徒然日記 Vol 266
奇跡の軌跡 Vol 4
本震の翌日の4月17日の夕方、先輩の元市議の上村さん宅を訪問。上村さんの話では、お隣の車椅子の母親と娘さんが困っているとのこと。聞けば、16日の午後に近くの市営団地の避難所になっている集会所に避難を求めたら、自治会長に「校区外」を理由に避難を断られたとのこと。「集会所はお前の物か!」と、殴り込みにでも行こうかと思ったものの、やめた。怒りを通り越して泣きたくなった■早速、武蔵コミセンの避難者の方々に報告し相談した。皆さん口々に「なんてひどいことを」「かわいそうに」「すぐにここに連れて来て」と言ってくれた。翌日、私の車でお二人をコミセンに連れて行った。18日に息子の誕生日のケーキを調達。ガソリンスタンドもスーパーも開いていて、ガソリンと電池なども調達した。その帰り道に、コミセンの高齢者の方のための折りたたみベッドを探していて、元同僚の家が近くにあることを思い出し、電話した■彼女の第一声は「福永さんベッドは探すけど、お風呂に入ってないでしょ?いつでもいいから、みんなで入りにおいで」と言ってくれた。涙があふれた。泣きながら運転している時に、携帯に義妹からメールが、「今、車ですれ違ったよ。今からお墓を見に行くところ。お母さんは大丈夫?しばらく預かってもいいよ」とあった。涙が止まらず、車を停めた■夜に、義妹からメールが来た。「記名簿の石塔だけ倒れ、福永家の墓石だけ無事に立っていて、残りは倒れたり落ちたりずれていた」と書いてあった。翌々日の20日の午後に友人の好意に甘えて、家族と、そして車椅子の家族二人を連れて、お風呂に入れてもらった。5日ぶりの湯船につかりながら、このまま「死んでもいい」と思うほど気持ち良かった。5月5日の弟の命日の日に家族で墓参りに行ってきた。義妹の知らせのとおり福永家の墓石だけしっかりと真っ直ぐ立っていた。お線香の横に、私が火をつけた煙草を立てて、祈ってきた。
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