徒然日記 Vol 23
いつも夢を
ある日の夜のこと、連れ合いと二人で高森の校舎(工房)の横で飲んでいて、名古屋の大学時代の友人たちの話になった。懐かしさと酔いも手伝って北海道・神奈川・兵庫の三人の友人に電話した。みんな元気だった。大学は夜間に通い、昼間は働いた。私は、その時しかできないと思って、多くの仕事を体験することにした■今とは違って、いつも、何かしらの仕事があった。オートメーションの流れ作業でタイマーを組み立てる仕事に始まり、胡散臭い表札の訪問販売・バイクの車輪をメッキする工場の流れ作業・徹夜のオートバイの部品の穴あけ作業・建築現場でのツルハシでの土方・静岡の山奥でのボーリング作業の助手など。いずれも一ヶ月から半年ほどのアルバイトだった。一番長く働いたのが、デパートの地下にある中華料理店の調理補助の仕事だった。毎朝ジャンボ餃子を焼くのが私の仕事だ。必ず皮が破れたりする餃子がいくつかあり、それを朝食にしてパクついていた。昼休みには必ず、白衣を着たまま屋外の公園のベンチで昼寝をしていたものだ■しかし、いつも仕事をしていたはずなのに、なぜかいつもお金が無かった。四畳半の下宿屋には、ビールのコンテナを並べた上に布団を敷いたベッドとオーディオとコタツぐらいしかなかった。お金はいったい何に使ったのだろう?それにしても、あの頃を思い出すと、自分でもよくがんばったと褒めたいぐらいだ■その名古屋で今の連れ合いと知り合い、そして、生涯の友となる多くの男たちと出会った。19歳の春、駅まで見送ってくれた母やいとこの前で泣きながら名古屋に向かった日から37年が過ぎた。歳は取ったが、今でもあの頃と同じようにいつも夢を見ている。体は衰えたが青年の心を無くさずに生きていかなければと思う。
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