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2014年11月

徒然日記 Vol 177

死ぬかと思った Vol2  

   先日、夜の集会が終わり、元同僚と一緒に酒を酌み交わしての帰り道。シンとした夜の街中、ほろ酔い加減で自宅に向かって歩いていると、後方からパトカーのサイレンが・・。何事かと振り向きざま、白いワゴン車が猛スピードで私の横を通り過ぎ、車体を「ガッガッガッ」とこすりながら狭い道を右折。そして、パトカーから警官が一人降りて追跡。野次馬根性で後を追いかけた。ところが、すぐさま、白い車がUターンして来た。このままでは轢き殺されると思って、とっさに土手に登って難無きを得た■一瞬「市議会議員、逃走車にはねられ死亡」の見出しが・・。土手が無かったら本当にヤバかった。静かな街を一人静かに歩いていても、突然の出来事に命を奪われるかもしれない、という恐怖を味わった瞬間だ。新聞に、飲酒運転の現行犯とならないために逃走して、自宅ですぐさま飲酒して刑を軽くしようとする人がいるとの記事があった。多分、今回の白い車の運転手も飲酒運転だったのかもしれない■車に乗っていて、運転する人たちのマナーの悪さに辟易することがある。免許を取って30年以上になるが、以前に比べて、突然の割り込みや、あおり運転や信号無視等、ヒヤッとすることが多くなったように感じる。また、歩行者のマナーも低下したように思う。私の世代は、子ども時代が車社会の始まりだったので、歳を重ねると共に車が増加して、車の怖さを身体で感じることができる。しかし、今の若い世代は、生まれた時から車があり、車が走る姿を見慣れている。そのために、私たちよりも若い世代は、車の怖さを知らないのではないか■飲酒運転や信号無視などは、違法行為でありマナー以前の問題だが、罰則を厳しくしても無くならない重大事故を見聞きするたびに、「疲弊した社会を象徴する末期的な現象では」と思うのは私だけだろうか。真夜中であろうが、田舎であろうが、いつでもどこでも、危ない人の運転する車はどこからでもやって来る。気をつけなければ殺される、そんな物騒な世の中だ。

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徒然日記 Vol 176

ハングオーバー 

 先日、ハングオーバーというアメリカ映画録画)を観た。たわいもない内容だったが、面白かった。男四人で、結婚前の友人の独身最後の夜をラスベガスで過ごすのだが、間違ってお酒と一緒にぶっ飛ぶクスリも飲んでしまう。翌日、目が覚めると新郎が行方不明で、ホテルのバスルームには虎が、クローゼットには赤ん坊が・・・、でも、薬のせいで三人の記憶はゼロ。そして、行方不明の新郎探しが始まる■私も若い頃は、酔っぱらって人には言えないような失敗をいくつもしたものだし、友人知人の酔っぱらっての面白い姿や話もたくさん見聞きした。映画を観ながら、いずこの国の人たちも、酒を飲み馬鹿をやっちゃうんだなと、その姿に爆笑してしまいつつも、時折、自分の若い頃を思い出して赤面するやら、懐かしいやら■そこで、これまでに見聞きした、酔っぱらいのいくつかの言動をご紹介しませう。まずは大学時代編◆酔っぱらって何回も「かんぱ~い」と言って、空のコップを喉を鳴らしながら美味しそうに飲み干す後輩◆気障で嫌みな友に、ジョニ黒の瓶にレッドを入れて飲ませる後輩。気障で嫌みな友人「さすがジョニ黒マッタリとして美味し」◆目が覚めたら、バス停のベンチが部屋に置いてあったという後輩◆夜のバスに乗っているとき、私の後ろに座っていた若者が私を目がけて吐く。「うえっうえっ」という事前のシグナルがあり、間一髪で席を離れて助かる◆下宿屋で先輩後輩入り乱れての飲み会で、洗面所で吐いている後輩の背中を「大丈夫かい」と、さすっていた優しい先輩。その後、仲良く二人で肩を組んで吐いていた◆次は、大学卒業以降のお話。熊本市に住む知人が福岡での結婚式に参加。帰りのJRを乗り越して目が覚めたらば八代に到着。慌てて乗り換えたものの、目が覚めたら福岡だったという話◆酒の肴と思い煙草の吸殻をワシワシと食べる人◆目が覚めたらバス停のベンチに寝ていた。時間は朝の7時◆夜の街で女性の客引きに連れ去られて、目が覚めたらカーテンのあるベッドに一人寝ていて、8,000円払って帰った人◆目が覚めたら、トラ箱だった。警官の話だと深夜の熊本駅前で大声で演説していたらしい■人生色々。酔っぱらいも色々。飲みすぎ厳禁!アルコールは、ほどほどに・・。

