徒然日記 Vol 691

子どもらに教えられ Vol 2

 私の働く障害児のデイの一日は、午前中は事務所に待機して、療育などの準備。そして、午後からは、それぞれの子どもたちの通う小中学校に、職員の4名ほどで、手分けして、迎えに行く。概ね、早い子で15時、遅い子で16時過ぎにはデイに到着する。毎日の受け入れの人数は、最大10名。毎日来る子どもと、週に一回から二回の子どももいる◆子どもたちのデイの半日は、宿題そして療育(毎日課題を設定しての取り組みとしてのクイズや体感運動や工作など様々)をして、残りの時間はゲームなどをして過ごしている。そして夕方の17:30には、それぞれの家庭まで、私たちが車で送り届ける毎日だ。ただし、休日の土曜日や夏休みなどは、朝から子どもたちがやって来る◆子どもたちは小学校一年生から中学校の二年生までの男女10数名が登録されている。一人以外は、支援学級に所属している。そして、子どもたちの2/3以上が一人親(全て母親のみ)の家庭で、兄弟三人が発達障害という家庭もある。両親や祖父祖母などと暮らしているのは、ほんの数名だ。それぞれの子どもたちは、大きな知的な遅れは見られないものの、いずれの子も学年に応じた学力は身についていない◆私は、男ばかりの兄弟三人で、父は、私が6歳の時に亡くなり、母子家庭となった。小学校の三年から四年生の間は、生活保護を受けながら家族四人で市内の母子寮で暮らし、近くの小学校に通っていた。デイにも私と似たような境遇の子どもも、幾人かいる。彼らが成人する頃には、私は、この世にはいないかもしれない。それぞれの子どもたちに向き合い、精一杯、今、教えるられること、伝えられることに取り組む毎日だ。彼らが、生きる術を身につけて、少しでも社会で幸福な毎日が送れるようにと・・・。

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徒然日記 Vol 690

幻のカステラづくり

 シフォンケーキを作り始めてやがて二年。何回もの失敗を重ねて、やっと、毎回、自分の思う味と柔らかさや、焼き加減に仕上げることができるようになった。幾人かの方々に配り、「市販品よりもしっとりと美味しい」などの評価をいただき、おおむね好評。ということで、今度は、カステラづくりに挑戦。私の目標とするカステラは、私の支持者のIさんのカステラだ。長崎の老舗のカステラよりもなお一層しっとりとしていて、味わい深く、カステラの中では最高に美味しい、と思っている。いつも、選挙のたびに、事務所に差し入れしてくださったものだ。今年の選挙の際には、何故か差し入れが無く、5年間ほど、あのカステラに出会えていない。まさしく、めったに食べられない、幻のカステラなのだ。ひとまず、スマホで調べたレシピで少量を作り、いずれは自分だけの美味しいカステラが出来上がれば、と思っている。ということで本日、早速カステラを作ってみた。しかし、出来上がったカステラは、カステラには程遠い姿で、味もイマイチで、Iさんの作るカステラには程遠いものだった。もう少し工夫して再挑戦するつもりだが、いずれはIさんに御教授を願うことになるのだろう。

↓ カステラ?!

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徒然日記 Vol 689

燻製・ケーキづくり&庭木剪定

 日曜日の一日があっという間に過ぎた。朝から、地域の団体の長に、来週の防災関連の研修会の案内文書を配布。その後、仕込んでいた燻製用の肉とチーズを燻製(約3時間)に。そして、シフォンケーキを焼いた(夕方、近隣の知人のお宅にお届け)。午後からは、道路側の庭木の剪定に汗した。忙しければ忙しいほど時間は早く過ぎていく。夜には、一日頑張ったので、燻製の鶏と豚肉、そしてチーズを肴に、自分へのご褒美の一本千円の赤ワインを飲み、一日が終わった。お疲れさん。

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徒然日記 Vol 688

秋色の根子岳

 勤労感謝の日に、知人のTさん(漬物屋さんのご主人)に会いに、そして、芽を出したニンニクのお世話と、水道の凍結予防対策をするために、高森に行ってきた。Tさんに、手づくりのシフォンケーキを持参し、でっかい大根を10本いただいた。ニンニクの畑にビニールを張り、水道管の凍結予防のための電気を繋ぎ終えて、帰路についた。当日は、晴れ渡った青空のもと、秋色に染まった根子岳の景色がとても美しく、心が洗われるようだった。

