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2010年4月

徒然日記 Vol 13

健康が一番

 20代の頃は、髪もフサフサで、ウエストは70数センチで体重は50数キロだった。しかし、結婚を境に髪は細くなり、額は広く後頭部は薄く禿げあがり、体は徐々に肉が付き始めて、体重は3年前の春には最高の76キロに。実に30年間で20キロ以上の体重増だ。あの頃は、さすがに体調も悪く少し体を動かすだけで汗が出て、膝にも時々痛みが走り、疲れがなかなか取れない毎日だった。ところが、退職後の三年前の夏の51日間一万キロの一人旅の後には72キロになった■そして、一作年の8月には10数年ぶりの60キロ台に!これといったダイエットをしたわけではないが、規則正しい生活と食べ過ぎに注意しただけだ。おかげで体も軽くなり、体調も良くなった。夏のビールも量を控えたおかげで、現在は、65キロ前後を維持している■3年間かけて実に10キロの減量だ。しかし、この三年間の怪我や病気が凄かった。酔っ払って転倒して額を割って20数針の大怪我に始まり、大腸ポリープ摘出の手術、網膜はく離一歩手前の網膜裂孔のレーザー手術、木工作業中の指の怪我が二回。外科と胃腸科と眼科の通院の日々だった■それまでは、病院には30代の頃に風邪で一回だけ通院したぐらいだから、一生分の病気と怪我をしたようなものだ。しかし、いずれも、命や視力を失うことなく間一髪で助かった。今は、『きっと、退職しなかったらば死んでいたんだ』と勝手に自分に言い聞かせている。健康が一番!つくづく思い知らされた三年間だった。

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徒然日記 Vol 12

「木の匂いがする」

4月から阿蘇郡高森町の旧上色見小学校の教室のひとつを借りて、念願の木工房を開くことができた。そこは、「NPO法人阿蘇フォークスクール」が運営している。2003年に上色見小学校が廃校になった。しかし、そのまま校舎を潰してしまうのはもったいないという事で、地元の有志の方々の力で2004年にNPO法人を設立し、建物は存続する事になった。「くらしにうるおいを与え暮らしの知恵を学ぶ学校」としてこれまでにクラフト体験やコンサートや講演会など様々な活動を行なっている■そんな木造校舎の私の工房に、ある日小学校4年生の少年がやって来た。入ってくるなり、工房にある木工の道具や材料を熱心に見て回っていた。「何か作りたい」と言ったが、一緒に来たおばあちゃんが帰ってしまい、父親に電話したものの「お金がいるならダメ」と言われた。それでも、諦められずに、木っ端クラフトの材料の車輪を見つけて「これいいな~。ほしいな~」とおねだり。私は仕方なく、「今日は特別に無料!何が作りたいと?」と聞いた。少年は、「やった~!レースカー」と答えた■車の形に私が切った木片をサンドペーパーで熱心に磨きながら、少年がつぶやく。「僕の手さっきまでは、犬を触ったから犬の匂いがしていたけど、今は木の匂いがする」。レースカーが出来上がる頃に、おばあちゃんがやって来て「さっそく掛けで工作しよるとでしょ?」と苦笑い。そして、きちんとお金をいただいて少年の兄もレースカーを作って帰って行った■杉の木の森の横の木造校舎の中、校庭に舞う桜の花びらを眺めながら木工の日々が始まった。毎週土日は、工房に来てくれる子ども達などとの新しい出会いが待っている。末永く、優しい木の匂いに囲まれて作品を作りながら「木育」の実践ができればいいと思う。

↓ 4月16日撮影 4月だというのに、この日は朝から雪が舞っていた。工房は一番手前の教室。

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徒然日記 Vol 11

桜の花びらが風に舞うたびに

 毎年、桜の花びらが風に舞うたびに思い出すことがある。22歳の春、私は名古屋の夜間の大学生だったが、失恋を期に、前年の秋から学校には行かずに、静岡の千頭という所で民宿に泊りがけでアルバイトのボーリング作業(ダム建設のための地層調査)の助手をしていた■作業場所は山の急斜面に足場が組まれていた。トイレなんか無くて斜面の木に捕まって用を足していた。斜面を転がる自分のウンチ!めったに見られるものではない。職員は、東北出身の三人。いずれも私と同じ世代で、皆一様に無口だった。毎晩、四人で酒一升を空にするぐらいが楽しみだった。みんな若いのに夢を語るでもなく、ただただ飲んでいた■目を閉じると、いくつかの景色や音が聞こえて来る。千頭まで走る小さな列車の窓からの緑色の川と山の景色。夕暮れ時の帰り道、歩いても歩いても近づかない長い長いトンネルの遠くの出口。駅から民宿に向かう雨の夜の真っ暗な夜道のガマ蛙。雨の後の川の濁流に落ちて流される青年。秋の夕暮れ時の山全体に響く「キッキッキッキッキッ」とヒグラシの鳴き声■そして、作業中の私の体を風に乗って通り過ぎていく桜吹雪。私は顔を上げて、初めて遠くの桜の木を見つめた。その時に思った事。『春なんだ。10年後、俺はどこで何してるんだろう?このままじゃダメだ。バイト辞めて大学に戻ろう』。あれから35年。今年も桜の花びらが舞っている。

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学童の日々 Vol 36

子どもたちの未来のために

 学童で働き始めて3月で1年と6ヶ月が過ぎようとしている。まだ二年にも満たないのに、子ども達の成長には目を見張るものがある。特に二年生のR君。一年生の頃は、学校からの帰り道には必ず寄り道をして、引っ張って学童に連れて帰る日々。学童に来ても、ランドセルを放り出して、部屋の中を走り回ったり外に飛び出したり、他の子と喧嘩をしたりしていた。これまでに何回R君を叱りつけたことか■毎日のように何かしらのトラブルを起こしていたR君だったが、少しずつだが落ち着いてきた。昨年の12月の個人賞では二年生で一番だった。そんなR君がいつだったか私の肩の上に飛び乗り、肩の上から「俺のパパとママは別れたんだってさ」とポツリと呟いた。私は「そうなんだ」としか言えなかった■学童の子等にとっては、私は先生ではなくて、時にはただのおっさんだったり爺さんだったり。仕方の無い事だが、人として100名近くの子ども達のそれぞれの心に寄り添うことはできても、全ての子どもたちと心を通わすまでには至らない。外遊びでボールを追い回したり、砂場で泥団子を作ったり、なわとびを飛んだりと、嬉々として遊ぶ子等■それでも誰しもが何かしらのモヤモヤとした悩みを抱えて、一人で精一杯生きているのだ。いつの日か彼らが大人になった頃、私はスッカリお爺さんか、この世にはいない。大人になった彼らの心に少しでも私の姿や言葉が残っている事を願いつつ、子ども達の未来のために頑張らなくてはと思う。

□ブログ「学童の日々」しばしお休みのお知らせ

 ブログ「学童の日々」は、昨年の5月から書き始めて、ほぼ一年が過ぎました。色んなことがありました。勉強になりました。そして、4月から学童は、三年生が出て行き新しい一年生が入ってきました。それぞれの顔が違うように、子どもたちは個性のかたまり。これから、個性のぶつかり合いの狭間で、また、楽しくもあり苦しくもありの日々が始まります。子どもたちのパワーに負けぬよう頑張らねば。パワー充電のために、4月を期にしばらく「学童の日々」をお休みします。不定期ですが、また「徒然日記」を書いていきたいと思います。これからも、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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