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徒然日記 Vol 175

市長を誰に・・ 

 熊本市長選挙が告示された。事前投票も始まった。三人の候補者がいるが、だれに投票すべきか迷っている。どの候補者も、「医療費助成を中学三年生までに(現行小学三年生まで)」や「小中学校全教室へのエアコン設置」などの金のかかる、市民受けするような、でっかい花火を打ち上げている。しかし、社民党の公開質問状の中の「憲法九条の改正の動きについて」の質問に対して、二人の候補者は「容認」というような主旨の回答。ある候補者は「国の施策だから関係ない」の回答。どちらの回答も到底賛同できかねる内容だ■ある候補者は、マイス施設建設の反対を訴えている。その理由は、莫大な予算に比べての費用対効果が無いこと、維持管理費がかさむことになり、無駄な箱モノとなることなど。確かに、ハード面だけの支出を見れば無駄に見えるが、交流人口の増加を図るための拠点施設としての役割は、今後、ソフト面を充実していくことにより、その経済的な波及効果は計り知れない、という一面もある。現行のマイス施設建設に反対するのであれば、市民の意見を聞く前に、対案としての人を呼び込む具体的な施策を市長候補として提案しなければ、あまりにも他力本願で納得はできない■いずれにしても、誰かが市長に選ばれ、その市長のもと新しい熊本市のかじ取りをしていくことになるのだが、でっかい花火を打ち上げて全てを実行できるほど市の財政は豊かではない。予算をやりくりするのには、現行の事務事業を見直して、なおかつ様々な分野の更なる民間委託を推し進めるしかない。それでも財源が不足した時には、職員の削減や給与カットなどが実施されるかもしれない。現在、市の職員は9000名ほどで、そのうちの40%近くは官製ワーキングプアと言われる年収200万円以下の臨時嘱託職員だ。市民は行政サービスの向上を願っている。しかし、業務に見合う人員や専門的な知識と経験を有する人材が不足すれば、そのサービスは低下することは明白だ■三人の候補者のそれぞれの主張なりマニフェストを読んでも一長一短あり、納得したり、嘘だろう、という内容だったりでピタッと来ない。今回の市長選挙は革新系の候補者がいないことや、マイス建設の是非以外の対立軸が見えない、ということもあり、多分投票率は伸びないだろう。「お金と髪の毛と、情熱を後押しするだけの能力と体力があれば、私も立候補したのだが・・・」と独り言ちる夜。それにしても、ベストな候補者がいない中、市長としてよりベターな候補者はいったい誰なのか?

 

 

 

 

 

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徒然日記 Vol 174

人を大切に 

 幼い時から母子家庭で育ったために、物心つくころから「ふくし=福祉」という言葉がずっと身体に染みついていた。大学は夜間の福祉大学に行き、卒業して福祉の現場で働き、そして今、議員になって「福祉子ども委員会」に所属し、多くの障害児の保護者や障害を持った人たちと出会い、現場に行き、その実態を知り、その方々の要望や意見を行政に繋いで、改善を求めている。「その目的は」と問われれば、「困っている人たちを助けたいから」に尽きる■ある飲み会の席で、ある方から「あなたは福祉の人間だろう。でも、福祉だけでは社会は成り立たない。俺たち商売人あっての福祉だろう。稼ぐ人がいて、初めての福祉だ。熊本が発展するための経済の話もせじゃ~」と言われた。確かに経済が発展しなければ、豊かな福祉国家は形成できない話だ。高負担・高福祉の北欧の姿を見れば、それは明らかなことだ。私には私なりの理想の福祉国家の姿がある。しかし、残り二期八年間と議員活動を続けても、その理想の姿には程遠いと思っている。少しずつでもいいからと、今ある問題の改善に向けて頑張っているつもりだ。それでも、時々、虚しさを感じることがある■それは、いくら頑張ってもその場しのぎの改善でしかなく、根本的な改革には至っていないから。先日、要介護度5の高齢者の障害を持った方から電話があった。「私の入浴のサービスを請け負ってくれる事業所が無い。病院や施設に行くしかないのでしょうか」と。その背景には、何十カ所もある事業所に、彼女の介護ができるベテランのヘルパーがいないことや、時間を取られる割には事業所の利益が少なく、困難なケースは敬遠される実態がある。悲しい現実だ。どんなに重い障害を持っていても、誰しもができ得れば地域の住み慣れた街で、そして、自宅で生活したいと思うのは、当たり前のことだ。そのことを保障できない、「福祉」って何だろう?と思う。だからといって、「虚しい」と感慨にふけっていても仕方がないことだが、このやりきれなさは何だろう?■政治の根本を変えなければいけない、人を大切にする政治をしなければいけない、と思っていても、できないことへのやり切れなさのせいだろうか?誰しもが自分の今の生活のレベルからの要望や意見を発信している。これ以上の福祉はむだでは?どこまで福祉にお金を使うのですか?と語る人がいる。そんな人が、ある日ある時に障害を持って生きることになったとして、同じような言葉を発するのだろうか?人を大切にしない社会は、いずれ滅びる。私はそう思っている。どこまでやれるか分からないが、やはり、自分を信じて、人を大切にする社会づくりのために歩き続けるしかないのだ。

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