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2013年6月

徒然日記 Vol 111

アベノミクスを斬る

先日、市民団体主催の時局講演会「金子勝アベノミクスを斬る」を聴いた。金子さんは、慶應義塾大学経済学部教授で、メディアにも数多く出演している人だ■講演では「金融自由化により実体経済の無い、株高=景気浮揚策としての株価吊り上げの政治が行われている」「原発事故は国家犯罪だ。事故後の電力不足やガン発症率等の情報は嘘。事故の責任を誰も取ろうとしないことは問題だ」「TPP参加により日本は農業だけでなく医療制度や保険や郵便事業も含めて瓦解するだろう」「憲法の改正案の中には、表現の自由の抑制や家族の助け合いの必要性なども記載されている。近代国家・福祉国家の否定に繋がる内容だ」「今回の参議院選挙で自民党が大勝すれば格差と貧困がさらに広がることは確実だ」などが指摘された■今後のあるべき社会として「集中メインフレーム型社会」から脱却し、ITを活用した、地域で意思決定できる「分散ネットワーク型社会」を構築しなければならない、と話をされた。わずか50分の講演で多少乱暴気味な内容だったが、アベノミクスに対する漠然としていた不安や不信感に応える内容だった。特に印象に残ったのが、「政治家だけでなくメディアも正しい情報をキチンと伝えていない。日本の政治や政治家は、世界の中でも低い評価しか受けていない。しかし、日本のメディアはそのことを隠している」という言葉だ■戦時中には、政府の統制のもとに正しい情報が、国民に知らされなかった。今の時代にあっても、嘘で固められた政治が行われているという。日本という国に未来はあるのだろうか?いったいこの国は何処に行こうとしているのだろうか?不安は募るばかりだ。

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徒然日記 Vol 110

あ~懐かしきカレー中華丼

 4歳になる孫の菜々美がある日、「カレー中華丼が食べたいな~」と言う。聞くと、私が作って一緒に食べたと答える。しかし、保育園の献立にもなく、我が家でも一度たりともメニューに上がっていない。たぶん、テレビかなんかで見聞きして、食べたものとして錯覚したのだろう。ともかく、リクエストに応えて、先日、カレー中華丼を作って食べさせた。美味しいと言って、おかわりまでして食べた■そんなカレー中華丼を一緒に食べながら、遠い昔を思い出した。様々な仕事をしながら、夜間の大学に通った。しかし、とにかく金が無かった。まとまったお金もあっただろうに・・・・。だから、あまりいい食生活ではなかった。毎日、パンとラーメンの日々が一週間以上も続くこともあった。よく、栄養失調にならなかったものだ。そんなある日、給料日ということもあり、授業をサボり、下宿屋近くの中華料理店に初めて入った■「カレー中華丼はありますか?」と聞くと、店主が「メニューにはないけど作ってみる」と言ってくれた。「カレー中華丼」。何気なく街角でお店のメニューだけ見かけて、一度も食べたことがなかった未知の食べ物。カレーも食べられて、野菜も食べられる、中華であり、洋食である、そして、中華でもなく、洋食でもない不思議なメニュー。初めてのカレー中華丼は美味かった。泣きたくなるほど美味かった■その後、カレー中華丼はその店の定番としてメニューに加わった。あれから、40年。あの店があった場所には、でっかいビルが建ち、今はもう無い。しかし、懐かしいあの味だけでなく、あの頃に出会った人たちとのことや、聴いた音楽や読んだ本など、大学時代にあった様々なことは、今でも身体のどこそこに、思い出として染み付いているものなのだ。いつの日か大きくなった菜々美が、私のことを思い出してくれるように、今夜も、カレー中華丼にしよう。

