徒然日記 Vol 121
東京オリンピック開催決定に思う
2020年の夏のオリンピック開催国に、日本が選ばれた。7年後には、私は66歳だ。運が良ければ、きっと生きている。前回、日本でオリンピックが開催された時は、私は小学校5年生の10歳。その頃は、鹿児島の大口市(今は伊佐市)に住んでいた。オリンピックの記憶は、入場行進の白と赤の服を着た選手団や女子バレーボールのロシアとの決勝や、マラソンの裸足のランナーアベベや、競技場内で抜かれて三位となった円谷選手の走る姿などが印象に残っている。あの頃の日本は、高度経済成長期にあり、夢にあふれた時代だった。子ども心にもワクワクとした昂揚感に包まれて、テレビで日本の選手を応援したものだ■そして、今回のオリンピック開催。日本中が、当時と同じように昂揚感に溢れている。オリンピック開催決定も追い風となり、きっと、10月には来年春からの消費税導入が決定されるだろう。そして、益々、自民党の政治が推し進められることになるだろう。今回の、オリンピック招致の課題として、原発の放射能汚染水の対策が挙げられた。安倍首相は、招致のためのプレゼンで、国を挙げての放射能汚染水対策を掲げ、日本で開催されても安全と安心であることを強調した。汚染水対策の目的が、あたかも、オリンピック開催のために、と感じてしまう。何故ならば、東電の事故責任はなおざりにされたまま、今なお全国に避難されている28万9600人の避難民の将来の生活の保障も不完全なままだという、思いがあるからだ■今後、オリンピック開催に向けて、多額の予算がつぎ込まれ、道路や建物等のハード整備が始まる。そのことにより、日本の経済は立ち直り、労働者の賃金も上がり、豊かな日本が取り戻されるという夢が与えられた。今回も、試算として、特にサービス業や建設業を中心に今後7年間で3兆円の経済波及効果が見込まれるとのこと。さらにこうした経済効果に伴って東京を中心に全国で15万人以上の新たな雇用が生まれると試算している。前回の東京オリンピックの開催では、競技施設建設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれ、競技や施設を見る旅行需要が喚起され、カラー放送を見るためのテレビ購入の飛躍的増加などの消費も増えたため、日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらした。今回も二回目のオリンピック景気があるかもしれない。しかし、利潤は一部の限られた業種だけに偏ったものであり、あの時代ほどの大幅な景気浮揚は望めないだろう。また、新たに雇用される15万人の労働者がオリンピック開催後も働き続けられる保障はどこにもない。そういった意味では、オリンピック景気も実態のない、一過性の雰囲気だけのお祭り騒ぎで終わってしまうのではないかと危惧している■私は、派手なお祭りよりも、国民の暮らしに目を向けた、確かな政治としての政(まつりごと)こそ、コツコツと行われるべきだと思っている。オリンピック開催決定に喜ぶ人々が聞いたらば、非国民と言われそうだが、能天気に国家一大プロジェクトとしてのオリンピック開催を、手放しで喜ぶことができない。これから、オリンピック開催をお題目に、国民の暮らしをないがしろにする政治が行われないか、心配だ。オリンピック開催後の祭りの後の寂しさを想像しつつ、素直に喜べずに、ぽつんと取り残されたような気分でいるのは、もしかして、私だけ?
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