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徒然日記 Vol 687

シジュウカラが手の平に

 先日、職場の子どもたちと金峰山の山頂に行ってきた。金峰山は熊本市の西に位置する600メートル台の山で、市内の何処からでも必ず見える。金峰山の位置を確認して、今、自分がどこにいるのかを知ることができるし、自然が豊かで、頂上からは西側に海が、そして、東には市内の街並みが一望できる◆中学時代には、金峰山に近い、叔父・叔母の家で世話になって暮らしていたので、休みの日に時々、一人で歩いて登ったものだ。私が結婚して、連れ合いを一番に案内したのも、金峰山だし、金峰山の歌まで創ったほど、好きな故郷を象徴する山だ◆子供たちと久しぶりに訪れた頂上では、人に慣れたシジュウカラが手の平の餌(ピーナッツ)をついばむ、と聞いて、私も試してみた。展望所の一角で、手の平にピーナッツを乗せて、手を伸ばして待っていると、木の枝に数羽のシジュウカラが◆そして、待つこと5分ほどして、一羽のシジュウカラが私の手の平の上のピーナッツを一粒咥えて、木の枝に戻った。金峰山には、年間を通して毎日のように登っている人たちがいる。その方たちが、何年もかけて餌付けをしての、今だと思っている。ほんの数秒のことだったが、手が、そして心が震えるほどに、感動した。ただ、野鳥が手の平の餌を食べた、それだけのこと。しかし、今でも、シジュウカラの身体の重さが手の平に残っているのだ。

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徒然日記 Vol 686

精一杯、生きてやる

 このブログを書き始めて16年。一カ月間で4~5本のペースで記事を書いて来た。毎日、2~3人、多い時は8人前後の方々が、私のブログを読んでくれている。一体だれが読んでくれているのかは定かではないが、拙い私のブログを時々でも読んでいただく皆さんには、感謝しかない。中には、一日で10~20ヵ所のブログを、まとめて読んでいる方もいらっしゃる◆私も時折、自分のブログを読み返したりもしている。特に、ブログを書き始めた頃の北海道の旅の記録を読むと、懐かしくもあり、そして、また再び旅をしたくなる衝動に駆られてしまう。あの時に乗っていた車(トヨタデリボーイ:知人に焼酎一本で譲渡)は、今はもうない◆そして、今乗っている車(弟から譲り受けた)も、多分、今年いっぱいで廃車となる。今度、中古で買おうと思っている車は、軽のワゴン車だ。車を手に入れたらば、自分でベッドや棚を作ったりと、車中泊ができる、キャンプ仕様に改造しようと思っている◆2~3年後には、連れ合いと二人で、16年前の旅の道筋をたどりながら、北海道をめざしての旅に出ようと思っている。「夢は願えば叶う」という。北海道の旅の夢は、私のいくつかの夢のひとつだ。私の寿命は、後10年(80歳)だと思っている。私のいくつもの夢を実現するために、残りの10年、精一杯、生きてやる。

