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2014年10月

徒然日記 Vol 173

なぜ?

最近はあまり見なくなったが、漫才で「地下鉄をどうやって地下に入れるんだろう?あらかじめ電車を土の中に埋めといて、その場所からレールを敷くのだろうか?考えたら眠れない」などいうものがあった。「どうやって」とか「どうして」とか「なんで」とか考えると、結論の出ない、わからないことだらけの世の中だ。私も時々「どうして?なんで?」と考えて眠れなくなる時がある。私の場合の「なぜ」は、人や物事の事象に関わって、本当にそうなのかな、とか、なんでそんなことが、とかだ。そんな、私の考える「なぜなぜ特集」■「なぜ桃はあんなにいい香りがして美味しいんだろうか」「なぜ夕焼けを見ると悲しくなるんだろうか」「なぜ歌は人の心を揺さぶるのか」「人のために流す涙は、なぜあんなに美しいのか」■「なぜワニの姿や枝の形をした昆虫がいるのか」「なぜこれだけ科学が発達したのに、癌は無くならず、車のタイヤはすり減るのか」「なぜ人は一番になりたがるんだろうか」「なぜビリッケツじゃダメなんだろう」「なぜ善人は早死にするのだろうか」■「なぜ人はヒーローを求めるのか」「なぜ人は人を差別するのだろうか」「なぜ戦争は無くならないのか」「なぜ私は今ここにいて何のために生きているのだろうか」・・・。あなたの「なぜ」はなんですか?

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徒然日記 Vol 172

薬は飲まないほうがいい?!

高血圧のために降圧剤を飲み始めて数カ月が過ぎた。おかげで、数値も下がり、健常者とほぼ変わらない程度の血圧になった。しかし、最近、テレビや雑誌で有名なお医者さんの話や記事を見聞きして、このまま薬を飲み続けるべきか考えている。ご存知の方も多いと思うが、そのお医者さんの考えは、「人には病気を治す力があるのだから、むやみに医者にかかり、病気を見つけて癌の手術や治療を受けたり、薬を飲むのは寿命を短くするだけのことだから控えたがいい」「食欲もあり体調が良いのであれば、例え検診の数値が悪くても、何もする必要はない」というもの■癌にも本物の癌と癌もどきがあり、ほとんどの癌は、ほったらかしにしていても大丈夫で、そのお医者さんの患者の多くに癌が消えた人もいるとのこと。降圧剤の服用についても、高齢になれば血管の老化により、心臓が多くの血液を身体に送り出すために血圧が上がるのだから、逆に降圧剤を飲めば脳に行く血液の量が減り、脳梗塞になりやすい、と持論を展開されている■私の知人で、そのお医者さんの「医者に殺されない47の心得」という本を読み、すい臓癌を数か月間ほったらかしにしていた方がいらっしゃる。しばらくは、体調が良かったものの、今は手術を受けて入院中だ。自覚症状があるのであればともかく、私の場合はいたって元気でなんら症状もなく、たまたま健診で心臓肥大の診断がくだり、薬を飲み始めた■いっそのこと、自分の体の自然治癒力を信じて、薬をやめようかとも考えるが、どうしたものか決めかねている。何を信じるかは、その人自身が決めることだが、「日本人は欧米に比べて、医者や薬を神話のように信じすぎる」「それに乗じて、国民の健康志向を助長しながら医者や医薬品業界が利益を上げている」との指摘もある。いずれにしても、しばらくは、薬を飲みながらも、運動に心掛け食事に気を付けて、体重を落とし、できることならいつの日か薬をやめたいと思っている、この頃だ。

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徒然日記 Vol 171

トラウマを乗り越えて・・

今朝の地方紙に、隣の校区の楠小学校の4年生の児童26名が、社会科見学で訪れた山中で、蜂に刺された、という記事が掲載された。私たちを刺した蜂と同じ種類だ。私の連れ合いと同じように20か所近く刺された子もいたとか、大事に至らずに、本当に良かった。私たちも蜂に刺されて、人間の弱さを身に染みて実感した。あれから、一カ月以上もたつというのに、私の傷はまだ癒えない。ましてや、傷は無くなったものの、5歳の孫の心に染みついた蜂の恐怖は、未だ消えない■高森に一人で行き、蜂の巣を撤去して帰ってきた夜に、寝床で孫を引き寄せようとすると、泣いて嫌がった。訳を聞くと、「じいちゃんが蜂を連れて来た」と言う。私自身も、時折、周りを飛び交う虫たちの羽音に敏感に反応してしまう。幼い孫たちにしてみればなおさらのことだ。幼い時に刻まれた恐怖は一生トラウマとして、心に残るという。いつしか克服してほしいと思うとともに、二度と蜂に刺されないように生きてほしいものだ■先日は、御嶽山の噴火で多くの人の尊い命が奪われた。自然の大いなる力に対して、人間の非力さを再確認した出来事だ。九死に一生を得て助かった人たちの中には、子どもたちもいた。その子たちは、もう二度と山には行けないかもしれない。私の二人の孫たちも、「もう高森には行きたくない」と言っている。楠小学校の児童もそうだが、いつかはその時の恐怖を克服しなければ、生きていけないと思っている。蜂はどこにでもいるし、火山は、いつの日かは爆発することもあるのだ■高森の近くには、阿蘇の中岳があり、現在も噴煙を上げている。いつの日か、中岳の噴火に遭遇するかもしれない。蜂より以上に、火山の噴火は恐ろしいものだ。人間は、先人の知恵を学び、リスクを回避して生き延びてきた。だからといって、父が生まれ育った高森に行くことをやめようとは思わない。孫たちが、いつの日か蜂のトラウマを乗り越えて、また高森に行き、また一緒に遊びたいものだ。

