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2015年4月

徒然日記 Vol 207

傷つけあって生きることに慣れてしまったこの世界・・・

時々、人の言葉が胸にグサリと突き刺さる。同じような言葉でも、別な人の悪意が込められた、相手を傷つけることを目的とした言葉には、どす黒いその人の心の奥底が見えて、暗澹たる気分にさせられ、なお一層傷つくものだ■議員になって多くの様々な年齢層、職業等の方々に出会って来た。ほとんどの方が、議会や議員に対して理解ある態度を示してくださる。しかし、中には、政治に対する不信や不満を、私という議員に対してぶつける方がいらっしゃる■その中身がきちんとした論理に基づいていれば反論もできるのだが、感情的に語られる言葉には怨念や憎悪のようなものが込められていて、返す言葉が見つからない。人に優しくできない人は、人からも優しくはされないだろうに・・・。議員であっても生身の人間だ。言葉によって与えられた傷はなかなか癒えないものだ■小室等さんの歌で、「いつも いつも 僕が 君を 見ててあげるから 安心しておやすみ 傷つけあって生きることに 慣れてしまったこの世界 そこで僕らは生まれ育った」という短い歌がある。きっと誰かが、いつも私のことをきちんと見つめていることを信じて、傷つけられても、めげずにいようと思う。

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徒然日記 Vol 206

私の夢は・・・

小学生の孫たちに将来の夢を聞いた。五年生の孫は「人の役に立つロボットを作る科学者」に、一年生の孫は「お医者さんになる」と言う。私が物心ついたころの夢は、お医者さんになって病気で困った人を助けることだった。その後、絵描きになりたいとも思ったが、中学生ぐらいになって学力も才能もないことを知り、両方とも無理だと、あきらめた■それからは、夢を見ることもなく、二十歳を過ぎても何をしたいのかわからないまま過ごした。夜間の福祉大学を卒業する頃になって、福祉関連の施設で働きたいと思い、運よく県の知的障害児施設の指導員として働くことになった。しかし、働き始めて10年もしないうちに、その職場が廃止されるという計画を知り、仲間と保護者の方々と連携して反対運動をした■施設廃止の先送りは果たしたものの、結局、職場は無くなった。気がつくと労働組合の役員を経て、今は、市議会議員として務めている。しかし、まさか政治家になろうなどとは我ながらも思ってもいなかったことだ。今の夢は、議員を辞めた後、高森町の工房で冬の間にオリジナルの木工作品を作り溜め、春から秋にかけて全国の手づくりフェアを渡り歩き、作品を出展・販売すること。空いている時間は、地域の子どもたちとの作品作りを通しての木育活動をしたい、などと思っている■しかし、歳を重ねれば身体のあちこちがヤバくなってくるだろう。いつの日か木工に没頭できる日々が訪れたときに、私の頭もしっかりしていて、目や足や手がきちんと働いてくれることを、そして、夢に向かう情熱を無くしてはいないように願っている。身体が壊れるころに、孫が作ったロボットで生きながらえ、医者になった孫に看取ってもらえたら、などと夢を描いている。

 

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徒然日記 Vol 205

当選証書をいただいて

昨日、市役所で当選証書をいただいた。そして、今日から、また新たに市議会議員としての二期目が始まる。この4年間で、議会活動を通して多くのことを学んだ。議員と言えば遠い存在のように思われるが、48名の市議会議員のほとんどは、当たり前のことだが市民目線を持った庶民であり、市民の方々のためにモノを言い活動する情熱の徒だ■しかし、「えっこんな人が議員?」と思える方もいらっしゃる。個人名を上げ、これまでの言動や働きについてお知らせしたいところだが、私は人の悪口は言わない主義だ。しかし、全国規模で政治不信・政治離れが進んでいることの一因には、一部の愚かな議員の言動により、議員に対しての信頼が無くなっていることにもある。全ての議員が同じように見られることに、やりきれなさを感じる■私たちの会派:市民連合の議員は、議会ごとに議会だよりを作成し、地域に配布し、市政報告会等を通して日常的に議会の動き等を知らせる活動を行っている。市民の方々も、議員としてその人がこれまでにどのような活動をしてきたのかを、きちんと把握して議員を選択してほしいものだ。できれば、インターネットで熊本市議会を検索し、各議員の発言内容を知ってもらいたい■議員になって4年。時折、私のことを「せんせい」と呼ぶ人がいる。そのたびに、「福永議員と呼んでくれませんか」と話している。これから先も、議員が何かしら偉い人として特権を持たされたかのように勘違いしないようにしないといけない、と思っている。新たな4年間、これまで通り、奢らず威張らず、誠意を持って人に接することに心掛け、襟を正し、初心を忘れずに頑張らねばならない。

