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2015年3月

徒然日記 Vol 198

愚かしく、おぞましきこと・・

先日、熊本市の職員アンケートの結果を受けて、コンプライアンス担当監から市に対して意見書が提出された。その内容というのは、特定の議員が、不正に影響力を行使しているとして「夜中に職員を呼び出す」「職員を2~3時間立たせて説教する」というもの■同じ議員として、恥ずかしき限りだ。私も議員になって4年。今回の件、噂では聞いてはいたが、まさか事実とは。議員は市民に選ばれし代表だ。議員だからこそ、品位に欠く言動は戒めなければならない、ましてや職員を恫喝したりするのは、それこそ「おまちがいさん」のすること■議員が議員で無くなれば、市民の一人であり、ただの人。議員という立場を勘違いしての特権を振りかざす姿は、ある意味、愚かしく、おぞましき姿だ。今回指摘された議員以外にも、昼休みや休日などの時間外に職員を呼びつけたりするのが当たり前と、思っている議員が多数存在する■議員たるもの、品位を保ち、謙虚であり、誠実であることがあるべき姿だと、改めて実感するこの頃だ。今後、議会内部でのチェック体制を明確にし改革していかなければ、市議会の透明性や信頼性は損なわれ、ひいては熊本市の将来の発展は望めないと思う。

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徒然日記 Vol 197

楽勝議員?!  

   4月12日の統一自治体選挙は、熊本市が政令指定都市になって初めての選挙で、県議選・市議選が同日に行われる。そして、県議選は、市内を二つの区に分けて、市議選は五つの区の市民がそれぞれの区の議員を選ぶ選挙となる。私の出馬する北区は、定数10名に対して、現在10名の立候補予定で、無投票の可能性が大きくなってきた■北区の現職のある議員は、「選挙が無ければそれに越したことはない」と言っているらしいが、私は無投票となれば大いなる問題だと思っている。ひとつは、市民の付託を得ないままに議員となってしまうことへの懸念だ。私はこの4年間の活動に対して、市民の方々からきちんと評価してほしいと思っている。また、無投票ともなれば、北区だけが投票率を下げる可能性もあり、県議選への影響は必至だ■政治に不信を持つ市民、無関心の市民が増加し、近年の投票率は50%以下と低迷している。今後、更に北区だけが投票率を大きく下げて、政治離れが進むのではないかと心配している。ある新聞社の記者の取材で、「なぜ北区だけが立候補者が少ないのか?」と問われた。私としては、「政治に対する魅力が無く、政治家を目指す人材がいないことの表れでは」「区ごとの選挙となり、日常的な地域活動をしているような人でなければ当選も困難との判断がある中、立候補を断念しているのでは」と答えた■議員は、一年を通してほとんど休み無く活動しなければならない。よほど、高い理想と信念が無ければ続けられない仕事だと思う。できれば情熱を持った実力のある人が立ち上がり、選挙戦を互いに戦いたいものだ。無投票となれば、たぶん、告示日にマスコミはこぞって、「政令指定都市熊本の市議選で北区は無投票」と広く報道するだろう。その後、色んな人から「良かったない!楽勝議員」と嫌みを言われることだろう。いずれにしても、選挙の有無に関係なく、コツコツと活動を続け、私を認めてもらうしかないのだ。

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徒然日記 Vol 196

別れと出会いの季節に・・・

 春は、別れと出会いの季節だ。私も3月は、母校の九州学院の高校・中学校や地元武蔵校区の武蔵中学校・小学校の卒業式に来賓として、そして、今日は孫の卒園式に保護者として出席して来た■いずれの場所でも、子どもたちの姿に心打たれ、そして、毎回のように感動し泣いてしまう。しかし、私たちの子ども時代に比べると、今の子どもたちの環境は良くなったのだろうか?■毎日のように、子どもたちの自殺や、殺人や、暴行等、悲惨な事件が報じられている。人が人として生きづらい世の中になったように思うのは、私だけだろうか?■子どもたちは、卒業式や卒園式を境に、また、新たな環境で、新しい人と知り合い、新しい人生を歩んでいく。贈る言葉として、子どもたちの誰もが、たくましく、すこやかに生きて、幸福であれと心から祈りたい。

 

■九州学院中学校

チャペルで厳かに

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■武蔵小卒業式

子どもたちの合唱に感動

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■あゆみ保育園卒園式

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徒然日記 Vol 195

おまちがいさん

私が働いていた知的障がい児の施設「肥後学園」でのお話。子どもたちが間違ったことや、やってはいけないことなどをしたときに「おまちがいさん」と言っていた。この言葉は、単に否定的な意味合いだけでなく、おっちょこちょいの子どもたちにも当てはめて、「がんばらないかんばい」という思いを込めて使っていた■肥後学園の子どもたちの多くは、そもそも生まれた時から障害を持って生まれて来たのだから、今思えば、その子どもたちに「おまちがいさん」とは、はなはだ差別的な表現だったのかもしれない。しかし、障害を持った子どもたちと日常的に過ごす私たちにとっての「おまちがいさん」という言葉は、差別ではなくて愛着を込めた意味での表現だった■40にして惑わずというのに、60歳を越した私は、今もって惑いっぱなしで、「おまちがいさん」だと思う。思い込みが激しく、おっちょこちょいで、時々ミスをする。ミスの中身はともかく、おまちがいさんが続けばヤバいのだ■20年後、高齢者の4人に一人は認知症になるという。高齢者と言われる65歳まで、残り4年、癌にもならず認知症にもならず健康なまま生きていくのは、難しい。「物忘れも老人力だ」という言葉があるが、歳を重ねながらも活き活きと生きて逝きたいものだ。

