徒然日記Vol 722 春よぉ

 19日(土)の午前中から、職場の子どもたちと高森町のサクラミチに行ってきた。2週間前の平日に花見ツアーで行ったものの、桜は蕾で神社探訪のみで花見はできなかった。という訳で再度、サクラミチを訪ねた。サクラミチのしだれ桜は、先週が満開で葉桜の木も。それでも根子岳を背景に、1キロ以上も続く桜並木の景色は美しい。桜吹雪の中、誰かの歌「春よぉ」が聞こえてくる。

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徒然日記Vol 721  子どもらに教えられVol 4

   一昨年の市議選で4期目に挑戦し、あえなく落選し、縁あってその年の5月から発達障害児のデイで働き始めた。昨年の5月には異動になりバイクで5分の今の現場に異動した。平日の一日と日祭日以外は休み無く働いている。子どもたちは14名の登録で、一日で最大10名を受け入れている。長期の春や夏休みは朝から自宅に迎えに行き、夕方にまた、自宅に送り届ける。学校がある期間は、午後から学校に迎えに行っている◆子どもたちは、小2から高1の男女で、普通学級の子もいれば、支援学級や支援学校に通う子もいる。それぞれに個性豊かな子どもらで、健常児では?と思える子もいれば、言葉が出なくて排泄が自立できていない子もいる。職員は一日勤務の正規が私を入れて4人、週に3日程度で午後から勤務の臨時職員が4人の計8人が配置されている◆4〜50人ほどの子どもらに3〜4人の職員で対応する学童に比べれば、より良い環境だ。毎日、子どもたちのために様々な療育を提供している。療育内容は、集団でのゲームや個別の訓練など様々だ。週に2回は近隣の公園に散歩に行ったりもしている。子どもたちには、それぞれに個別支援学計画が立てられて、その計画内容を職員で共有して、子どもたちの成長の手助けをしている◆私は、これまでの経験を活かして、特に木工作業を通した療育に取り組んでいる。竹や木材を使って、箸やスプーン、竹トンボ、風車、楽器などを子どもらと作ってきた。作業はペーパーがけやノコギリを使っての切断、ドリルを使っての穴開けなど様々だ。子どもたちそれぞれの能力に合わせた作業を提供し、作業を通し、手先の訓練や集中力や持続力を高めることを狙っている。ある子は、機械が好きで、今、ドリルや糸鋸盤の操作が一人でできるようにと取り組んでいる。今後、子どもたちの力を借りて、私のオリジナルの作品をたくさん作り、その作品を秋の高森でのアート&クラフトフェアに出展する予定だ。そして、その売り上げの一部を、子どもらのオヤツ代などに還元できれば、と思っている。

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徒然日記Vol 720 孫の笑える話

 今回は20歳になる孫R男のお話し。彼は生まれついての天然で、子どもの時から今に至るまで、彼にまつわる面白い話がたくさんある。今は、コメダ珈琲で働いているが、一昨年の春に高校を卒業して昨年の春まで、市内の有名な老舗の洋菓子店のカフェで働いていた。高校時代にラーメン店でのバイトの経験もあり、調理師の免許も持っているので、厨房に立ち、レジ打ちや接客もできるとあって、カフェでは毎日のように残業させられ、安い給料でこき使われたようだ◆その頃の話を二つ、そして今のコメダ珈琲での話を二つ。カフェでの話の一つ目は、注文のシェイクをお客さまに出す時に何故か「お待たせしましたマックシェイクです」と言ってしまったという話。お客さんは「えっ?」孫はすかさず「シェイクです。失礼しました」で終わったらしい◆二つ目の話は、お客さんから「お冷やをください」と言われるたびに何回も「あちらでセルフでお願いします」と答えていた。そして、あるお客さんから今度は「トイレはどこですか?」と聞かれた。孫はすかさず「あちらでセルフでお願いします」と答えた。コメダ珈琲の話の一つ目の話は、同僚の女性が「怒らないから私って幾つに見えるか正直に答えて」と言われて、孫は、『40代に見えるけど若く言わなければ』と「30代半ば」と答えた。彼女は25歳だった。その後、彼女との関係は、どうなったのか私は知らない◆二つ目の話は、コメダ珈琲に前の職場の社長と奥さんが偶然やって来たらしい。同僚が気を使い「注文は俺が」と言ってくれたが孫は「何も悪いことはしてないので僕が行きます」と、たじろぐことなく注文を取り、注文の品を運んだ。そして、レジで支払いをする社長から「君は福永君だろ?」と聞かれた。孫は「いいえ僕は清水です。高校を卒業して2年間この店で働いてます」と答えた。笑える話がてんこ盛りではあるが、いつの日か、お客さんなどとトラぶりはしないかと、心配の日々だ。

