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2015年12月

徒然日記 Vol 241

県職連合ユース部餅つき

 1222日は、朝から県庁に行ってきた。その日は、県の労働組合のユース部恒例の餅つきだった。この餅つきは、かれこれ50年以上は続いているもの。当日は、年休を取ったユース部の若手が、組合事務所前の広場で餅をついた■しかし、毎年の恒例としながらも、初めての人が多くて、杵を持つ手がおぼつかない。駆けつけた西県議と一緒に、餅のこね方からつき方までを教えることになった■初めのうちは、粒の残った餅だったが、中盤ぐらいから餅らしい餅が出来上がった。先日は、地域でも餅つきがあったが、若い人たちは経験が無くて、尻込みして見ているだけだったり、餅をついても、一回ほどで息が上がり、力尽きてしまう人が多かった■私が子どもの頃は、年末になると家々から餅をつく音が聞こえてきた。今でも、父や叔父たちが餅をつき、母たちが餅を丸めている姿が目に浮かぶ。そんな伝統行事も、家族の在りようの変化で、ほとんど見られなくなった。出来立ての餅をほおばりながら、季節季節をきちんと祝う行事を、違う形でも次の世代に繋いでいかなければ、と思ったものだ。

□当日は蒲島知事もかけつけて一緒に餅をついた

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徒然日記 Vol 240

雲海の空の上で
 先日、議会会派の仲間とゴルフに行ってきた。朝から雨模様だったが、「雨は止む」という確信のもと、決行した。思いは届いて、スタート時に多少降っていた雨も、3ホール目ぐらいには止んだ。そして、雲海が見えた。雲海の空の上でのゴルフ。成績はイマイチだったが、実にすがすがしく楽しいひと時を過ごすことができた■私とゴルフの付き合いは永い。30代半ばの頃、先輩に勧められて、嫌々ながら始めたゴルフだった。しかし、その面白さにはまってしまった。一年間、毎週一回の教室に通い、一年で100を切り、二年目で90を切った。しかし、その後、高いゴルフの道具を買い揃えてから、スコアは下り坂に・・・。ゴルフを知らない人には、その面白さは分からない。私は、ゴルフは人生そのものだと思うことがある■それは、どんなに頑張っても山や谷や池にボールが行き、そこから抜け出せなくなったり、かと思えば、何も考えなくて、ただ一心に打ったボールがカップに吸い込まれていったり。技術以上に心の持ち様で、その日その日のスコアが変わるのだ。ボールをバキーンと打ったり、グリーン上でラインを読んで、優しく打ったり、実に豪快であり、そして繊細なスポーツだ。教室に通っていた頃は、基本に忠実で、コースに出るたびに上達したものだ。今は、自分なりの悪しきフォームでボールを打っている■年相応の力を抜いたスウィングをすればいいものを、今でも若い頃の姿を求めて、遠くに飛ばそうとする自分がいる。はたまた、技術以上の技を使おうとする自分がいる。歳を取り、体力が衰えたことを認めて戦略を変え、そして、心落ち着かせてボールを打てば、きっとまたあの頃の成績が出せるのだろうに。しかし、まだそこまでの境地に達せない私は、雲海の空の上の山や谷を、ただただ走り回るだけなのだ。

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徒然日記 Vol 239

災害に備えて

 1129日の日曜日に武蔵校区の防災避難訓練が行われた。各町内から予想を上回る方々が参加され、400名近くの人が訓練を経験された。私は、防犯協会の役員として、避難所の小学校に向かう横断歩道での誘導を行なった■8時30分の爆竹の後、町内ごとに公園等に集合して、武蔵小学校に避難。9時前には、全ての参加者の避難が終了した。その後、楠消防署の協力により、起震車や煙の体験、消火器の取り扱い方、怪我や骨折等の対処法などを教えてもらった■私の孫は、帰宅してから、消火器の使い方等を詳しく記し、「とてもためになった」と、感想文を書いていた。災害は忘れたころにやって来る。常日頃からの心がけが必要だ。今回の訓練、参加者は多かったものの、2~30代と子どもたちの参加が少なかった■私たち60代以降の者は、幼い頃から水害や地震や火事等を身近に見聞きし、体験してきたものだ。今後は、子育て世代や子どもたちに、災害の恐ろしさや、生き残る術等を如何に伝えていくのか、災害弱者と言われる人たちの命を地域としてどのように守っていくのか等が課題だと思う。

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徒然日記 Vol 238

真理はひとつ

 10歳になる孫が、ある日、「安部首相って戦争が好きなんでしょう?」と、私に聞いてきた。私は、一瞬ギクッとし「そうなんだ?」と答えた。私こそ、まさしくそう思うが、孫の前でそんな話をした覚えは無い。何故ならば、孫たちに、大人たちの、今の政治の愚かさを、知ってもらいたくはないという思いがあるから。だから、家の中では、ほとんど政治の話はしないことにしている■10歳の孫は、親から聞いた話を伝える友だちの話を聞いて、単純に、そう思ったということだけのことだろう。しかし、10歳の子どもたちが、今の政治に対して何かしら「やばい」と思っていることは捨てたものではないと思う。ある日、孫たちと車に乗っている時に、自衛隊の装甲車やミサイルを乗せた車の列とすれ違った。孫たちは一言「怖い」と言った。いつもと違う光景を目の当たりにしての素直な感想だ■テロがあり、テロを主導した国に対しての爆撃が尚一層激しさを増している。この先、兵士以外の幾人の市民、子どもたちが亡くなっていくのだろうか。「あなたは、自分の家族が目の前で敵国の兵隊に殺されても、傍観する人となるのか」と、問う人がいる。私は家族を守るために、自分の命を投げ打ってでも、家族に危害を加える人と戦うだろう。だからといって、戦争の出来る国にしていくこととは別の次元の話だ■ヤバい政治が続いている。きちんと議論し話し合って物事を決めていくという、民主主義が壊れつつある。子や孫のために、平和を守ることの大切さが、ないがしろにされようとしている。真理はひとつ。なのに、私たちは、悪しき大きな力によって少しずつ洗脳されつつ、何が真理かと問うことさえ忘れつつあるようだ。子どもたちが、いつの日か「一億総活躍」ではなく、「一億総玉砕」などと叫ぶ時代が、来ないようにしなければと思い、願う日々だ。

 

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