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徒然日記 Vol 76

人というほほ笑み

地域から小さな店がいくつも無くなっていく中、その分コンビニがこんな所にも、と思うほど街中いたるところにできている。そんなコンビニをたまに利用する時に気になることがある。それは、店員さんの言葉遣いだ。ある店に入ると、複数の女性の甲高い声で、「いらっしゃいませ~~~」。「いらっしゃいませ」は、いいのだが、「せ」が長いのだ。5秒は続く。無駄に長い「せ~~~」を聞くたびに、私は「スト~ップ!」と言いたくなる。それともう一つ、買い物をして、お釣りに一円玉とか五円玉を渡す時に「お釣りです。お確かめください」とのたまう店員さん。「たった一円を確かめる必要はないっ!」と言いたくなる。が、しかし、彼女たちは、きっとそのコンビニの接客マニュアル通りに実行していることだから、仕方がないのかもしれない■そんな小さなことに、苦笑しながら、違和感を覚えていたそんなある日、立ち寄った本屋さんで手に取った井上ひさし氏の「日本語観察ノート」(1999年著)の最初の項の「敬語壊滅現象」を読んで、「これだ」と思った。冒頭には文化庁の国語に関する世論調査の紹介で「ファーストフード店に一人で行き、十人前の注文をしても、店員が『こちらでお召し上がりですか』と聞く。こんな画一化された対応にも違和感を持たない人が、若い世代に増えている」と書かれていた■このことに対して、井上氏は、「今の時代はマニュアル敬語が全盛。敬語の使い方に不案内な世代を雇う経営者たちが、敬語マニュアルや行儀作法を教え込む時代になっている。教えられた方は、それを杓子定規に機械的に運用するだけなので、そこに笑いが生まれる。しかし、若い人たちは、自分たちが喜劇を演じていることに気がつかない。あるいは気にしてない」「私は、これらのマニュアル敬語を『商業敬語』と呼んでいるが、現代の社会は、他人との関係を、お金を介在させた売り手と買い手の関係でしか把握できなくなっている。店員さんたちは、お客にではなく、お客の財布に教わった通りに敬語を用いているだけなのだ」「この現象は他人との関係が曖昧な、今の社会を映し出しているはず。その根を突き詰めれば彼らの親たちの責任に違いない。彼らは親の真似をして育っただけなのだ」「私たちは人間として同じ値打ちを持っている。しかし、場面によっては、サービスをする側と受ける側に、いわば正反対の立場に立たざるを得ない。その時に、サービスする側に『お腹がすいているでしょう、うちのたべものはおいしんですよ。さあ、どうぞ』という『人は人に対して人』というほほ笑みがあれば、そこに自然に敬語的態度が生まれたはず」と書かれていた■この文章が書かれた時から13年が過ぎた。そして、今の私は市議会議員だ。私自身は以前の福永洋一のまんまなのだが、時折、幾人かの行政の方の「先生。これはですね・・・・」と説明される時や、地域の方が「先生。忙しいでしょう」と話をされる時の物腰や眼差しが、画一的で機械的で、コンビニの店員さんたちの雰囲気とダブる時がある。私自身は、行政の方や地域の方とは対等であると思っているし、年上の方や目上の方にはキチンと敬語を使っている。議員だからといって威張りもしないし、以前の私のままだ。しかし、世の中の商業敬語は、広く世の中に触手を伸ばし、日常的な人間関係の中にまで、売り手と買い手としての人間関係が成り立ってしまいつつあるような気がしてならない。今度あのコンビニに行った時に「いらっしゃいませ~~~」の挨拶に、ほほ笑みながら「ありがとうございます~~~」と返してみよう・・・かな、と思う。

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