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徒然日記Vol 719 懐かしき人たちよ

 4月12日(土)の夜、高校時代の弓道部の仲間たちとの飲み会があった。卒業してからの50年以上、5〜10年越しに同期の仲間と後輩たちと会って親交を深めてきた。そんな中、53年ぶりにAさんと再会した。Aさんは、私が高3の時に中3で、3歳年下だ。あの頃、丸顔の童顔の可愛いかった彼は、私と同じように禿げ上がり、すっかり老人に。それでも、酒を酌み交わし、昔話に盛り上がる頃には、私も彼も昔の顔になり50年以上をタイムスリップ。私は、あの頃の懐かしき景色や人たちなどを思い出して、泣きそうになる。また、3年後の再会を約束して、固い握手をして別れた。俺は死なない。皆も死ぬなよ。

◆私は前列右から2番目

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徒然日記 Vol 718 あれから1年

 昨年の4月から色んなことがあった。その内の3点について、ご報告。

◯昨年5月に職場を異動して「リアンくすのき」に。自宅からバイクで5分。個性豊かな子どもらに囲まれて、楽しく過ごして、やがて一年。いずれ子どもたちとの日々を、お知らせしたい。

◯昨年の4月から校区の自治会会長で頑張ってきた。休みの日は、ほとんど自治会の仕事に追われている。副会長から10年以上の自治会。3年後の75歳の年には辞めるつもりだ。

◯ブラックなカフェで働いていた孫は、昨年の春に仕事を辞め、その後、コメダ珈琲に就職。コメダは時間外は無くて、ブラックなカフェに比べ、給与も待遇も良く、先輩は優しく、楽しく働いている。一年もたっていないのに店長候補に選ばれて、福岡で研修を受けるようだ。20歳になったばかりの孫は「最低・最悪の職場を経験したから、この先どこでも大丈夫」などと言っている。

◆今年も咲いた          

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徒然日記 Vol 717 なんだった?

   ブログを書き込むのに何回も何回も挑戦し、できなかったのに、何故か今日から書き込みがOKになった。「利用が無ければ、あと数日で今後の新規の記事は掲載不可」の通知があってのこと。何はともあれ良かった。また、思い出して読んでもらえれば幸いなり〜。

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徒然日記 Vol 716 お久しぶり〜

 パソコンが昨年の春に壊れて、ブログが書けなくなった。新たに記事を作成しようにもパスワードやユーザー名が分からないまま、ブログが書けず今日に至った。1年かけてやっと、スマホで打ち込みができるところまで辿り着いた。この記事が、きちんと表記され、また、以前の読み手に届くのかは未だ不明なり。にしても、一年ぶりのブログ、ちゃんと届いてほしいものだ。

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徒然日記 Vol 715

人を大切にしない会社は・・・

 私の18歳の孫は、昨年の春から市内の有名な老舗の洋菓子店のカフェで、働いている。調理師の免許も持っていて、高校時代のバイトでのレジや接客の経験もあり、一年目から厨房で料理をしたり、ホールのスタッフなどの仕事を担ってきた。ところが、この一年間、頑張ったものの、残業代込みでも高卒の平均月収に届かず、休憩もきちんと取れず、休みは不定期で、毎日のように残業が続き、年休など取ることも叶わない状況で、とうとう退職することを決心したようだ◆当の洋菓子店は、以前からブラックとは聞いていたものの、中堅の社員は不在で、一年目の新入社員が厨房に入り、カフェのメニューを作っているのだから驚きだ。普段から、休憩もきちんと取れない中、昨年のクリスマスの繁忙期には、昼食も食べる時間もなく、12時間立ち続けて働いたこともあった。カフェで働く人は、ほとんどが女性で、幾人かが、突然休んだりして、ただでさえスタッフが少ない中、そのしわ寄せが真面目な孫に来て、残業が日常化しているようだ。この春に、孫以外にも、4人ほどが退職するらしい。きっと、退職後の補充は、毎年のように新規採用で補っているのだろう。お客さんは、たった一年目の社員が作ったパスタやスイーツなどの料理を、「美味しい」と言って食べているのだ◆社員を大切にしない会社は、いずれ潰れると思っているが、数十年続く老舗として、今後も、今のやり方で生き残っていくのだろうか。孫に、仲間づくりをして、社長なりに改善を申し入れして、改善ができなければ、内部告発なり、労基法違反などで訴えればいい、と助言したものの、社員のほとんどが若い女性で、「まとまるわけがない」と一蹴された◆毎日、疲れ切って帰り着き、休みの日は、昼頃まで寝ている孫を見ていると、「もっと頑張れ」などとは言えない。次の仕事は職種に関係なく「友達と二人で雇ってくれるところを探す」と言っている(そんな所があるとは思わないが)。調理師の資格しかない孫の行く末が心配だが、性格がいいので、どこで働いても「きっと、大丈夫」だと思っている。にしても、ひどい会社だ。匿名希望で、社長宛に手紙を書こうかな、などと思ったりもしたが、そもそも働く人たちを大事にしないのだから、私の手紙もきっと、破り捨てらて、終わりだろう。