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徒然日記 Vol 685

「キューバサンド」なるものを作ってみた/手づくりの日々

 休みの日は、高森に行き畑仕事や草刈りをしたり、木工をしたり、自宅では、ケーキを焼いたり、温泉に行ったり、ゴルフの練習をしたり、と何かしら身体を動かしている。自分で作る、シフォンケーキやアップルパイは格別だ。先日は、丸々と太った鰯を塩水につけて、天日干しをして干物を作った◆市販品よりも新鮮で美味しかった。キュウリやニンジンや大根などの糠漬けも、漬ける時間や塩加減で、味や食感が変わり、面白い。今朝は、シフォンケーキを焼き(夜のデザート)、先日観た映画「シェフ三ツ星フードトラック始めました」に出てきた「キューバサンド」なるものを作った◆レシピにある、豚肩ロースのオレンジ漬けやキュウリのピクルスも事前に仕込み、フランスパンにマスタードを塗り、仕込んだ肉と一緒に、チーズとハムとキュウリのピクルスとチェダーチーズを挟んで、バターで表面をカリッと焼いた。それなりに美味しくはあり、見た目は、映画の中でのサンドに似ていたが、本場の味を知らないので、これでいいのか分からない。一度本物を食べてみたいものだ◆そして、お昼には、先日作ったチャーシューの茹で汁に昆布・椎茸・鰹節の出汁を加えた醤油ベースのスープで、ラーメンを作った。もちろん手づくりのチャーシューと煮卵を乗せて。何はともあれ、手づくりが一番安く上がり、美味い。近い将来、高森に引きこもったらば、鶏を育て、野菜を作り、できるだけ手づくりでの自給自足の暮らしをしようと思っている。そして何より、あれこれと作りたい木工作品を思い巡らせている。そんな日を夢見て、数十年。あと何年で実現できるのだろうか。

↓ キューバサンド     ↓ イワシの丸干し

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徒然日記 Vol 684

11・12震災対応訓練/繋がる人々

 本日12日(日)の校区の震災対応訓練(キャンプの力を防災に活かそう)は無事に終了した。私たち防災委員会の役員4人は、小学校に前泊した。というのも、本日参加の方たちに、車中泊やテント泊のモデル車を展示するために、更には、来年度の防災キャンプの実施に向けての経験のためにだ。夕方から、小学校の校庭に車をそれぞれ停めて、車中泊とテント泊(私だけ)をした。夜に私のブースで食事をしながら、飲みながら、事前の打ち合わせをした◆今日は、校区の自治会等の役員や一般の方など100名近くの参加があり、アンケートでの回答でも、おおむね好評で、無事に終わりホッとした。しかし、相変らず、子育て世代の参加が少なく、がっかりもした。今回の訓練にあたり、多くの方々の協力をいただいた。何かしら行動を起こす時には、多くの人と関わり、協力を得ることになる。今回もそうだが、これまでの経験から、関係する方々とは、何かしらの縁を感じたり、さらに繋がりが広く深くなることが多い◆例えば、校区の回覧用の文書を、半日かけて印刷し手配していただいた、ご近所のIさん(役員でもない方)。非常食100食分の手配等でお世話になった北区の防災担当者と、訓練で講話をしていただいたアウトドアショップ「シェルパ」のHさんが、熊本市の消防局関係での後輩と先輩の間柄だったこと。また、市の社協からは、100本近くのお茶を提供していただいた。その手続きに行った日に、社協の古くからの知り合いの方二人(県職労時代に知り合い、当時は組合の活動家で今は管理職)に、温かく迎えていただいた。そして、お茶だけでなくて、私の職場の子どもたちのためにと、段ボール製の卓球台(買えば数万円)まで寄贈していただいた◆更には、取材に来た地方紙の若手の記者から「私もキャンプ大好きなんですよ。キャンプすることがあったら個人的に誘ってください」とまで言われた(残念ながら男性だが)。「いつも何処でキャンプするの?」と聞けば、私が若い頃に山女魚釣りをしていた川の近くの、「緑仙峡キャンプ場が好きだ」とのこと。今回、前泊した仲間と共に、いつかまた何処かでキャンプができればと思ったものだ。いずれにしても、参加していただいた方々、お世話になった方々に、感謝・感謝・感謝なのだ。

