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2012年12月

徒然日記 Vol 92

50年前の私  

    先日、市議会の会派の部屋まで、小・中学校時代の同級生が訪ねて来られた。実に40年数年ぶりの再会だ。そして、数日後、また彼はやって来て、小学校3年生の時の男子だけのクラスの写真を持って来てくれた■そこには、前列の真ん中で澄ました顔の私がいた。小学校入学前の年に父が亡くなり、以後、母の自立のために、私は小学校を三カ所転々とした。一・二年生は伯父の家から池田小学校に、三・四年生は、母子寮に家族4人で暮らし、壺川小学校に、五・六年生は鹿児島県大口市の大口小学校に通った。ということで、小学校の校歌を三つ歌えるが、池田と壺川小の思い出の写真はほとんど残っていない■写真を見ながら、当時のことが走馬灯のように蘇った。学校から帰ると、母子寮の共同の台所に行き、小さな羽釜でご飯を炊くのが自分の毎日の仕事だった。お風呂は無くて、近所の銭湯に行っていた。テレビも二階の集会所で観ていた。4畳半という狭い部屋での生活だったが、物心ついてから家族4人が過ごした、幸福な二年間だった■しかし、母にとっては、将来が見えない貧乏生活のどん底の時期であり、当時のことを話すと顔が曇る。ある夜、当番の仕事で、ホウキを持って母子寮の周囲を母と二人で掃除をしている時、母がポツッと「あんただけでも、女だったらどんなにか良かっただろうに」と呟いた。そのとき自分がなんと答えたのか、季節がいつだったのかも思い出せないが、見上げた夜空の星が綺麗だったのだけは、今でも覚えている。あれから、50年。私は若くして亡くなった父親の年齢をはるかに越えて生きて来た。多くの人たちに支えられて・・・。そしてこれからも。

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徒然日記 Vol 91

国敗れて山河なし

 「国敗れて山河あり」で始まる杜甫の詩がある。今回の東北大震災と原発の事故により、被災地では、戦争に匹敵するほどの犠牲者と被害を受けた。まさしく国が敗れ、秩序や機構が失われるほどの危機の中、懸命な復旧が行われた。しかし、復興までの道のりは未だ厳しい。そして山河は?山や川は、今でもそこにあるが、福島の土壌や水は汚染されてしまった。魚やそれを食べる鳥たちも・・・。いずれは、人間までも内部被爆の危険があるというではないか。自然が損なわれてしまった。「国敗れて山河なし」の有様だ■そんな危機的な状況の中、国民目線でのキチンとした対策や論議のないままに、国会は解散し、衆議院総選挙まで残り数日。マスコミの報道では、自民党の圧勝の予想が伝えられる。雨後の筍のようにいくつもの政党が乱立している、今回の選挙。しかし、ほとんどの政党が右に傾いている。テレビでは、自民党の政治家が「自衛隊は軍隊なんだ。だから憲法を改正しなければいけない」と叫んでいた■「核保有できる国にするべき」だとか「生活保護費の切り下げ」や「最低賃金制度の廃止」などを訴える政治家も。大変な時代になってきた。背中が寒くなるのは、私だけだろうか?日本は、かつて、国民の貧困と鬱屈した経済状況を背景に、戦争へ突き進んだ戦前と似たような状況になりつつある。私たち大人の責任として、二度と戦争をしてはいけないし、時間をかけて、原発ゼロの世界を創らなければならない■お風呂場から孫たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる夜。そんな当たり前の生活が、いつまでもだれにでも何処ででも福島でも、続けられるようにしなければならない。そして、この国全体が損なわれないようにするために、今回の選挙では、なお一層心の目を凝らして、キチンとした政治家と政党を選ばなければならない。

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