑う門には福が来る」などと言っても「バカヤロウ」と言われるのが関の山だ■しかし、落ち込んでばかりいても何も始まらない、生きていくためには笑い飛ばす元気も必要だ。我が家の昨年の出来事で一番心配して、そして笑ったのが、友人と喧嘩して蹴られて、当たり所が悪くて、おちんちんから出血した6年生の孫の話だ。孫は、心配する私たちの思いとは裏腹に、自分を蹴ったA君を許し「本当の友だちになるんだ」と言った■その後、友人と仲直りはしたが、本当の友だちには、まだなれていないようだ。ただし、孫のおちんちんから出血の話は、女の子を含めて6年生全員が知っているらしい。そして、孫のネタで「ゾウさん」の替え歌までできた。内容は「ゾウさんゾウさんおちんちんが痛いのよ~そうよ友だちに蹴られて血が出たの~」だそうだ■孫は、その話を笑いながら「ひどいと思わんね」と言い、そして、その替え歌を歌った。私は腹の底から笑った。そして、友だちからそんな歌を歌われながらも、笑い飛ばしている孫に大いに感心したものだ。人は逆境にあっても、そこから立ち上がる力を持っている。嬉しい時や悲しい時に、笑ったり泣いたりしながら、この年が良い年であることを願うばかりだ。

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