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2012年3月

徒然日記 Vol 65

あれから40年

  3月1日(木)は雨の中、わが母校九州学院高等学校の第64回の卒業証書授与式に、来賓として参加して来た。私が卒業したのは40年前のこと。卒業生の316名一人ひとりの氏名が呼ばれる間、当時のことや、これまでのことが走馬灯のように脳裏を駆け巡り、何かしら胸が熱くなった。あの頃は、希望の大学が不合格となり、自分自身の努力の足りなさを情けなく思い、目的を失い、自分がこれから何をしたいのか分からないまま、ただただ悶々とした日々を過ごしていた思い出がある。遠い昔のことで記憶があいまいだが、卒業式までの二ヶ月間ほど不登校だったような・・・。その頃は、鹿児島の母から離れて、伯父伯母の家に世話になっていた■卒業後は、その家を出て、若くして亡くなった父の実家の援助を受けながら、当時、会社員と大学生の従兄弟たちと一緒に暮らし、近くの予備校に通った。といってもほとんど予備校に行くことも無く、相変わらず勉強もせず、自分が何をしたいのか問い続ける日々だった。結局、名古屋の夜間の大学に行くことにした。様々なアルバイトをしながら、一年遅れで何とか卒業し、さらに一年後に社会人となり、今に至る■院長先生が卒業生に「あなたたちは、これから大きな海原に船を漕ぎ出すことになります。静かな海のときもあれば、大きな波に翻弄されるときもあるでしょう。しかし、その先には必ず港があるのです。あきらめずに頑張りましょう」と話をされた。式の後、体育館の裏にある弓道部の道場に顔を出した。男女10名ほどの学生が「こんにちは」と気持ちのいい挨拶をしてくれた。「40年前に卒業した熊本市議会議員の福永です。当時僕も弓道部でした。よろしく」と言うと、皆が「お~」と驚いていた■あれから40年。私は幾つ目かの港にたどり着き、そして、また船を漕ぎ出した。40年前は羅針盤も無く、行き先も分からないまま、波に飲み込まれそうになっていた。でも、今の私は目指すべき港を知っている。先輩として、今まさに新たな人生という大海原に船を漕ぎ出した。316名の子どもたちに、幸多かれと祈るばかりだ。

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