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徒然日記 Vol 714

春が来た

 この二週間ほど長雨が続き、桜も散ってしまった。晴れた日に満開の桜を見ることができた人は、ほとんどいないだろう。それでも、庭のタラの木には、新芽が息吹き、サボテンの花も満開だ。職場の軒先のツバメの巣にも、また、ツバメが戻って来た。春が来て、植物も生き物も、生き生きと動き出した。人間界は、新年度ということで、忙しい。本日、日曜日の夕方には、町内自治会の役員会がある。町内自治会長として迎える初めての日だ◆そして、この4月で、落選した、あの悪夢の市議選の日から、やがて一年となる。昨日は、私の後援会の役員会を開き、20日開催の総会に向けて、今後の活動方針などを話し合った。結論は、「次期選挙には、私は出馬せず、地元からの新人の発掘をめざす」「後援会組織は当分の間、存続し、学習会等を開催する」ことと、なった◆議論の中で、再度、私の立候補を望む声もあったが「3年後は73歳で高齢であり再選の可能性は低い」「体力はあるが気力と財力が無い」ことなどを理由に、断った。後援会には80名近くの方たちに加入していただき、私の応援団として活動してもらってきた。しかし、今後、次期選挙に向けて新人の擁立ができなければ、いずれは後援会も解散することになる◆選挙が近づけば、この地域には、色んな議員が入り込み、草刈場となってしまうことだろう。寂しい限りだが、それも仕方がないこと。人生は一度限りだ。数年後には、この地を離れて、高森での終の暮らしを夢見る私だ。これまで知り合った方々には、高森での、燻製づくりや木工教室や山菜取りなどに来ていただくよう、案内をしようと思っている。そのためには、せめてあと10回ぐらいは、桜咲く春を迎えたいものだ、と思っている。

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徒然日記 Vol 713

人が痛みを感じた時には・・

 音楽が好きで、若い頃から、ロックやフォークやクラシックやジャズなど、様々な楽曲を聞いてきた。そして、気に入ったフォークなどの曲は、ギターで弾いて歌ったりもしている。しかし、最近の歌手やグループで、よく聴いているのは、竹原ピストルや、洋楽のレディオヘッドやコールドプレイぐらいで、自分で歌いたいと思う曲には出会うことなく、もっぱら20~40年ほど昔の音楽をCDで聴いている◆しかし、久しぶりに心に響く、日本のグループの、素敵な歌に出会った。「できるだけ嘘はないように どんな時も優しくあれるように 人が痛みを感じた時には、自分のことのように思えるように・・・」という歌い出しで始まる「水平線」という歌だ。優しい歌声で歌われる言葉には、迷い悩める若者への、温かなメッセージが込められていて、メロディーも気に入った◆という訳で、一カ月ほどかけて、ギターで歌えるようになった。この間、毎日のように口ずさむほど、好きになった歌だ。そして、そんな歌のイメージと同じような小説にも出会った。「52ヘルツのクジラたち」という本だ。読み始めた夜は、本の世界に入り込み、なかなか本を閉じることができずに、気がつけば、真夜中の2時だった。そして、翌日の夜も読み続けて、300ページ以上の一冊を、二日で読み終えた◆水平線の歌詞の中に「誰の心に残ることも 目に焼き付くことも無い今日も 雑音と靴音の中で 私はここだと叫んでる」というのがある。他のクジラには届かない、高い周波数の52ヘルツの声で歌う孤独な「クジラ」と、歌詞の中の「私」が重なり、本を読んでいて、水平線の歌が、ずっと聞こえていた。そして、70歳の爺さんが、感動して、心が震えて幾度か泣いてしまった。歳を重ねて、久しぶりに出会った、素敵な歌と、小説。そんな出会いに感謝しつつ、今でも心の奥底から感動することができる自分に、驚いている自分がいた。

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