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徒然日記 Vol 77

7・12水害報告 Vol 1

 Photo_8   7月12日の悪夢の朝から三日目の15日、やっと雨が上がった。私は当日の午後から毎日、龍田地区の被災地や避難所等を視察して来た。その間、各地域の住民の方々の話を聞き、北区の担当者や北部土木センターなどとやり取りをして、避難所のあり方や住宅地の汚泥の撤去などの改善要望を伝えてきた。三日目となり、ほぼ全体像が見えてきたが、7・12当日は混乱の極みだった。当日午後に龍田出張所に行った。出張所には対策本部もまだ設置されず、本来業務をしながら、出張所の職員だけで避難所の受け入れ等の準備を慌しく行っていた。当日の夕方から翌日には本庁や北区からの応援の職員が10名以上配置されたが、翌日の午前中でも全体の被害や避難者の状況がきちんと把握できず、交代される職員間の連絡も密にできていなかった■当日から土木センターや委託業者や消防団により公道の復旧作業が行われ、13日の午後からは、市から委託された業者の重機が導入されて、住宅街の汚泥の撤去が始まった。また、ボランティアセンターも龍田出張所に設置され、15日には200名以上の市民の方々が復旧のボランティアに入った。避難者(龍田出張所での把握数)は、当初90名ほどだったが、15日現在で指定された4箇所の避難所に40名ほど。当日と翌日は、指定以外の近隣の公民館等に避難した方々も数多くいらっしゃった。被害の一番大きかった龍田陳内の避難者は、陳内公民館に当日50名ほどがひしめき合って、寝泊りをされていた(15日現在9世帯22名)。13日には、ヘリコプターで救出された方々の一部の家族、4世帯7名が出張所横の龍田体育館に来られた■避難された方々の話を聞いて、今一番感じていることは、住民の方々の危機管理意識と地域力の違いだ。地域ごとで当日の朝の動きが違うのだ。龍田陳内の一部の地域では、住民相互で川の状況を徹夜で監視して早期に避難されていた所もある。しかし、同じ龍田陳内でも新興住宅地やアパートの方々は、川の増水に全く気付かずに、床下まで水が来て、自宅二階に避難してヘリコプターで救出され九死に一生を得た。上流の龍田弓削地域では、消防団や自治会役員や近隣の方同士の避難指示で避難された所が多かった。龍田全域の被害の状況を見るにつけ、死者が一人も出なかったことは奇跡に近い。その理由は、土砂を含んだ水が住宅の一階の天井付近で留まったこと、一部全半壊の家屋もあったものの、蛇行している河川の影響で水の勢いが幾分か軽減され、多くの家屋を破壊するまでに至らなかったこと、そして何よりも、危険を察知して、いち早く避難した方が多かったこと、などの理由があると思う。早期に避難した方々は、夜中や早朝から準備をされて、貴重品や自家用車等を守ることができた。ヘリで救出された方々は、誰からの指示も無く孤立され、ほとんどすべてを失ってしまった■被災された地区では、当日7時から7時30分の間に川は氾濫していた。しかし、市の避難指示は9時20分だった。「想定外」と言ってしまえばそれまでだ。今後、市は、なぜ避難指示が遅れたのか、その原因を明らかにし、家財などを一瞬にして失くしてしまった方々の非難を真摯に受け止めて、対応していかなければならない。昨日話をした龍田陳内の住民の方の「堤防には監視カメラが設置されている。誰が見ていたんだ。私たちは22年前を経験していたから早期に避難できた。しかし、もうここには住めないかもしれない」の言葉が耳から離れない。

■龍田陳内の被害状況 7・15午後撮影

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