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徒然日記 Vol 170

まん丸お月さん消えた夜  

   何年ぶりかに月食を見た。夕方に集まりがあり、車で帰る道すがら、早くも月は半分に・・。自宅に着いた時には、もう少しで皆既月食。孫たちを呼び、外に連れ出して一緒に月を眺めていた。すると、通りすがりの老人が「これで観なっせ」と双眼鏡を渡された。私も双眼鏡を持っていたが、借りて、マンションの上にぼんやりと赤黒く光る皆既月食の月を見た■月の上のほうはまだ薄く光り、肉眼で見ると細い眉のように見える。いつも見る月の輝きではなく、別の惑星かのようなその姿。老人は、「あの月の姿を中国では蚕眉(さんび)と言うんだ。昔、古典の授業で習った」と話された。その老人は近所に住む方で、県のOBであり、私の県庁時代の友人Tさんの義父だった■4年前、選挙に立候補した時に、その老人の家に挨拶に伺い、「Tさんには、県庁時代に大変お世話になりました」と話すと、「そりゃそうだろう。県におったら一緒に仕事をすることもあろうタイ」と、つっけんどんに言われた。それでもめげずに「市議選の立候補の挨拶に伺いました」と伝えたが、「俺は選挙は好かん」と言って玄関の扉を閉められた。それ以来、近所にいながら、散歩をする姿を見ても挨拶もすることもなく、敬遠気味だった。不思議なものだ、その方が、私のことを知ってか知らずか、月食の晩に、ちこらしく(親しげに)話しかけてくれたのだ■まん丸お月さんが消えたことで、心がまん丸くなったのだろうか?それとも、ただ単に、機嫌が良かっただけなのか?夕食も終わり、外に出て空を見ると、何にもなかったかのように頭の上で、いつものようにお月さんがお月さんらしくまん丸く、夜空に輝いていた。いつも、苦虫をかみつぶした顔で歩いていたあの人の心を、きっと、お月さんが癒してくれたのかもしれない。そう思った。ありがたや。ありがたや。  

※蚕眉(さんび)を調べたら、臥蚕眉(がさんび)という言葉に行きついた。太い眉のことを言うらしい。細い眉はなんというのだろうか?蚕眉(さんび)なのだろうか?誰か古典に詳しい人、教えてくださいませ。

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徒然日記 Vol 169

止まり木が無くなる

 私が30代の頃に、80代の元気のいい先輩と郊外の居酒屋で飲んでいた時、先輩が「若い娘がいる俺の行きつけの飲み屋に行くバイ」と、タクシーで街中に向かった。確かに、その店には、先輩よりかは若い70歳前後のママたちがいた。がっかりしながらも、永いこと店を続けてこられたことに、びっくりさせられたものだ■私も、40代ぐらいから、行きつけの店がいくつかあった。カウンターの椅子にチョコンと鳥のように羽を休めて、時折お店の人と世間話をしつつウイスキーを飲みながら過ごすマッタリとしたひとりの時間は、心休まるひと時だ。しかし、そんな私の止まり木のある店が、この20年程で二軒無くなり、そして今年中に、もう一軒も閉店するとのこと。さみしい限りだ■もう一軒だけ、30年以上続くおでん屋さんがあり15年ほど通っている。しかし、一次会の後に小腹が空いているときはいいのだが、おでん屋でのウイスキーは似合わない。お店の人との適当な距離感があって、一人でゆっくりと飲める店なんてあまりないものだ。チャラチャラした今どきの若い娘が傍にいたら、なお一層、落ち着かないし、かと言ってたった一人で、ただ飲むだけじゃつまらない■わがままなおっさんのその日の気分に合わせて、カウンター越しに、私のたわいもない話に適当に付き合ってくれる店なんて、もう見つからないだろう。ましてや、60歳を過ぎて今さらそんな店を開拓する気力もない。羽を休める最後の止まり木が無くなったら、私はどこに行ったらいいのだろうか?33年間も続いた「花椿」、せめて後7年、40周年めざしてがんばってほしかった。

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徒然日記 Vol 168

変な時代になったものだ  

   私には二人の孫(兄妹)がいる。上の子は9歳で来年の春には5年生になる。下の子は5歳で来年は1年生になる。同居しているため、夕食時に孫たちの話を聞くのが楽しみのひとつだ。先日、上の子が、近所の公園でのふたつの出来事を、話してくれた■ひとつは、休日の昼間の公園のベンチで、若い男女が「ハグして、ぶっちゅしていた」(抱き合ってキスしていた)という話。もうひとつは、公園の隅っこで一人で遊んでいたら、私の母(80歳)ほどの女性が、木陰に来て「ブ~」とオナラをふって行った、という話■どちらもたわいのない話のようだが、考えさせられる話だ。子ども達が遊んでいる真昼間の公園で、恥じらうこともなく抱き合う男女の姿。日本も欧米並みに開放的な世の中になったのかと、感慨深い。孫に「二人を見て。どうしたんね?」と聞くと、「友だちと二人で『なにしてんの~』と聞いたら男の人に『うるせ~』って言われた」と答えた■若者の言動もだが、孫たちの行動にもびっくりさせられる。もうひとつの「女性のオナラの話」も、「それでどうしたんね?」と聞くと、「僕に気がついたおばちゃんは『あらま~』と言って、すごいスピードで走って行った」と答えた。恥じらう高齢の女性と、恥じらいを無くした若者たち。孫の話に笑いながらも、変な時代になったものだと思った。そして、子どもたちは、私たち大人の行いをしっかりと見ているのだ、ということを再認識し、しっかりしなければ、とも思った夜だった。

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