 ☐前泊の夜


 ☐訓練当日  私の車他・講演・非常食試食


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徒然日記 Vol 683

キャンプの力を防災に

 熊本地震から7年が過ぎた。あの時は、わが家も被災し、母はコミセンで、私たちは、近くの公園で一カ月近くの避難生活を送った。もう二度とあのような経験は、したくはないが、また、いつの日か、次なる地震があるかもしれない。我が武蔵校区では、震災後に自治連合会長の発案で、熊本市よりも先駆けて、防災委員会(熊本市は防災連絡会)を翌年に立ち上げた◆私が初代の会長を務めて、これまでに、住民や小学校の生徒などを対象にした、避難訓練や防災講話などを実施してきた。市は、毎年11月に、市全域での震災対応訓練を呼びかけている。ということで、今回の校区の取り組みとして「キャンプの力を防災に活かそう」をテーマに、実施することとした。対象は、地震当時に、車中泊をした家族や、今後、避難所ではなくて、公園や避難所となる小中学校の運動場で、車中泊等を望む人たちに呼びかけている◆私自身が二三年前から温めてきた企画だ。7年前の熊本地震の時に、小中学校やコミセンなどに避難した人たちは、殆んどが高齢者だった。中には、少数ながら若い家族などの、子育て世代もいらっしゃった◆しかし、プライバシーの確保ができなかったり、子どもたちが騒いだり泣いたりすることで、学校の校庭や自宅の庭先や車庫での車中泊やテント生活をした人たちが、多数いらっしゃった。今回の取り組みは、キャンプのノウハウを学び、地震の際に、車中泊やテント生活などで、避難生活ができる人たちを育てるためだ。私は、キャンプ歴40年以上。お金をかけずとも、衣食住の環境を整えれば、車中やテントで快適な避難生活が送れる、ということを知っている。訓練は、11月12日(日)の午前中。多くの方々の参加を願っている。

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徒然日記 Vol 682

子どもらに教えられ Vol1

 5月から発達障害児のデイで働き始めて、やがて半年。10名以上の児童が登録されて、毎日、最高10名の児童が放課後から利用する施設だ。発達障害児といっても、私の職場に来る子どもたちは、ボーダーの子どもたちがほとんどだ。それぞれの子どもたちの個性は様々。いつも明るく、きちんと挨拶ができ、優しい子もいれば、いつもイライラして、相手の気持ちがわからず、簡単に人を傷つけるような言葉を平気で言う子もいる。私たち大人は、大人の思いや基準などで、簡単にレッテルを張ったりして、肯定したり否定したりしがちだ。それは気をつけなければならないこと◆それでも、やはり持って生れた性格や、現状の家庭環境などは、なかなか簡単に変えることはできないし、そのことにより、その子の将来も見えて来るものだ。家庭が貧しくとも、父親がいなくとも、母親が様々な社会的な問題を抱えていても、そのことを口に出さず、腐ることもなく、明るく振る舞っている子もいる。家庭環境が恵まれていても、自分には甘く、チクチク言葉で簡単に人を傷つける子もいる。個性と言ってしまえばそれまでだが、「あーこんな性格の子は、きっといつか苦労するだろうに」と心配になる◆一人親の家庭で育ち、小学校は三つ行き、引っ越しも数十回の私。大人になり、永年、知的障害児の施設に働き、そして、組合の役員や市議として、多くの人と関わってきた。そんな私の経験から言えば、人が生きていく上での幸福の最大の条件は、人から好かれる人であるか、否か、ということに尽きると思う。市議をやめた後でも、今までと同じように付き合ってくださる人がいれば、手の平を返したように冷たくなる人がいる。これも、私自身の生き様の結果だろうが、時々、今までのお付き合いは何だったのかと思う時がある。デイに来る子どもたちは正直だ。私をつかまえて、平気で「じじい」「禿げちゃびん」と茶化す子がいる。私は、それが事実だから素直に受け止めて「なに~」と言って、怒ったふりをして、追いかけたりして、楽しく仕事をしている◆しかし、他の子を簡単に傷つけるような言葉を言う子などに、どうしたら相手の気持ちがわかるようにできるのかと、悩む私がいる。いつかその子が大人になり、誰かに、心をえぐられるような冷たい言葉を浴びせられた時に、やっと気付くのかもしれない。しかし、その時には手遅れなのだ。ある日、意味は知らなくとも、ことわざをたくさん知っている小学生の子から、私の知らないいくつかのことわざ「亭主の好きな赤烏帽子」「葦の瑞から天井をのぞく」「京の夢大阪の夢」などを教えられた。70年も生きてきて、10歳にも満たない子どもに、新しいことわざを教えてもらうとは・・・。この先も、子どもらにことわざだけでなく、色々なことを教えられて、しばらくは、頑張ってみようと思うこの頃だ。知り合った子らの皆が、この先、幸福に生きていけることを願いながら。

↓皆で作ったハロウィンの壁紙

  180×120㎝

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