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徒然日記 Vol 109

屋根死刑

 先日、夕方いつもより早く帰宅すると、庭先で小学校三年生の孫とその友達の三人で遊んでいた。遊んでいたといっても、特定の遊びではなく、ただボールを投げたり、走り回ったり、しゃべったりしていた。そこで、私の時代に遊んだ、屋根死刑を教えた。それぞれのメンバーに番号を付けて、屋根にボールを投げるときに、その番号を叫び、呼ばれた番号の者が落ちてくるボールを捕るだけのゲームだ。ボールがうまく捕れずに落としたら×いち。×が三つで負け。負けた者は「死刑」となり、他のメンバーからボールをぶつけられることになる■孫たちは、しばらくは、楽しそうに遊んでいたが、10分ほどで飽きてしまい、最後には、ただのボールのぶつけ合いに変わっていた。僕らの時代は、10人ぐらいで工場の高い屋根にボールを投げ合い、日が暮れるまで汗にまみれて遊んだものだ。何回も死刑になり、ボールをぶつけられた痛さと悔しさで泣きそうになったことも何回もあった。今の時代、公園に行くと子どもたちはサッカーや鬼ごっこなどで嬉々として遊んでいる。けれど、時々数人が車座になってゲーム機で遊んでいるグループもいたりする。せっかくの天気のいい日の屋外で「ゲーム機とは」と思ってしまうが、これも今時の時代の風景だ■今は、僕らの時代にいた餓鬼大将がいなくなり、遊びも学年に応じて多様化し、異年齢同士の集団で遊ぶ姿が少なくなったように思う。僕らは、今は禁止されている「馬乗り」や「ひまわり」「釘刺し」「2B弾(爆発する花火)投げ」など、体や知恵や技をぶつけ合う、たくさんの危険な遊びを経験してきた。そして、その遊びを通して多くのことを学んだ。今の子どもたちは、「安全のために」という主旨で、木登りや水泳での飛び込みなども禁止されているという■私が孫たちに教えた「屋根死刑」などは、そのネーミングとボールをぶつけるという行為自体で、学校で遊べば大問題になるかもしれない。孫たちの姿を見ながら思う。この子達は危機に瀕した時に、怪我をせずに、大切な命を失うことなく、うまく生き残ることができるのだろうかと・・・。せめて、我が孫だけには、昔の遊びや、木登りや飛び込みなどの危険だと言われる遊びも体験させて、たくましく育ち、生きていく知恵や技を身につけてほしいと願うばかりだ。

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徒然日記 Vol 108

賽の河原で待たされて

 先日の新聞に「高齢者の四人に一人が認知症の時代が・・」の記事。近頃、物忘れが多くて一瞬ギクリ。ところで、皆さんは、TPPではなくてPPK運動というのをご存知だろうか?PPKはピンピンコロリの略だ。病気をせずにピンピン長生きして、家族に迷惑をかけずにコロリと死にましょう、というもの。そして、この運動の発祥の地の長野県は、長寿一位の県だ。誰しもが病気をせずに長生きをしたいと望んでいるし、そのための健康志向は益々高まりつつある■しかし、いずれは訪れる死。高齢社会を迎え、亡くなっていく人たちの数も年々増加傾向にある。すでに、東京都の火葬場では、多いときには二・三日待たされることもあるとか。亡くなる前に予約することなどできないから、遺族は大変だ。亡くなった人も、死んでしまってからまで待たされるなんて嫌だろう■先日、聞いた話。ある70代の女性が水泳教室に通うことに。それを聞いた息子嫁が、「お義母さん、なぜ水泳教室なんですか?」と聞くと、お義母さん曰く「だって、聞くところによると、近頃じゃあ亡くなる人が増えて三途の川の渡し舟はいつも満員で、賽の河原で何日も待たされるらしいよ。あたしゃ待つのが大嫌いだから自分で泳いで渡るんだよ」。それを聞いた嫁さんは早速、水泳教室に行きコーチの先生に「義母がシッカリ泳げるように教えてあげてください。でも、ターンだけは教えないで」と頼んだ。という話■家族としては、火葬場に行く前にターンして生き返ってもらったらば、それはそれで大変だ。いずれ日本は世界に先駆けて超高齢社会を迎える。生きるだけで精一杯なのに、死んだ後まで心配しなければならない時代がやってきた。認知症にも寝たきりにもならないように、そして三途の川を一人で泳ぎきれるように、私も水泳教室に行こうかしら。

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