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徒然日記 Vol 204

一票の重み Vol 2    

   南区の選挙で4515票の同票数でのくじ引きで、わが会派の田辺先輩が勝利した。勝利を15時過ぎに知り、16時以降先輩に電話するも繋がらず、18時過ぎに田辺先輩から電話があった。私の「良かったですね」に「心臓に悪かバイ」の言葉■夜のテレビでは、二人の候補者のくじ引き前からの様子が報じられた。先日、仲間内で「田辺先輩は今頃、神社に行ってたりして」と話していたらば、近くの川尻神社で神妙な顔で勝利祈願をする田辺先輩の姿が報道されていた■くじは筒の中に入った1から10までの数字が記された棒を選び、少ない数字を引いた者が勝ち。抽選で、最初に田辺さんがくじを引くことになり3番を引き、もう一人の候補が10番を引いた。負けた候補者が苦笑いで、田辺先輩は無表情だった■画面を見ながら人ごととは思えなかった。 負けた候補者のみならず、候補者に投じた有権者の心境や如何に?あと一票さえあれば、あと一人に電話していれば・・・などと悔やまれていることだろう。田辺先輩の勝利を喜びながらも、なぜかスッキリしないのは私だけだろうか?

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徒然日記 Vol 203

一票の重み

  昨日、西県議と二人で、県庁に行った。私を知っている方が、冗談交じりに「楽な選挙だったね~。運がよかバイ、ほんとついとるバイ」などと言って、当選を喜んでくれた。今回の選挙で、自ら「楽勝議員」という言葉を使ってきたが、他には「棚ぼた議員」やら「お気楽議員」などと冗談を飛ばす人もいる■それでも、「これまできちんと活動してきた」という自負があるから腹も立たず笑ってすませる。今回の選挙では、私の所属する会派:市民連合の同僚・先輩議員は、私を含めて7名が立候補した。その内、6名が当選し、前市議の村上さんも当選したが、残り一名の南区選出の田辺先輩の当選が決まっていない■なんと、南区の定数8人の8番目に、田辺先輩ともう一人が4515票の同数となり、本日くじ引きにより勝敗が決まる。たった一票されど一票。一票の重みが私にも重く響く。くじ引きで、人生が決まる。さらには、二人の勝敗で、わが会派が現状の第三会派に留まるのか、第二会派となるか、ということも決まる■田辺先輩にはぜひ勝ってもらいたい。そして後日、冗談で「くじ引き議員ばんざい」と言って当選を喜びたいものだ。しかし、なにせ、くじ引き。運を天に任せるしかない。ある方が「田辺さんは強運の持ち主。大丈夫バイ」と言っていた。「勝って!勝って!」と念じながら、午後三時以降の吉報を待つしかない。

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徒然日記 Vol 202

もしかしてだけど~

   先日、北署から電話があり、「北区のある地域の市議選の掲示板の候補者ポスターに悪戯されているが被害届けを出しますか?」との、連絡と問い合わせがあった。聞けば、複数の候補者のポスターへの悪戯とのことだったので、私は、「被害届けを出しても犯人は捕まらないでしょうね。北区の市議選は無いことだし、他の捜査に力を注いでください」と言って電話を切った■ところが、昨日は、また別な方から、「4か所ほど福永さんだけのポスターが剥がされてたよ」と、知らされた。北区の選挙は無いにしても、他の9名の当選議員のポスターは、きちんと貼られ、私だけのポスターが無いという話を聞いたからには、あまりいい気持ちはしない。いったい誰が、なぜ?と思うのは当たり前の感情だ■だからといって、犯人を捕まえてほしいと言っても、無理な話。警察に被害届けを出しても、辺鄙なところにしか看板は立ってはいない。地域の防犯カメラにも犯人の姿は映ってはいないだろう。たとえ犯人がわかったとしても、何が解決するというのだろう?これまでにも、近隣の支持者宅前の看板を外されて、路上に放置されたこともあった。色んな地域に、よほど、私を嫌っている方がいらっしゃるようだ■それにしても、私のポスターの数枚が無くなったことで、私の今後の活動に支障は出ないものと、わかってはいても、なんともやりきれない陰湿なやり口に言葉を失う。それでも、孫たちの前で、「♪もしかしてだけど~もしかしてだけど~北区当選の男性議員の9名の中で、おいらが一番いい男だから、若い女性たちがおいらのポスターを持ち帰ったのかもしれない」と歌ってみせると、二人そろって大きな声で「ノ~~」と否定されてしまった。

