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2015年1月

徒然日記 Vol 185

からまれる日

 先日、朝からいいことがあった。辻立ちを毎日のように近隣の交差点で行なっている。その日は、龍田の交差点で30分ほど話した。途中から向かい側の家からTさん(市のOBの方)が、寒い中、玄関に立ち、ずっと私の話を聞いてくれた。辻立ちが終わって挨拶に行くと、「応援しとるバイ」と言っていただいた■しかし、その後二人の人からからまれて嫌な思いをした。辻立ちの後、いい気分で、用事があって市役所に向かった。途中、傘をさして自転車で走るおっさんを追い越した。追い越す時に、私の車が中央線をはみ出したので、対向車が「ビッビッ~」と警笛を鳴らした。そして、信号機で止まっていると、あのおっさんが助手席側の窓越しに、血相を変えて、何やら吠えている。助手席の窓は手動で、手が届かない。何を言っているかわからないが相当怒ってらっしゃる。たぶん「ビッビッ~」と警笛を鳴らしたことに腹を立てているのだろう?よほど車を降りて「私じゃありませんよ」と言おうと思ったが、話が分かるような風でもないので一礼して走り去った■市役所に着いて、議会の事務所で仕事をしていると携帯が鳴った。いきなり、男性の声で、名前も名乗らず、「お前はな~○△×※◇∈」と叫んでいる。「えっ何ですか?聞き取れないんですが、私は市議会議員の福永ですが~」と言うと、「そぎゃんとはわかっとるタイ。お前はな~議会だよりをポストに入れるのはいいとしても、家の前で痰を吐くなよ」と言われる。私は、「議会だよりは今回は手配りする余裕が無くて業者に頼んだんですが」と言うと、「業者にちゃんと(痰を吐かないように)言うとけや~」と言って電話が切れた。たよりを入れる方たちが家の前で痰を吐くなどあり得ない。ましてや、私もそんなことはしない。私を支持しない方の単なる嫌がらせだ。しかし、名前も名乗らず、お前呼ばわりして一方的に電話を切るその卑怯なやり方には腹が立つ■昨年のこと、友人の家の塀に立ててあった私の看板の固定用の針金が切られて、看板が道路に投げ捨ててあった。これも誰かの嫌がらせだ。これまでの4年間、人に恨まれるような活動はしていないつもりだ。しかし、私の主義主張や行動が許せない方たちもいらっしゃるようだ。であれば、私の何がダメなのか、正々堂々と名を名乗って、きちんと指摘してほしいものだ。言い訳もできないままに、二人のおっさんにからまれた。朝のTさんのことが無かったら一日どんよりとした気分だったかもしれない。「議員やっとれば嫌なこともあるさ」と自分に言い聞かせて、めげずに頑張るしかないのだ。それにしても電話のおっさんは卑怯なり。

 

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徒然日記 Vol 184

酒と酒と酒の日々

 一月は、年間でも一番お酒を飲む機会が多い月だ。この一カ月間で10日以上の飲み会がある。一日とか二日おきならばいいのだが、五日連続で、一日に二か所以上という日もある■もともと酒が好きで、色んな方たちと酒を酌み交わしながらの交流は、とても楽しく有意義だ。しかし、先日はとうとう体調を崩して、一日半寝込んでしまった■下痢と嘔吐があり、インフルエンザかと思ったが、微熱で、二日目の午後には生き返った。ある集会を欠席したところ、「福永さんはインフルエンザだ」という噂が広がり、幾人もの方から「大丈夫か」とメールや電話があった■「福永は気合が入っとらん」と言っていた方もいたとか。一月は残り二週間で、飲み会は8回程度。お酒はほどほどに、シッカリと交流を深め、気合を入れて乗り切りたいものだ。

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徒然日記 Vol 183

 

未来は・・・

 ある方とメディアの話になって「私は新聞やテレビのニュースは信じない。インターネットで日本だけでなく世界からの情報を聞いたり見たりしている。海外の安部政権への評価は低く、憲法改正の動きに対して多くの国が危機感を持っている」と、言われた。確かに情報化社会の中で、情報が溢れすぎていて、何が正しい情報なのか判断するのが困難な時代だ。昨年二月に発表された世界各国の報道の自由度ランキングでは、日本は福島原発事故の隠ぺい体質や特定秘密保護法の成立などが指摘され、前年の53位から59位に順位を落とした。その背景には政府から資金援助を受けている記者クラブや、大企業をスポンサーに持つ多くのメディアの存在があるということ。このことにより、日本のメディアは、政府や大企業による情報統制を受けているし、時の政権寄りの世論形成に傾いているのが実態だ■しかし、先日、地元紙の1月6日付の「デスク日記」を読んで、感心した。その記事の見出しは「『この道』の危うさ」。内容は、アベノミクスに対しての二つの疑問として、一つ目が企業への賃上げ要請について「企業活動は自由であるべきなのに、政権が一定の強制性を持って経済界への賃上げ要請をすることは、賃上げの構造にはならない」、二つ目が円安の現状について「本来は自国の通貨価値を高める政策こそ国際社会で存在感を高める道であるだろう」というもの。そして、安部首相の「この道しかない」の訴えは危うさが付きまとう。アベノミクスは「憲法改正」や「戦後レジームからの脱却」を進めたいがための「まやかし」に思えてならない。と結ばれていた。「アベノミクスはまやかし」と、よくも書いたり、そして、よくぞ掲載されたものと感心したものだ■国民のアベノミクスに対する評価は分かれるところだが、多くの国民は期待感を持ってその効果を待ち望んでいるようだ。安部政権の要請で大企業を中心として働く人たちの賃金は一定上昇してはいるが、それは一部の者にとどまり、なおかつ消費税のアップや円安に伴っての物価の上昇により、実質賃金は目減りしている。ましてや、不安定な雇用条件で低賃金にあえぐ非正規の労働者が増大しているのが実態だ。今やるべきことは、若者の雇用対策と少子化対策、そして高齢者を地域で支えるシステムづくりだ。先送りすればするほど、日本の未来はないと思う■安部政権が進めるアベノミクスや憲法改正等の歴史的評価が下されるのは、2020年に開催される東京オリンピック以降だろうか?やっぱり間違いだったんだとわかったにしても、後戻りはできない。いつの日か、多くの高齢者や若者が行き先を無くして、路上で生活しているかもしれない。自衛隊が名前を変えて他国と戦い、人と人が殺し合っているかもしれない。日本の未来づくりのために、今こそ多くのメディアが報道の自由度を上げて、国民に正しくわかりやすい情報を知らせ、国民の政治への関心を高めるような内容の報道をしてほしいものだ。つくづくそう思う。 

 

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