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徒然日記 Vol 174

人を大切に 

 幼い時から母子家庭で育ったために、物心つくころから「ふくし=福祉」という言葉がずっと身体に染みついていた。大学は夜間の福祉大学に行き、卒業して福祉の現場で働き、そして今、議員になって「福祉子ども委員会」に所属し、多くの障害児の保護者や障害を持った人たちと出会い、現場に行き、その実態を知り、その方々の要望や意見を行政に繋いで、改善を求めている。「その目的は」と問われれば、「困っている人たちを助けたいから」に尽きる■ある飲み会の席で、ある方から「あなたは福祉の人間だろう。でも、福祉だけでは社会は成り立たない。俺たち商売人あっての福祉だろう。稼ぐ人がいて、初めての福祉だ。熊本が発展するための経済の話もせじゃ~」と言われた。確かに経済が発展しなければ、豊かな福祉国家は形成できない話だ。高負担・高福祉の北欧の姿を見れば、それは明らかなことだ。私には私なりの理想の福祉国家の姿がある。しかし、残り二期八年間と議員活動を続けても、その理想の姿には程遠いと思っている。少しずつでもいいからと、今ある問題の改善に向けて頑張っているつもりだ。それでも、時々、虚しさを感じることがある■それは、いくら頑張ってもその場しのぎの改善でしかなく、根本的な改革には至っていないから。先日、要介護度5の高齢者の障害を持った方から電話があった。「私の入浴のサービスを請け負ってくれる事業所が無い。病院や施設に行くしかないのでしょうか」と。その背景には、何十カ所もある事業所に、彼女の介護ができるベテランのヘルパーがいないことや、時間を取られる割には事業所の利益が少なく、困難なケースは敬遠される実態がある。悲しい現実だ。どんなに重い障害を持っていても、誰しもができ得れば地域の住み慣れた街で、そして、自宅で生活したいと思うのは、当たり前のことだ。そのことを保障できない、「福祉」って何だろう?と思う。だからといって、「虚しい」と感慨にふけっていても仕方がないことだが、このやりきれなさは何だろう?■政治の根本を変えなければいけない、人を大切にする政治をしなければいけない、と思っていても、できないことへのやり切れなさのせいだろうか?誰しもが自分の今の生活のレベルからの要望や意見を発信している。これ以上の福祉はむだでは?どこまで福祉にお金を使うのですか?と語る人がいる。そんな人が、ある日ある時に障害を持って生きることになったとして、同じような言葉を発するのだろうか?人を大切にしない社会は、いずれ滅びる。私はそう思っている。どこまでやれるか分からないが、やはり、自分を信じて、人を大切にする社会づくりのために歩き続けるしかないのだ。

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