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徒然日記 Vol 194

何処でも○○○

先日、20年以上通っている床屋さんに行き、頭をすっきりして来た。店長のKさんとは年齢も近く、いつも、釣りやキャンプなどのアウトドアの話や、音楽や暮らしにまつわる話などをする。そして、私の木工作品も大好きな方で、私の試作品をいつも見てもらって、作品づくりのアドバイスをもらっている■その日は、東日本大震災の話から、トイレの話になり、今どきの子等が洋式トイレでしか用を足せない、という話に及んだ。私の孫たちはといえば、高森の家のトイレがドッポン便所ということもあり、「怖い」と言って、高森では、畑で用を足すようになった。勝手に移植ゴテとトイレットペーパーを両手に持って、畑のはじっこに行き、適当な場所に穴を掘り、けつをまくって、用を足している。ドッポン便所以外、彼らはどこでもウンチができるし、どこでも眠れるし、好き嫌いなく何でも食べる■しかし、世の中は軟弱な子どもが(大人も含めて)増えているようだ。学校のトイレの半分は和式とのこと、そのことにより、学校では絶対にウンチはしない、という子どもたちもいるらしい。それは食事や睡眠という基本的な生活習慣に関しても同様で、時と場所が変わることにより、「食べられない、眠れない」という子どもたちが増えているという■文明が発達したぶんだけ、人間は少しずつ野生の力をどこかに忘れて来たようだ。サバイバルとまでは言わないが、私たちは大人の責任で、いつでもどこでもウンチができる、眠れる、何でも食べられるような子どもたちを育てるべきだと思う。そうしなければ、自然災害時や緊急時に際して、最後まで生き残れないような気がする。そう思うのは私だけだろうか?

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徒然日記 Vol 193

あれから4年

 「あれからもう4年たったのか」と思う人と、「あれからまだ4年」と思う人がいるかもしれない。4年前の3月11日の午後、後援会事務所に立ち寄った時、ある人の「東京で大地震があり街が大津波に襲われている」との報。しばらくして、それは誤報で、後から東日本で起きた大地震と、津波のことだとわかった。後援会事務所のテレビで、津波が田畑を襲い、家々をなぎ倒していく映像を見ながら、身体が震え、「これは大変なことが起きた」と思った。そして、被害の甚大さを知るにつけ、悲しみと共に、恐れを感じた■あれから4年が過ぎた。今なお、復興どころか復旧のめどさえ立っていない地域もある。ましてや、未だ4年前から時間が止まったままの方たちもいらっしゃる。東北大震災を通して、自然の前には「なんと人間は弱き者か」ということを再認識した。そして、復興を合言葉に、頑張る人たちの強さも知った。しかし、被害にあわなかった私たちの心境は如何に?今、遠い昔のことのように語る人々がいる。風化という言葉がある。それは、想像力に欠けた、人の苦しみや悲しみを共有できない者の仕業だ■あれから、もう4年も過ぎたのに、復興に向けて、きちんとした対応ができていない政府の姿勢には納得できない。そう思うのは私だけだろうか?あの時に見た画像で忘れられない一場面がある。それは、高台の公園に避難した人が、津波から逃げる人を助けようとして高台から駆け下りて、一緒に津波に飲まれる場面だ。そして、忘れられない言葉がある。肉親を含めて7人の家族失った人が、「私は一生泣かない。私が泣けば、生き残った父が潰れてしまうから」と・・・■4年前に東日本で起きたことを、我が身に起きたことのように思うのは難しい。しかし、今、目の前から家族がいなくなったら、私は一人で生きていくことができるのだろうか?と問うことはできる。私も含めて、4月11日は永遠に命の大切さと自然の驚異を、次世代の子どもや孫に伝える日でなければならないと改めて思う。

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徒然日記 Vol 192

無投票?!

   先日、統一自治体選挙に向けての説明会が開催され、市議選について、各区からの立候補予定者の氏名が明らかになった。4月に行われる統一自治体選挙は、政令指定都市となって初めての選挙となり、県議選と市議選が4月12日の同日に行われる■市議選については、各区の人たちがその区の定数の議員を選ぶという、区割り選挙が実施される。北区は10名定数で、現段階では10名の立候補だ。このままいくと五つの区の内、北区だけが無投票の可能性も出てきた。北区での立候補の10名中二名は新人■私も含めて戦わずして、市民の審判も受けずに、10名の議員が誕生することは、大いなる問題だ。北区での市議選が行われず、県議選のみの実施となった場合、北区だけが他の区に比べて、投票率を下げる可能性がある。そのことにより、政治に対する無関心層がさらに増加することが懸念される。また、次の4年後の選挙にも大きく悪影響を与えることだろう■私自身も「選挙もしないで当選して良かったない」と、他の議員や市民の方から皮肉を言われたくはない。我が名前を支持者の方々に書いてもらって、その負託を受けて活動するのが議員の役割だ。政令指定都市になって無投票なんて、あってはならないことだと思う。この4年間の私の活動を、市民の方々に選挙で、きちんと評価をしてもらいたいものだ。

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