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徒然日記 Vol 264

奇跡の軌跡  Vol 2  

    14日夜の前震とそして16日深夜の本震の恐怖が今でも体に染み付いている。余震があるたびに、体が反応して「うおっ」と声を上げる。大人は先の見通しも含めて頭で理解できるが、子どもたちには理解しづらく、心の中の不安や緊張は計り知れない。東北では、数年後に体調不良を訴えたり、不登校や引きこもりになった子どもたちも多くいたと聞く。しっかりとこの苦難を乗り越えてほしいものだ。今回は、地震後の出来事の奇跡の軌跡の続き■前震があった日は、家族6人は近くの公園に避難し(近隣の人50人ほどが避難)午前中には息子がブランコにビニールシートをかけて仮設の避難所を設置。そして、屋根つきのテント下に暖炉を設けて、夜に備えて暖を取る場所も設けた。母は5日目に近くのコミセンに避難した。しかし、私を含めた残り5名の家族は二週間ほど、他の避難者と共に公園でのテント生活と車中泊が続いた。16日の本震後に水は止まったが、備蓄していた水や冷蔵庫の食材を使い、16日の午前中には家族と避難者数名でテント下で豚汁を作り、公園の避難者に提供。その日の午後には、私が楠中央公園の備蓄倉庫から持参したアルファー米の一箱300食を調理し、小中学校とコミセンの避難者に提供した■そして、翌日には、私たちの姿を見てコミセンに避難する家族や、ボランティアの人たちでの炊き出しが始まった。ガスコンロとガスボンベは私の知り合いの業者とあゆみ保育園から提供してもらった。電気だけは生きていたので、各家庭の冷蔵庫から食材を持ち寄り、食事を作り、車で近隣を回り「食事が不足する人たちはコミセンに来てください」と知らせる活動もした。18日には、子供会やPTAの呼びかけで、避難所で後日必要となるパーテーション作りをした。パーテーション作りはその後も2回実施し、延べ100人以上の親子での参加があり、200組以上のパーテンションが出来上がり、小中学校の避難所に提供した■この取り組みは、取材もあり地元紙の記事にもなった。奇跡が起こったのは16日の夜だった。パーテーションを作るためにはダンボールがいるが、どこにも無い、どうしたものかと公園の暖炉脇にすわり思案しているときに、毎月廃品回収で顔を合わせる(ボランティアで参加の)Oさんが仕事帰りで公園に立ち寄ってくれた。私の話を聞いたOさんは、翌日仕事を休み、一日中駆けずり回りダンボールを集めてくれたのだ。Oさんとの出会いと、そして子ども会やPTAのネットワークで繋がった、パーテーションづくり。ほんの思い付きが、ほんの数日で実現できたことの不思議。今更ながら、震災という不幸な出来事の中の、奇跡の数日だったと思う。

■子どもたちが避難者のためにパーテーションに元気な明るい絵を描いてくれた。使われずに引き取ったものの、捨てるにはもったいない作品の数々。子どもたちの優しさに心が洗われ、そして、救われる。

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