徒然日記 Vol 85
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ガラガラドカ~ン
もう10年以上も前、二大政党制の時代がやってくるかもしれないと期待していた頃の話だ。国労のOBのEさんから、「二大政党制は日本に定着するのだろうか?」と問われて、やり取りをして得た結論は「民主党が政権を取っても、その後にガラガラポンがあり、少数政党がまたぞろ出来上がり、その後、幾度かの選挙を経て、生き残った政党が審判を仰いで、やっとこさ本来の二大政党政治が始まるんだろう」というものだった。その話をした頃には、民主党は負けた。その後、やっとこさ政権を取ったと思いきや、やはり予言の通り、ガラガラポンがやって来た■ところが、ガラガラポンどころか、ガラガラドカ~ンになってしまった。次期行われる衆議院解散総選挙では、維新八策を掲げた維新の会の推薦議員が、100議席近くを獲得するかもしれない、という報道もある。だからと言って、政治は理念だけでは前に進まない。理念に基づいた、具体的な制度・施策づくりが大切だ。今度の選挙以降は、今以上に各政党の思惑が入り乱れ、自民党を中心とした連立政権下での、その場しのぎの政治が行われる可能性がある。一部の企業や団体等の代弁者としての視点しか持ち合わせていない、地域活動や市民運動などの経験の無い議員が、表裏的な感覚的な手法で、党利党略に溺れながらの政治を行っていくのでは、という懸念を持っているのは、私だけだろうか?■混乱と混沌のこの時代を、この日本が生き抜くためには、私たち市民がシッカリと政治に参画していかなければならない。そのためには、与えられる情報の何が正しく何が間違っているのかを読み解く力を私たち自身が、培わなくてはならない。国民不在の政治が行われている。劇場型の政治から脱却し、ガラガラドカ~ンを経て、国民が冷静にキチンとした政治家を選びキチンとした政治が出来るようになるまでに、またぞろ10年以上は待たなければならないのか■私は、国の政治が駄目な時こそ、地方がシッカリとした政治をしなければいけない、と思っている。そういう意味では、私は褌の紐ならぬ、トランクスのゴムを引き締めて、なお一層奮闘しなければならない。
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議員バッジの重さ
先日のこと、本会議に出席するために背広を着ようとした時に、議員バッジが背広の襟元からポロリと落ちた。見ると、金メッキの菊の花模様の小さな部品が無くなっていた。このバッジは、今春からの政令指定都市移行に合わせて議員に支給されたもので、無くしたらば自費で12,000円で再購入しなければならない■本会議や公式の行事では、ほとんどの議員がバッジを着用している。ちなみに、バッジの直径は、国会議員20ミリ、県議会議員18ミリ、政令指定都市の市議会議員は19.5ミリで、県議会議員のバッジよりも大きい。確かに、政令指定都市になったことで県より多くの権限が委譲され、その分、市議会議員の役割もひときわ重くなった■しかし、壊れたバッジを見ると、中身は空洞になっていて、何とも心許ない。当日は、30分ほどかけて午前中に歩いた場所を探し回り、5ミリほどの小さな部品を議場入口で見つけることができ、自分で修理をして事なきを得た■バッジは、「権威の象徴であり廃止すべき」という意見もある。私もバッジはいらないと思う。できれば、着用したい議員だけが支給してもらったらいい。いずれにしても、市議会議員として初めてバッジをつけて本会議に臨んだ時の、その責任の重さと緊張感を忘れずに、中身のある市議として活動して、その職責を全うするだけだ。
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眠れない夜
高校二年生だったろうか?数学の次に嫌いな物理の授業時間中に、山本周五郎の「さぶ」を隠れて読んでいた時のことだ。ふと、先生の声が途絶えたな、と思った瞬間、先生が前に立っていた。先生は怒るでもなく「なに読んでるの?」と、おもむろに本を取り上げて「いい本読んでるね。でも今は授業中だから、後で読みなさい」と言って、何事も無かったように、また、授業を始めた■40数年を過ぎたある日のこと、古本屋で「さぶ」に再会した。あの時の出来事を思い出し、そして購入した。議会での質問が終わった夜、達成感以上に、これからのやるべきことなどを考えていて、何かしら眠れなくなり、「さぶ」を読み始めた。物語は、「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた」という、出だしから始まる■表題のさぶの出番は少なく、さぶの親友の栄二の若き頃の不遇の人生の物語がほとんどを占める。読みながら、時折、高校時代のことを思い出し、本を伏せて目を閉じて・・。そしてまた読み始めることを幾度と無く繰り返した。栄二を支えるさぶやおすえやおのぶの言葉ひとつひとつが心に沁みて、胸が熱くなった。高校生のあの頃は、自分の進路も見出せないまま、やるべきこともしないで、訳もわからないまま、もがき苦しんでいた時期だった■そして、世の不条理に立ち向かって懸命に生きようとする栄二やさぶでもない自分は、これからどう生きるべきなのかと考えた。今、思い起こせば、「さぶ」は「生きることをあきらめてはいけない」「人はけっして一人で生きているのではない」ということを教え、勇気を与えてくれた本だったのだろう。そして40数年後に、また同じように、勇気づけられる自分がいた。もう眠らなくては、と思って手にした時計の針は、朝の4時を指していた。
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