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徒然日記 Vol 201

無投票当選 Vol 2

  4月12日の投票日まで残り一週間を切った。わが北区は、10名定数に立候補者10名ということで無投票となった。私は、告示日の4月3日の夕方の勝利宣言以降、仲間の県議会議員候補の西聖一さんの三期目当選に向けて、地域の方々に支持を訴える活動を行っている。しかし、その方々の中には選挙に対して全く興味の無い方もいらっしゃる。「近所に住む、無投票で当選した市議の福永です」と言っても、キョトンしている人がいらっしゃる■特に、若い人で女性が多い印象だ。それに比べ、年配の方々の多くは政治への関心も深く、「当選おめでとう」の後に、「議会だよりいつも読んどるバイ」とか、「介護保険制度は悪くなるばかりタイ。どげんかしてはいよ」「年金は減り、物価は上がり、生活がきつかバイ」など、励ましや、国政への不満等を伝えてくださる。茹で蛙という言葉があるが、悪しき状況に置かれているのに気付かない人たちがドンドン増えているような気がする■それだけ、満たされているのか、忙しくてゆとりが無いのか、政治に何も期待してはいないのか・・・。今日は選挙事務所にいた20分ほどの間に、県議会議員候補の選挙カーが二台通り過ぎた。私もスタッフと一緒に、事務所の外に出て手を振ったが、二台共候補者は乗ってはいなかった。そして、二台共にマイク担当の女性が「福永候補のご健闘を祈ります」と言ってくれた■頭を下げながらも、そのたびに私は「候補じゃね~しっ。無投票で当選したし」って突っ込みを入れるも、選挙カーに聞こえるはずもない。選挙は始まったばかりなのに、何も訴えることができずに、もう終わってしまった無投票当選議員のやるせなさよ。戦いたかった。戦って勝って、二期目を迎えたかった。とにもかくにも、今度の日曜日の夜、西県議と支持者の方々との万歳三唱を夢見て、残りの日々に最善を尽くしたい。

■知人から送られてきた

市房ダム湖畔の桜」の画像

P3310036

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徒然日記 Vol 200

無投票当選

   4月3日は、統一自治体選挙の告示日だった。今回の選挙は、政令指定都市として初めての選挙ということで、市議会議員選挙は、区割り選挙が実施される。私の住む北区は10名定数で、事前の受付等で10名の立候補で、無投票の可能性ありの選挙区だった■ただし、4月3日の夕方五時までが立候補受け付けの締め切りということもあり、選挙カーも準備し、ポスターも掲示した。10時からの出発式の後、地元を中心に、雨に濡れながら時折車に乗り、歩きながらこれまでの取り組みや、市政の課題等について遊説して回った■夕方5時、選管から連絡があり、北区は10名の立候補しかなく無投票当選が決まった。予想はしていたものの、成績表をもらわないまま進級する学生の気分で、釈然としない。今後は、私と思いを同じくする、西聖一県議三戦目勝利に向けて投票日の12日まで、精一杯活動する予定だ■贅沢な言いぶりだとは思うが、きちんとこの4年間の評価を得て、二期目を迎えたかったものだ。いずれにしても、今後も精進を重ね、二期目の議員として、市民の方々の声を聴きながら、地域のために、市政発展のために頑張りたい。なお一層の皆さん方の叱咤激励をよろしくお願いしたい。

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徒然日記 Vol 199




読んでください/公開質問状の回答

市議選まであと10日。二つの団体から、公開質問状が寄せられた。私が回答した内容が、それぞれのホームページ(アドレスは下記)に掲載されている。忙しい合間での回答のため、言葉足らずの部分もあるが、どうぞ読んでいただきたい。

■http://wasamon-japan.jimdo.com/活動内容/2015年-活動/福永洋一候補/ 

  http://blog.livedoor.jp/shikyoren/

2015040208280000

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