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2011年12月

徒然日記 Vol 60

近頃の大人ときたら 近頃マナーを守らない大人が増えている。先日、久しぶりに高森に行き、帰りに温泉に入ってきた。露天風呂で根子岳を眺めながらゆっくりしていたらば、30代と思しき男性二人が「あ~さむっさむっ」と言いながら入ってきた。そしてケツも洗わずにドボン。そして「あ~気持ちいい~」。私は、気持ち悪いぞ。許せないぞ。だが何も言えない■いつだったか、菊池の、とある温泉に行くと、壁には張り紙が幾枚も貼り付けられていた。「体を洗ってから入りましょう」「タオルを湯船に入れないでください」「湯船の中で頭を洗わないでください」等。私たちが当たり前だと思ってきたマナーが守られない時代になったのだ。何も温泉だけに限ったことではなくて、停車中の車の窓から空き缶を捨てたり灰皿の吸殻を道路にひっくり返す者やきちんと並んでいる列に割り込む者など理不尽な輩どもを幾人となく目にしてきた■大震災の時に報道された、帰宅難民たちの整然として歩く姿を見た海外の方々が「日本人は素晴らしい」と賞賛した。しかし他方では、震災時に無人のコンビニに走り食べ物を持ち去ったり、被災にあった車のガソリンを無断で調達した人たちもいた。生き延びるための食糧調達は仕方のないことかもしれないとは思うが、崩壊した銀行のATMや家屋からお金を奪った「火事場泥棒」がいたことも事実だ■人は追い詰められたときに、その人の本質が現れる。それは、マナー以前の理性に基づく、その人の生き方の問題だ。基本的な約束事としてのマナーを守れない人は、相手のことに思いをはせることができない人だ。そういう人たちは、極限の状況になれば、なお一層のこと人を踏みつけてでも生き延びていくのだろう。「ケツを洗って出直して来い」の言いそびれた言葉を飲み込みながら、そう思った。

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徒然日記 Vol 59

絆を深めて・・・

 先日、今年の漢字として「絆」が発表された。私も春の選挙では「地域の絆で輝く未来を」をスローガンにして、地元の事務所の上に、その看板を掲げて戦った。その、選挙期間中に東日本大震災が起きた。選挙事務所は当選後に明け渡して、今は「きずな整骨院」に変わった。私の母も腰を痛めて週に何回か通院している。母はそこで知り合った人と仲良くなり、地域の方との絆を深めている。その整骨院は評判が良くて、盛況だ。別な意味で、地域の絆づくりの拠点になりつつあるようだ■そして、先日、産山村の村議会議長の方から先輩を通してエミューの羽が送ってきた。議長とは、阿蘇出身(私は父の故郷が高森町ということで出席)の集いで知り合った。産山には、私の先輩がいらっしゃるので、そのことを隣の席の議長に話をすると、なんと、その先輩と議長は親戚だった。話が弾み、議長が育てているエミューの羽の話が出て、先輩からの経由で、先日その羽が届いたのだ。その羽は一枚が二股に分かれている。送られて来た羽の入った袋には「松の葉は枯れて落ちても二人づれ/エミューの羽も二人づれ/人の幸・・・絆です」と記されてあった■そしてその翌日、大学時代の友人から電話があった。友人は現在、兵庫県明石市の身障者関連の施設の課長。その友人曰く、「先日、宮崎の会議で熊本のKさんに会った。以前から知っている尊敬できる人だけれど、彼の会社の評議員は、今回の選挙で落選したMさんだが知っているか?」とのこと。Mさんは今回の選挙で惜しくも落選してしまった方で、同じ会派で活動していた先輩だ。今でも色々と相談に乗ってもらって、懇意にしている方だ■「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったものだ。縁とは不思議なものだ。どこかで繋がっている不思議な縁。縁から始まる絆。せっかくいただいた縁を大切にして、絆を深めて「輝く未来を」しっかりと形にしなければと、つくづく思う日々だ。

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徒然日記 Vol 58

初登壇を終えて

 12月6日の午後、市議会の初登壇を終えた。今回の質問は、テーマとして来年の政令市を迎えるにあたっての「課題とその問題点」について、働く仲間の現場や地域の実態を交えて、やり取りを行った。今回は初登壇ということもあり、事前に担当課とのやりとりを周到に行った。担当課の回答が気に入らず、内容の書き換えを要求し、いくつかの案件については前向きな答弁も引き出すことができたと思っている。質問は「日本一暮らしやすいくまもと」「公共の福祉を守るために」「障がい児に対する保育園・幼稚園の役割・機能強化」「東日本大震災被災家族の受け入れについて」「安全・安心のまちづくり」「市民サービスの地域間格差是正」の六点■特に、「公共の福祉を守るために」では、現状の人員・人材不足を理由に行政サービスが低下する懸念を指摘し、「土木や福祉行政に関わる専門的な知識と経験を有する職員の確保と育成を計画的に行うこと」を強く要望した。しかし、総務局長の答弁は「これまで定員管理計画に基づき、計画的に採用を行い、その育成に努めてきた」との回答だった。であれば、なぜ、毎年の新規の職員採用数が100人程度から今年度は300人以上となったのか?なぜ、土木の現場に業務引継ぎと職員の育成等を理由に、県から20名以上もの職員が二年間も必要とされるのか?その答えは、圧倒的に職員が不足しているからだ。熊本市は来年4月から政令市となり、5つの区に分かれて行政機能を果たさなければならない。市長は、「政令市になれば各区役所等を通して、より身近でより良い行政サービスが市民の方々に提供できる」と言っているが、それは真っ赤な嘘か、ただ単に実態を知らないのかもしれない。であればなお一層問題だが■4月以降、県から市に移譲される事務は300以上だ。執行部は「移譲される事務のほとんどは本庁で行なうので、区役所の事務は増えない」との回答。ところが、これまで本庁で行なっていた業務が区役所に任されることになり、その分、業務が増えるにも関わらず職員が減らされる部署もあるようだ。様々な情報から察するに、4月以降からの業務量に見合うべき職員の不足数は、特に必要とされる道路行政に関わる土木の現場の職員や、福祉や保健に関わる職員を合わせると100人近くにも及ぶ。市は、今年度300人以上の新採を採用した。しかし、退職者を差し引くと実質70人程度の増員ということだそうだ。その中で即戦力で働ける職員は幾人もいないだろう。実態を知っている職員は「絶対的に職員は不足している。しかし、今いる職員と新採職員と臨時・嘱託職員でがんばるしかない」と言う。市としては、公の場で「職員は不足してます」などとは口が裂けても言えないだろう■議会では、「市は政令市を見込んでの、専門的な知識と経験を持つ職員の採用と、これまでの育成を怠っていた」と指摘し、将来に向けての人員・人材確保策を訴えた。4月以降、区役所の混乱の日々の状況が目に浮かぶ。一階に配置された福祉に関わる担当の課長さん方は休むこともできずに、今にも倒れそう。窓口の職員は、市民の「なんばしよっとか~。区長ば出せ~」の罵声を浴びせられてパニックとなり、奥のほうでは職員が青い顔で右往左往している。市の実態を知れば知るほど、政令市の未来はけっして薔薇色ではなく、茨の道ということを実感する日々だ。初登壇に向けての質疑の内容の打ち合わせで、担当課とやり取りをしながら、つくづくそう思った。より良き行政サービスが提供できる熊本市であるように、頑張らねば。

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